「うん、これならもう大丈夫そうね」
金髪の女性、豊穣亭の看板娘シェリーは俺の体のあちこちを触って確認すると、グッとサムズアップをした。
豊穣亭、なんだか縁起の良さげな店名のそれは、件のエイジスの知人がやっているという飯屋だ。
エイジスはここの二階部分を借家として利用しているようで、今の俺の家と言ってもいい。
――あれから更に三週間。
エイジスの言った、身体づくりは順調に進行している。
「ほっぺたもふっくらして来たし、唇もぷるぷるっと。折角の可愛い顔なんだから、大事にしなくちゃ」
「そ……そうですね」
シェリーに頬をつつかれ、俺は困ったような相槌を返す。
と……顔の良し悪しは置いておくとしても、事実俺の栄養不足は改善されていた。
体系が痩せ型なのは生まれつきなので変わらないが、もうすっかり健康な少女そのもの。
ボサボサの髪も整えて今はセミロング。
肌の血色もいいし、何より以前とは段違いに活力がみなぎっている。
足元がふらつくことも無くなったし、飢餓感で脱力するような感覚も消えた。
「そうだなあ、前のスケルトンみてえなのからは大分マシになったか」
「ちょっと、女の子に対してそんなデリカシーの無い事言っちゃダメでしょ!」
隣に座るエイジスとシェリーのやり取りを眺めつつ、俺は謎の肉の頬張る。
この店の一番人気メニューらしいが、一体何の肉なんだろうな。
鶏っぽい食感に豚肉の甘味。
無駄に和牛のようなサシの入った謎肉は何とも言い難い微妙な味わい。
だが、それが癖になるのだ。
「いや、俺が言いたいのはそういう事じゃなくてな、そろそろいいかって話だよ」
その言葉を聞いて俺の肩がビクンと跳ねる。
危く口に含んだものを噴き出しそうになり、慌てて呑み込む。
だがしかし、それほどに俺は今の言葉を待ちわびていた。
この三週間は街の近辺で魔物を狩ったり野草を採取したりと普通に仕事をしていたが、俺の仕事は荷物持ち。
基本的に10m以上離れた場所で、エイジスが戦うのを見ているのみだ。
持っていく荷物も少ないので、かなり暇だった。
だが、遠くから眺めるエイジスの戦いっぷりはしっかりと目に焼き付けている。
目で追うのも難しいような速度で切り込み、あっという間に何体もの魔物を屠ってしまうのだ。
流石Aランク冒険者の名は伊達ではない、この街でこの男以上に強い奴はいないだろう。
そして、
「――チビ助、それ食ったら出るぞ。稽古をつけてやる」
そんな男がとうとう直々に鍛えてくれると知り、俺は急いで肉を胃へと流し込んだ。
***
食事を終えた俺とエイジスは、街の外にある平原にやって来た。
地平線まで見渡せるようなこのだだっ広い空間なら、稽古にピッタリだろう。
「まずはルフレ、お前の実力が知りたい。どこからでも好きに打ち込んでみろ」
そう言われ、俺は手に持った木剣を正面に構えた。
練習用とはいえ剣は剣、それなりにズッシリとした重みを感じる。
俺がもし同年代の人間だったのであれば、振り回すのは少々難しかっただろうか。
しかし、魔人の身体スペックは普通の人間の比じゃない。
「じゃあ、行くぞっ……!」
俺は大きく前へ踏み込み、避ける素振りも見せないエイジスへ突進。
斜めから木剣を振り下ろす。
「――ッ」
だが、あっさりとエイジスの持つ剣に弾かれ、後ろへ数歩後退る。
「どうした、その程度か?」
「まだまだっ!」
再度エイジスの懐へ潜り込んだ俺は下から木剣を振り上げ、顎を狙うも。
「甘いっ」
「く――」
苦も無く払いのけられてしまった。
めげずに上段から切り下ろせば、半身を退いて躱される。
たたらを踏んだ俺が恨めし気にエイジスを見上げると、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
クソ……当然勝てるとは思ってなかったが、こうもあしらわれると悔しいな。
せめて一矢報いたい。
本当は使うつもりは無かったが、奥の手を出すか。
「らあっ!」
跳び上がり、顔を狙った突きを放つ。
馬鹿正直な俺の攻撃を、エイジスは同じように打ち払おうと構えた。
そのタイミングで俺は《識見深謀》を発動。
「――ッ!」
直後に全ての音が遠ざかり、どこか違う世界の出来事のように感じられ――
「見えた」
視界に捉えたエイジスの動きが緩慢になったと思えば、その姿が二重にブレて見える。
――――これが俺のスキルの真骨頂、未来予見。
一秒先のエイジスは、下から俺の木剣を叩き上げようと上体を屈めていた。
それを確認してから俺は剣の軌道を変え、腹部に滑り込ませるように横に振り抜く。
完全に決まった。
まさか《識見深謀》を使っただけでこうもあっさりと不意を衝けるとは思わなんだ。
俺は勝利を確信し、緩やかに流れる時間の中でそんな事を考えていたのだが、
「うわっ!?」
きっかり一秒が経過した瞬間、木と木のぶつかり合う乾いた音が響く。
まさか、必殺の一撃を受け止められたのか!?
そして、俺の困惑を解消するように、両足が重力に逆らって地面から浮いた。
ふわりとした浮遊感と共に、後頭部へ鈍い痛みが走る。
反転する視界一面を青色が埋め尽くし、空気の読めない清涼な風が頬を撫でた。
ああ……どうやらこれは、身体がひっくり返っている状態らしい。
あの瞬間、不意打ちを食らわせたと思った俺の攻撃はあっさりと弾かれ、逆に吹き飛ばされてしまったのだ。
「大丈夫か?」
木剣を置いて俺の前まで歩いて来たエイジスにそう聞かれ、小さく頷いて上体を起こす。
「……負けた」
「そりゃあな。だが、最後のはいい攻めだったぞ。俺も少し肝が冷えた」
奥の手を使った渾身の攻めが通じなかった。
そのショックで俺は思わず木剣を握っていた手のひらをジッと見つめる。
やっぱりこの男は凄いな。
前世では温室のような国で育った俺が、一瞬でも勝てると思ったのは馬鹿だった。
「まあ、手合わせした感じ、見どころはありそうだ。一つ一つの動きも悪くない、これならすぐ型の練習に入っても大丈夫そうだな」
「……型? 師匠の剣は何か流派とかがあるのか?」
「そりゃあるぞ。いくつか別の流派を齧ってはいるが、基本的な動きは全て神鉄流だ」
「あ、神鉄流って、あの剣神のかぁ……」
――神鉄流
剣神アグニ・テイルロードを祖とする、この大陸でもっとも古い流派の一つ。
相手の自重や動きを利用し、最低限の動きで最大限の結果を出す事を目的とする剣技である。
世間一般では柔の剣と呼ばれる事もあり、対極にいる剛の剣、弧月流と共に二大流派として有名。
因みに始祖アグニは類まれなる剣の達人であると同時に一国の王で、自らを護る為に生み出されたものが、後に大衆へと広まっていったというのがこの剣派の歴史だ。
「じゃ、取り敢えず俺と同じように構えて見ろ」
「こう……?」
「そうだ、そのままの状態を維持しとけ」
エイジスはそう言うと、全身から力を抜いてだらんと腕を降ろした。
これのどこが構えなのか分からないが、俺も同じようにしてみる。
「神鉄流の極意は、あらゆる攻撃を受け流す事にある。だからどんな角度から切りこまれても反応出来るよう、こうしてリラックスした状態でいる事が大事だ」
「それで、ここからどうすればいい?」
「その状態で俺と同じ動きをしろ、基礎の型だ。手首や肩に力は入れず、あくまで脱力状態のままでな」
力を抜いて、手に持った木剣をエイジスと同じように構え、腰を落とす。
うわ……脱力状態を維持しながらそこそこ重たい木剣を振り回すのは結構キツイな。
持ち上げる時にも無駄な力を入れず、体全体で動かさないと上手くいかない。
よし!
ちょっとズルだが、《識見深謀》を使って知覚能力を上げてしまおう。
こうすればエイジスの動きをより詳細に見る事ができ、精度の高いトレースが出来るの……だ――――
「うぐ……」
――――なんて思っていた時期が俺にもありました。
いや、馬鹿か俺は。
いきなり上級者の真似をすればそりゃ足は縺れるわ、一瞬で疲弊するわで付いて行ける訳がないだろう。
「どうしたどうした、動きが鈍くなってるぞ。筋がいいと思ったのは俺の勘違いか?」
「くそ……まだまだ全然余裕だし……!」
もうこうなればヤケだ。
前世でもスポーツはおろか、まともな運動なんて殆どしてこなかった俺がこんな台詞を吐く日が来るとは思わなかったが。
やってやるよ神鉄流。
スポ根でもなんでも来い。
死ぬ気で習得してやるから覚悟しろ。
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