「オラァッ!」
ヒュッ、という風切り音と共に、俺の頬を鈍色の刀身が掠める。
寸での所で回避――と言うには語弊がある、かなり余裕の紙一重だ。
(……なんだ、全然遅いじゃんか)
返す太刀で振り上げられた剣先を半歩後ろへ退いて避ける。
ジンの顔が一瞬ムッとするが、直ぐに攻撃を再開し、今度は剣が横薙ぎに振るわれる。
「チッ! すばしっこいガキだぜ!」
「お前が遅いんだよ、バーカ」
マトリックスのように上体を逸らしてそれを回避し、そのまま後ろへ倒立宙返り。
竜人の身体能力なら、スタントショー顔負けの動きだって出来るのだ。
『……すげぇぜあの子、ジンの攻撃全部捌いてやがる』
『あいつ確か裏街に住んでる魔人のガキじゃなかったっけ? なんであんなに強いんだ?』
『バッカお前! ありゃエイジスさんとこの弟子って話だぞ、そりゃ強いに決まってんだろ』
余裕そうな俺とは裏腹に、息を切らすジン。
更にギャラリーの声を聞いて、ジンは益々顔を憤怒に歪める。
「クソッ、みんなしてエイジスエイジスって、あのクソ野郎なんてただの老害だろうが! クソッタレ!」
おお、凄いな。
一度に三回もクソと言うとは、なんと語彙力の無い事か。
もう少し罵倒のレパートリーを増やしてから出直すんだな。
にしても、意外と人間って動きがトロいんだな。
ずっとエイジスを相手にして来たお陰で楽々回避できる。
ジンも素人って訳でも無さそうだし、思った以上に成長していたらしい。
さて、なら専守防衛はそろそろやめにして、反撃に出るとしよう。
「なあおっさん、顔と腹、どっちがいい?」
「は? 何言ってんだてめ――」
ジンが怪訝な顔で三下らしい台詞を口走ろうとした直後。
俺の体は奴の真下へ潜り込んだ。
「は、速いッ!?」
周囲の野次馬も瞬きをしたら、俺がいつの間にか動いていたように見えただろう。
これが弧月流歩法、瞬歩。
日本の古武術にも似たようなものがあるが、あれはただ速く動いてるだけ。
こっちのは正真正銘瞬間移動に等しい。
「い、いつの間に……!?」
「えっと、よそ見してる間かな?」
タネは下半身に渾身の力を込めて、瞬間的に爆発的な推進力を生み出すという単純明快なもの。
普通に考えてあり得ない事象なのだが、世界観が世界観なので多少物理法則に逆らっていても深く考えない方がいいだろう。
質量保存の法則を完全無視した空間収納なんてスキルもあるらしいし、考え出したらキリが無いのだ。
という訳で、まずは一発目。
「おごっ!?」
鳩尾目掛けてのグーパン。
この辺りはまだ素人っぽさが抜けないけどまあいいか。
竜人族の膂力は人間のおよそ5倍はある。
恐らく、ジンの体には金槌で殴られたような衝撃が走った筈だ。
その証拠と言わんばかりに体が浮き上がり、仰向けに倒れようとしている。
だが、間髪入れずに俺はジンの胸倉を掴み、体を引き戻す。
「今すぐこの人に謝れば、もう殴らないが……どうする?」
「ぐふ……だ、誰が薄汚い魔人の言う事なんか聞くかよ……社会のゴミが……」
社会のゴミ、ね。
確かに俺を含めたスラムに住まう人たちは、この国にとってゴミも同然か。
「……そ、そのゴミがエイジスに拾って貰ったからって、調子に乗るんじゃねえぞ……」
ふむ、そう聞くとエイジスはゴミ拾いが得意な綺麗好きに思えてくるな。
浮浪児で魔人、人権なんて無いに等しい俺を拾ったのだから、あながち間違いでもないか。
うん……間違いじゃない。
エイジスが俺を拾うメリットは一体何だったのか未だに分からないし。
そう考えると、彼の言動の不可解が浮き彫りになった気がする。
「……胸糞わりぃ家族ごっこしやがって、所詮てめぇは穢れた魔人の子供なんだよ!」
唾を飛ばしながらそう叫ぶジン。
俺は無表情でそれを受け止めるが、胸中はざわついていたどころの話じゃない。
ジンの言葉のせいで、出てくる前の言い合いを思い出す。
俺はエイジスの情けでいまこうしている。
彼が拾ってくれなければ、ジンを圧倒できる程強くもなれなかった。
俺は、そもそも社会に必要とされていない。
エイジスがいなければ俺という存在を証明する物など何一つない。
「ヘヘ……魔人の子は魔人、結局人とは相容れない魔物モドキだ。その内愛想尽かされて捨てられるだ――――」
「――ッ!」
だから、その言葉は俺の思考を真っ赤に染め上げた。
ジンの台詞を最後まで聞き終える前に、視界が怒りで歪む。
「グギャッ……!?」
頭は真っ白になり、その時、俺が何を思ってそうしたのかも分からない。
だがしかし、気付けばジンの顔面を地面へ殴りつけていた。
「はぁっ……はぁ……」
バクバクと喧しい心臓の音が全身を震わせ、ピントの合わない視界の先に伸びたジンの姿が見える。
俺はどうしてこんなに動揺しているんだ。
高々三下小悪党に言われた負け惜しみだろう。
俺がエイジスに捨てられる事を恐れている?
『――――また薄汚ねぇ浮浪児に戻るか?』
エイジスに捨てられて、またあの不衛生で夢も希望も無い場所に出戻るのが怖いのか?
『薄汚い魔人――――社会のゴミ』
そうだ、俺は社会のゴミで、ゴミは捨てられるのが正しい。
前世からずっとそうだった。
たった一度の出来事で世界に絶望し、自分の殻に閉じ籠った。
親のスネを齧り、ただ飯を喰らい、働きもせず時間と金を食い潰すだけのゴミ。
それは否定しない。
でも、どこかで似たような奴らと俺は違うと思っていた。
俺は奴らよりも優秀で、本当ならこんな場所にいる予定では無かったと。
やればできるけど、やらないだけ。
本気を出していないと言い訳をして、現実から目を背け続けた。
けど、きっと何かきっかけがあれば、頑張れる筈。
そうして俺は来もしない猫型ロボットを待ち続け、降ってこない女の子を受け止める為に空を見続けたんだ。
だから、俺はエイジスに捨てられるのが怖いんじゃない。
「上から見下ろしていた場所に落ちるのが、怖いんだ」
運よくエイジスに拾って貰えて、俺はまた勘違いをした。
やっぱり他の奴らとは違うんだと、俺は特別なんだと思い込んでしまったのだ。
しょうもない自尊心を守る為、同類を内心で見下し自分の方がまだマシだと優越感に浸る。
この上なく馬鹿で、世間知らず。
まさしく虎の威を借る狐――いや、炎竜のまたぐらに居座る白兎だ。
ちょっと運が向いて来たからと言って調子に乗り、人の力を自分のものだと思い込んでいる。
全部、与えられたものじゃないか。
俺が自分で手に入れたものでは無いじゃないか。
それなのに勘違いして驕り高ぶって、自分と同じ境遇の子供たちが可哀そうだ?
傲慢にも程がある。
やっぱり、人と言うのは一度死んだ程度では変わらないらしい。
結局一番スラムの子供たちを差別していたのは俺だ。
そう気付いて、俺は目の前で伸びたジンを見つめる。
「俺も、お前と同類って訳か」
いや、違うか。
大っぴらに魔人を毛嫌いするコイツはクズだが、内心では上から目線の何様な俺の方がもっと質が悪い。
綺麗事は、やっぱり綺麗事なのだ。
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