「……いや、ですからお金は――」
「あ? 高々荷物持ち程度で金が貰えると思ってんのかこのクソガキが」
頬に傷のある、目つきの悪い男は眉間に皺を寄せてそう凄んだ。
同時に俺の髪の毛を乱暴に掴み、引っ張り上げる。
「約束が……違います」
「誰が薄汚い魔人のガキとの約束を守るってんだ! てめぇみたいなのに金払う位だったら、ドラゴンの巣にでも放り投げた方がマシだ」
――ああ、まただ。
昨日は偶々優しい人だけを相手に仕事をしていたから、少し油断していた。
相手が弱い女で、子供。しかも魔人。
この国の人間は、それだけの事でこちらを見下し、横暴を働くのだ。
「オラッ!」
「――ッ」
男はそのまま俺の顔を殴りつけ、道へ放り投げた。
硬い石畳に全身を打ち、鈍い痛みが全身へ走る。
自分が男だった時には感じたことの無い、嘲りの目。
弱者へ向けられるものとはまた別種のそれに、俺は背筋がゾッとした。
生物の本能的な部分で恐怖を感じる。
世の女性というのはいつもこんな、男からの視線に耐えていたのだろうか。
そう言う俺も覚えがないわけではない。
女性を無意識に自分より弱い相手だと決めつけていた時期もあった。
庇護されるべき、弱者だと。
「じゃあな、精々俺の目に付かない場所でひっそりと野垂れ死ねや」
「――――」
蹲る俺へ一瞥をくれると、男は去っていく。
俺は、恨めし気にその後ろ姿を見送る事しか出来ない。
「いた……」
口の中は血と砂利まみれで、最悪。
鼻腔を鉄の匂いが埋め尽くし、ジンジンと痛む頬も相まって涙が出そうだ。
……今日はそこそこ名の知れた、Bランク冒険者の荷物持ちの仕事をしていた。
知名度もあり、強い冒険者なら契約を反故にしないと考えた俺はいの一番にその話へ飛びついたのだが、結果は御覧の有様だ。
狩りを終えて街へ帰って来てみれば、こうして殴られ。
ボロ雑巾のように転がっているのが答えである。
強さと精神の高潔さは必ずしも比例するとは限らない。
前世で散々思い知らされてきた筈だった。
大抵強者とは得てして、傲慢で独善的。
俺を虐めていた学校のDQN共がいい例だろう。
「……帰ろう」
浮浪児とは言え、一応雨風を凌ぐ場所はある。
廃材をかき集めて作ったような、簡素なものだが。
街の南にある裏街と呼ばれるスラムのような場所では、そんな家々に……いわゆるホームレスたちが数多く住んでいるのだ。
俺の寝床は、廃材の山の中にトタンと木板で作った壁を貼っただけの物。
しかしこれが意外と快適だった。
雨に濡れる心配は無い上、ちょっとやそっとの風で吹き飛ぶことも無い。
帰って寝るだけならば、俺としては十分過ぎるくらいなのだ。
きっとルフレの記憶と経験がそうさせているんだろう。
これが前世の俺だけだったならば、『ベッドが無ければ眠れない』等と愚痴を溢したに違いない。
そう考えると不思議なものだ。
俺が体験していない事ですら、自分の事だと思えてしまう。
……いや、そもそも俺は最初からルフレだったのだろうか?
あの日、記憶が戻ったと感じたのは間違いで、俺が彼女の身体を乗っ取った可能性は無いか?
「……考えるのはよそう、意味がない」
こんな事を考えても、俺が今こうしてここにいる事実に変わりはない。
だが、もしもの可能性を考慮するならば、俺がルフレでなくなった時の為に少しでも生活のレベルを向上させておくべきだとは思う。
日本でも、この世界基準でもまだまだ子供のルフレがこんな思いをしてていい筈が無いからな。
「そうだ……!」
もし俺がこの生活から抜け出して、まともな職を手に入れたら、お金を貯めて孤児院を作ろう!
ルフレみたいな子供を集めて、ちゃんと勉強させて、仕事に就かせる。
この世界は余りにも過酷だ。衛生面も最悪で、病気にかかれば大抵は死んでしまう。
その上、人々は常に魔物という恐怖に脅かされている。
せめて子供くらいは、偽善だとしても救ってあげたい。
そして、その為の力を俺は付けなければならない。
だが、幸いにしてアテはある。
家に戻って来た俺は、藁の上へボロ布を敷いたベッドの下から本を取り出す。
つい先日、代金のかわりに貰った魔導書だ。
何故あの少年がこんな貴重な物を持っていたのかは知らないが、僥倖。
魔人というのは人間よりも魔法の適性があるのだ。
そして魔法を覚えれば、俺も雑用からジョブチェンジが出来る。
そう、俺は魔法を修得し、冒険者になろうとしていた。
誰かに雇ってもらえないのなら、もう自分で稼ぐしかないだろう。
冒険者は最低ランクのFからSがあり、そこに種族や年齢などの制限はない。
上に行けば行くほど受けられる依頼の上限が開放され、実入りのいい仕事が出来る。
まあ、Aランクを目指すなんて大それたことは言わないので、DかC辺りで堅実に稼ぐのが目標だ。
魔法使いは冒険者でも割と重宝されるからな。
ソロでやるもよし、どこかのパーティに入れて貰うのもありだろう。
「さて、どこから手を付けたものか……」
本の一ページ目を開いて、思案気に目を細める。
ズラッと羅列された文字は人の国で使われる共通語。
読むこと自体は大した事無いが、その内容はかなりちんぷんかんぷんだった。
「魔力を感じて……魔素へ干渉、そしてそれを事象へ変える……?」
うん?
う~ん……。
う~ん?
……分からん。
まず、魔力とは、魔素とは一体何なのか。
それすらも俺には理解不能なのである。
勿論言葉の意味は分かる。
しかし、それは目に見えるのか?
魔素とは、元素のようなもので実際に質量を持って存在しているのか?
地球出身の俺は、魔力なんてものを見たことも感じたことも無い。
そもそも感じるってなんなのだ、意識しただけで感じられるのかよ。
全くもって訳が分からん。
「詰んだ……」
開始五秒で詰み。
神絵師のお絵描き講座くらい訳が分からない。
こっちは初心者なんだから、まずは魔力の知覚の仕方から教えてくれ。
「あーもう!」
俺は本を放り投げ、ベッドへ仰向けでダイブした。
天井にぶら下げたランプの灯りが眩しくて、思わず目を眇める。
どうして物事と言うのは、こう思い通りにいかないのだろう。
俺には現状を打破する為の努力すら許されないのか。
このままだと、あの冒険者の言う通り本当に野垂れ死んでしまうかもな。
……いかん。
腐っては駄目だと分かっているのに、段々と視界がマイナス方向に向かってしまう。
ちょっと行き詰ると、直ぐに諦めモードに入る悪い癖だ。
前世でもギターをちょっと触って、「なんだ、俺才能あるじゃん」なんて調子に乗っていたら難しい応用で挫折していた。
要は簡単に出来る事しかやりたくありませんという甘え。
これは無くしていかないといけないな。
俺はもう、腐らず真っ当に生きると決めたのだ。
「……魔法が駄目なら、いっそ体でも鍛えるか……な……」
そうして、ふと呟いたそんな一言で俺は仰向けの状態から勢いよく起き上がり――――
「そうだ、別に魔法が使えなくてもいいじゃん」
パチン、と指を鳴らす。
そう、俺は竜人族のもう一つの秀でた部分をすっかり失念していたのだ。
強靭な肉体と、無類の怪力。
雌型で子供の俺は幾分か成人の竜人族に劣るが、それでも十分。
思えば昨日の道案内の時も、依頼者を置き去りにするほど早く動けた。
そして、つい先刻殴られて付いた傷は、既に完治している。
――この身体は、強い。
証拠はその二つで十分。
あとは能力の限界値だが、その前に一つ説明しなければならない事がある。
この世界には、『スキル』 という魔法とはまた違った力が存在するのだ。
これは後者と違い、生まれつき誰でも一つは持っているもので、勿論俺にも備わっている。
地球には無かったものなので、当然俺もスキルという力の発生原理も分からない。
正直気持ち悪い力だとは思うし、未だに理解しようと思っても出来ないものだ。
だというのに、感覚としては呼吸をするのに意識して吸ったり吐いたりしなくても、自然と出来るのだから変な話である。
スキルに関しては記憶の深い所に扱い方やそれがどういうモノなのか根付いている感じで、人の資質の延長線上にある物とだけなんとなーく理解していた。
そして俺の持つスキルは《識見深謀》と言い、あらゆる物事に対する知覚能力が上昇するというもの。
俺は元より魔人であり、感覚器官が人間より優れている。
加えて竜人族と言うのは、爬虫類の親戚みたいなものなので匂いや熱に敏感だ。
それらの種族的資質と、俺の個人的な資質が合わさって知覚能力の上昇というスキルになったのだろう。
で、肝心の上昇具合だが、なんと一秒先の未来までなら予見……ならぬ予覚ができるのです。
視覚で例えれば、『一秒後に相手が動く先が分かる』という分かりやすいものから、味覚と嗅覚なら『味の分からない野草を食べた時の食感や毒の有無が予め分かる』等々。
だが、この《識見深謀》は一秒後に起こり得る物事しか予見できない。
しかも予見できるのは五感のどれか一つのみ。
そんなに便利な代物ではないのだ。
そして、その一秒後の出来事を知って何か出来るか、と言われれば出来ない時の方が多いだろう。
今日の殴られたシーンがいい例だ、あの場面で予見出来ていたとしても回避する術がなかった。
逆に昨日貰ったタルトを食べる時なんかは、実は《識見深謀》を発動していた。
あの少年には悪いが、用心するに越したことはないからな。
案の定毒なんて入って無かったし、杞憂に終わったが。
と、まあ……基本的には『単純に知覚能力を上げる事が出来るだけのスキル』な訳だ。
普段使いは毒見と聞き耳、非常時――暴力沙汰の時には視覚に割り当てて攻撃を回避、逃走と言った使い分けをしているらしい。
らしい、と言うのは、記憶が戻る前の旧ルフレの経験だからだ。
何度か危ない場面もあったようで、記憶の引き出しに恐怖の感情と共にしまわれている。
だが、俺が今こうして五体満足なのも《識見深謀》のお陰だろう。
そして、話は戻り。
つまりは『俺がちゃんと戦えるように鍛錬すれば、予見によってかなり強くなれるのでは?』 という事が言いたかった。
いくら魔人と言えど、個人の能力の限界値などはたかが知れてる。
しかし、このスキルと組み合わせれば、凡人だろうとそれなりの戦闘力を得られる筈。
冒険者としてやっていくには十分過ぎる力だ。
ならば、と。
「……取り敢えず腹筋からかな」
俺の毎日の日課として筋トレが追加された。
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