「……嫌だね」
「は?」
豊穣亭へ戻った俺は早速エイジスに事の次第を伝えたのだが。
答えは上記の通り、NOという返事が返って来たのみ。
「どうしてだよ、この街で飛竜の討伐が出来るのは師匠だけだろ!?」
「それは確かにそうだ」
「じゃあなんでだよ!」
俺が詰め寄るとエイジスは汗を拭いながら、心底呆れたような溜息を吐く。
そして双眸を細めてこちらを見て、グラスに入った酒を煽った。
昼間から酒を飲んでいる事はさておき、なんだこの態度は。
知り合いが困ってるから助けてやるのは当たり前じゃないのか?
「まず第一に、お前が俺の力を頼る前提で、ジジイから面倒事を請け負って来たのが気に入らねえ」
「――――」
「大方話を聞いてすぐに安請け合いしたんだろ、俺ならなんとか出来るって。それ自体は間違いじゃない、俺一人でも飛竜程度は倒せるだろうよ」
その言葉に、思わず黙りこくってしまう。
いつもより数段低い声音のせいか、それとも怒気を孕んだエイジスの目に睨まれているせいか。
「自分で出来ない事を請け負い、他人に押し付ける。そういうのを俺の母国じゃ、『炎竜のまたぐらに居座る白兎』って言う。雑魚が強い奴にくっついて、自分が何でもできるようになったと錯覚して驕り高ぶるって意味だ」
「ち、違……私はそんな事……」
「違わねえだろ、お前がやったのはそういう事だ。いいか? 俺は冒険者だ、自分の命は自分で守らなきゃいけねえ。出来るからって何でもかんでも安請け合いしてたら、命が幾つあっても足りないんだよ。仮にもし飛竜に俺が殺されたら、お前は誰に守ってもらうんだ? また薄汚ねぇ浮浪児に戻るか?」
正論。
ぐうの音も出ない程に正しい言葉だ。
俺だって似たような経験がある、その結果にどんな痛い目を見たかも。
もう二度と、あんな思いは御免だと思う程に。
「そういうのは聖人君子か、勇者か、もしくは馬鹿のする事だ。そしてお前は聖人でも勇者でもない。分かったらとっとと断ってこい馬鹿」
「でも、飛竜はどうするんだよ……このままじゃイェルドさんは」
「手に負えなくなったら領主様が討伐隊を派遣するだろうよ。飛竜なら家畜を攫うだけで、こっちから手を出さねぇ限り襲われる心配もねえだろう。ジジイには悪いが辛抱してもらおうぜ」
あんまりだ。
そう言いたかった。
けど、エイジスだって人間で、当たり前だが大怪我をすれば死ぬ。
沢山の冒険者が先に逝ったのを見続けて来たエイジスだから、こう言うのだろう。
結局最後に自分の身を守れるのは自分だけ。
俺に対して、出来る事と出来ない事を見極めろ。
他人の事を案じるより先にやる事があるだろと、エイジスはそう言っているのだ。
合理的に考えれば、リスクを冒して飛竜へ挑むより、国が動くのを待った方が絶対に安全なのは分かる。
討伐隊ともなれば、訓練された兵士が何十人もいるし、魔導士だって沢山いる筈。
これは、俺の領分では無い。
きっとそうなのだ。
その筈なんだ。
……その筈なのに、俺には納得できなかった。
前世で家の中に引き篭もっていた時は、世界が憎かった。
自分をこの暗くて陰鬱な空間に閉じ込めた奴らをずっと恨んで来た。
外に出るのも怖くて、窓の外から聞こえてくる楽し気な声に何度頭を掻き毟ったか。
明け方、通勤通学の為に外を歩く人々を横目に薄暗い部屋から外を眺める惨めさは、今思い出しても苦いものが込み上げてくる。
どうして自分ばかりと、悲劇の主人公ぶって泣いたりもした。
毎日をただ浪費するだけの、無駄な人生を送っていた。
そんな人生に焦燥感を抱いて、それでも何も出来ず。
誰かの為だなんて考える余裕なんて無かった。
自分の事で精いっぱいなのに、それすら満足に出来なかったし。
今世でも記憶が戻るまではそうだった。
とにかくその日を生きる事、それだけが目的で、目標。
夢も希望も無いに等しい人生を送って来たんだ。
けど、今は違う。
周りに目を向ける余裕だって出来た。
少しだけど強くもなった。
だったら手を伸ばせるところまで伸ばしたっていいじゃないか。
それの何がいけないんだ。
エイジスには、その為の力があると言うのに。
「……この分からず屋め」
「おうおう、何とでも言え、この大馬鹿野郎が」
俺が睨むと、エイジスは意に介すことなく、そう受け流した。
もう、何を言っても無駄なのか。
ここでどれだけ睨みつけたってエイジスの腰は上がらない。
「なら、私一人で何とかしてやる」
「お前、今なんて――――」
俺はそう言って踵を返すと、全速力で豊穣亭を飛び出した。
***
「どうやって俺一人で飛竜退治をするか……」
さっきはあんな事を言ったものの、完全に見切り発車である。
アイスを作ろうとしたらとんでもない出来事にまで発展してしまったものだ。
俺一人で飛竜を倒すビジョンなど、これっぽちも見えないし。
神鉄流の鍛錬はまだ基礎しかやって無いし、まともな武器だって持たせて貰ってない。
それに飛竜と言うからには、空を飛んでいるのだ。
遠くから攻撃する術を持たない俺じゃ、まずそこの障害を突破しなければいけないのでは?
うわ……マズったな。
やっぱりイェルドさんには悪いけど、討伐隊に任せてしまおうか……。
いやいや、それじゃ駄目だ!
エイジスに啖呵切って出て来てしまったのだ、俺が何とかしなくては。
このまますごすごと逃げ帰ったら笑われてしまう。
とにかく、飛竜を倒せるような策を何か思いつけばいいのだ。
呻れ、俺の灰色の脳細胞!
前世の知識も総動員して、何か名案を……名案……案が……
「無い……」
残念な事に、俺の脳みそには攻城兵器やらカタパルトやらの単語が浮かぶものの、それらの作り方は一切出てこない。
投石器でも作れればワンチャンあったと思ったのだが。
俺が作れるのは精々パチンコくらいだろう。
それで飛竜が倒せるとは思えないし、作る気も無い。
「う~ん……」
そうして俺が呻りながら街の通りを歩いていると、なんだかやけに騒がしい事に気が付いた。
視線の先では人だかりが出来ており、怒号まで聞こえる。
なんだろう、喧嘩か?
この辺りで喧嘩が起きるのは割とよくあるし、珍しい事でもないが。
だとすると何かまた問題事だろうか、ちょっと気になるな。
俺は野次馬根性を発動し、飛竜の問題を頭の隅に置いて人だかりへフラフラと寄っていく。
小さな体で人混みを掻き分け、最前列に出ると男の怒声が耳朶を叩いた。
「おいこらテメェ! どうしてくれんだよぉコレ! 高かったんだぞ!?」
「す、すみません……」
げ!?
あれは確か、最初に俺を殴りつけたBランクの冒険者。
名前は……ジンとか言ったっけ?
しかし参ったな、隣にエイジスがいないときに出くわすとは。
殴られた事と言い、あの横柄な態度と言い苦手なんだよなぁ。
強い奴には媚びるタイプなのでエイジスには逆らわないが。
怒鳴られているのは、鼠色のフードを目深に被った女性のようだ。
旅装だが、荷物は少ない。
あの首に提げたロザリオは、多分アース教の物だ。
いわゆる巡礼者という奴なのだろうか、この世界にもそういう文化はあるんだな。
「見ろよこれ、シミになってるじゃねえか! 弁償できんのかよ、金貨5枚したんだぞ!?」
「い、今は払えませんが、必ず弁償いたしますのでどうかお許しください」
だが、こんな街中で面倒な奴に絡まれるとは災難だ。
この手の人間は相手が女子供だと途端にイキり散らかすからな。
それと、ジンの奴はもっとマシな嘘を吐いた方がいい。
あれは防具屋でワゴンセールされてた銀貨10枚の毛皮のベストだぞ。
エイジスが粗悪品と言って吐き捨てていたのを覚えている。
アイツ、装備を見る目も無いのによくBランクになれたよな。
「いいや、駄目だ。金が払えないって言うんだったら、その体で払ってもらおうか。ゲヘヘ……」
「それはいけません! この身は神に捧げたもの、穢れる事は許されないのです……!」
「うるせぇ! てめぇんとこの神とやらは人に迷惑を掛けてもいいって教えてんのか!?」
うわ……滅茶苦茶言ってるよ。
これだからDQNはやだよなぁ、怖い怖い。
だが、これ以上傍観者でいるのにもそろそろ飽きた。
俺は馬鹿でいると決めたばかりなのだ、ここで見て見ぬ振りも出来ないだろう。
「あの、ちょっといい?」
「あぁ?……って、お前はあんときのガキじゃねえか、なんだ、また痛い目を見に来たのか?」
「その節はどうも。えっと、人に迷惑をかけるのがいけないのも分かるけどさ、嘘吐くのもよくないと思うぞ」
「俺がいつ嘘を吐いたって言うんだよ! 言ってみろ、おい!」
毛皮のベストには、屋台で売られている串焼きのタレがべっとりと付いている。
恐らくは偶然ぶつかったのだろうが、お姉さん、相手が悪かったな。
「まず、その程度だったら今すぐ揉み洗いすれば落ちる。見た所それ、ローンエイプの毛皮だろ? 奴らの主食は油種の実だ、油で滑らないように体表にはそれらを弾くコーティングがされている。そもそもシミになる筈がないんだよ」
「な――――」
俺はこの三か月以上、エイジスの傍で魔物たちを観察し続けた。
これらの情報を纏めれば、一冊書けるくらいにはな。
廃ネトゲーマーの俺にかかれば、敵モンスターの情報収集なんて朝飯前だ。
「それに、ローンエイプの毛皮なら精々銀貨20枚……いや、10枚が良いところだぞ。そんなに金が欲しけりゃ私が払ってやるよ」
「うぐ……」
そう言って懐から銀貨を10枚、ジンの足元へ投げつけてやる。
これは俺が酩酊亭と、エイジスの元で働いて得た正当な賃金だ。
誰が何と言おうとも俺の自由に使わせて貰う。
「ぐ……このクソガキが!」
「あ、危ない……!」
とうとう我慢の限界だったのか、ジンがいきり立って俺に掴みかかって来た。
自分よりも二回り以上大きな男に襲い掛かられるのだ、正直言ってクッソ怖い。
だが、今の俺は以前とは一回りも二回りも違うのだ。
「うぐっ……!?」
俺の服の襟に伸ばされた腕を掌で弾いて受け流し、よろけた所を足払い。
うつ伏せに倒れたジンは呻き声を上げて、目を白黒させている。
――――神鉄流は無手でも戦える、エイジスから教わった基礎の一つだ。
「クソが! 人をコケにしやがって、もう許さねえぞ!」
直ぐに激昂し顔を真っ赤にしたジンは起き上がり、腰に提げたサーベルへ手を伸ばす。
まあ、武器を使われることまでは想定内。
素手の少女相手にプライドは無いのか、甚だ疑問ではあるが。
むしゃくしゃしている俺にはそんな事関係ない。
「……私は今、虫の居所が悪いんだ」
ともかく、この男には個人的な恨みもある。
徹底的に叩きのめして、溜りに溜まったフラストレーションを少しでも解消させて貰おうか。
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