王の居城へとつながる橋が架けられ、最後の砦となる兵士は既に息絶えていた。
門は開け放たれ、そこここに小火が宿っている。
ここに至るまでに、あらゆるところに騎士の亡骸が転がっていた。彼らも奮戦したようだが、食い止めることはできなかったらしい。
もちろん、あたしたちも何度かズメウと交戦しているが、幸い誰にも怪我はなく、多少の疲労だけで突破できている。
面倒を避けるため、王国の騎士たちのことは避けるようにしていたために、無用な交戦はなかったが遠回りになってしまっていた。
太陽が空高くに鎮座している。
王族の屋敷に聳え立つ城はやけに静かで、不気味にすら思える。城に詰めている兵士もいたはずだが、まさか出払っているのだろうか。
「ようやくここまできたな。セナ、準備はいいか」
「ん……大丈夫。歌も、ずっと聞こえてるよ。場所までは正確にはわからないけど」
「そうか。……シャトラ、ルネ、リオンはどうだ」
「あはは、問題はないけど、長話をしている余裕はなさそうだよ」
シャトラの声に振り返ると、ズメウの戦士たちが橋の向こう側に迫っているのが見えた。
金色の髪が視界を覆い、骨具の擦れ合う音が鼓膜を刺激する。そして弓の弦の唸りが耳に届いた。
「……ここはウチに任せなよ。誰一人通しはしないからさ」
「シャトラ、ここは橋を落とした方が」
「ズメウは道を無くしたくらいじゃ止まらないでしょう? リオンちゃんみたいにできるのだっているはずだからね。だから、ウチがここで足止めをするのさ」
「……そういうことなら、僕も露払いに加わろうかな。この橋の広さなら、僕が一番やりやすいだろうからね」
翼のはためく音がシャトラの真上に移動し、鋭い声を上げた。炎のような翼が、まさしく焔のように燃え上がる。
「……行くぞ、セナ。二人が作ってくれる時間を無駄にしないためにも」
「そうそう、さっさと行って会ってきなよ。そしたら迎えにきてくれればいいからさ」
「ん……わかった。どうか、二人とも無事で」
「必ず、後でお会いしましょう。シャトラさん、ルネさん!」
その言葉を最後に、不死鳥が先陣を切る。灼熱が駆け抜けるようにズメウを圧倒していくのが見えた。そこへと浄化の光が舞い踊る。
デゼルがあたしの背をとんとんと急かす。
後ろ髪を引かれる思いを抱えながらも、あたしは我が家でもあった城へと足を踏み入れた。
「これは、ひどいな」
城の中は、外見からは想像できないほどに荒れ果てていた。そこかしこの壁に穴が開けられ、装飾品も、床に散乱してしまっている。
そのほかにも、城にいたあたしの家族だったものたちが倒れ伏していた。あまり顔を見て生活をしていなかったから、どの人が誰かまではわからないのだが。
しかし、付近にはズメウの姿は誰一人として見当たらなかった。遺体は数体あるものの、少なくとも生きているズメウはここにはいない。
「ズメウ共はエインヘルを探しているんだろう。だが、セナも遭遇しないに越したことはない。お前には奴らが求めるものが宿っているんだろうからな」
「わかってるよ。……あいつらより早くエインヘルを見つけないと」
「セナさん、焦らずに。何かあっても、ボクとデゼルがあなたを守ります」
デゼルの背から降りたリオンがあたしを見て胸を叩きながら頷いた。いまはその言葉が頼もしい。
城はかなりの広さがあり、地下から上まで多くの部屋が存在している。ズメウたちはおそらく虱潰しにでもしているのだろう。あちこちでかなりの音が起こっており、あたしの耳にはだいぶ優しくない状況だ。
しかし、それとは別に気にかかることがあった。
「デゼル、リオン……城に入ったときに気がついたんだけど、実は――歌が止んでいるんだ」
「なんだと?」
そう、エインヘルの歌が止んでいるのだ。王城に入るまではうるさいくらいに頭の中に響いていた歌が。
「ふむ。……セナ、お前はその状況をどう思う?」
「なにか、あったのかもしれない。それとももしかしたら、一度はたどり着いているのだから自分で見つけろってことなのかも」
「うーん。……セナさん。最初に彼女と会ったとき、どうやってそこにたどり着いたんですか?」
「王城で静かな、逃げ場所を探していて、偶然にだよ」
その条件に当てはまる場所を現在の状況から探し出すのは困難を極めそうだった。それこそどこからでも音が響き、それが建物の中を駆け巡り続けている状況では。
「なぁ。それだと、お前がエインヘルの元にたどり着くのは変じゃないか?」
「ええ。確かに、逃げ場所を探しているのなら変な話かもしれません」
「それってどういう――」
その時だ。
城が揺れるほどの衝撃が起こったのだ。それは正面の開け放たれた大扉の向こうかららしく、もうもうとした煙を引き連れてやってきた。
「セナさん、デゼル!」
リオンが正面に立ち両腕を前へ突き出すと、即座に風が渦巻きあたしたちを取り囲み、高い天井まで届く柱を作り上げた。それが煙と飛来する塵芥を巻き込んで真っ白に染まる。
数秒の間それが続き、やがて風が散った。
ぱきん、と何かが割れるような音がして視線を動かす。そこにはリオンがいつもかけていた丸眼鏡があり、レンズが粉々に砕け散っている。
「はは、事前に見た通りだ。そしてこの力の感じ。懐かしい。あーあ、気に入ってたのになその眼鏡」
「リオン、大丈夫?」
「うん、問題ないよ。この通り。それよりもセナさん、あの方向には何が?」
艶めく黄色の瞳に妖しい紫が溶けていた。それが足元にある無残に転がった愛用の眼鏡を一瞥した後、背後へと向く。
その時に見えた彼女の顎から下、そして手首などの見える範囲は既に黒い鱗に覆われていた。
あたしたちがいるエントランスホールを抜けた先、そこにあるのは……そう。忘れもしない。
「王の間があるんだよ。あの奥にはあたしを生んだ本当の父親が、いるはず」
「ふぅん……」
すっと目を細めるリオンが、何を考えているのかはわからなかった。
「リオン、まさかその先にいるのか。お前の言っていた一番悪い敵が」
「うん、間違いない。できることなら、行かないほうがいい。それよりもエインヘルを探したほうが賢明だ。でも――決めるのはセナさんだよ」
じっとあたしを射るように見つめるリオン。強いまなざしに見つめられてたじろぐ。
「そうだ、セナさん。さっき言おうとしたことの続きはね。……静かなところを求めていたセナさんが、誰かのいる場所に自分から行くことはおかしいんじゃないかな、って話だよ。――よく思い出して。何かあったはずなんじゃないかな」
「何か……?」
「エインヘルがお前を呼んだか、ともすればお前にしかわからない何かがあるんじゃないのか?」
首を傾げる二人に見つめられ、あたしは視線を王城の床に落とした。
そんなことを言われてもわかるはずがない。あの時のあたしは、耳を頼りに逃げ場所を探していただけのはずだから。いや、でもそういうことならば彼らの言うことはきっと正しい。
耳を頼りに静かな場所を探していたあたしが、誰かの息遣いを聞き逃すはずはない。もしわかっていたのなら、そんな場所に過去のあたしが行くはずもない。
忘れているのだ、大事なことを。――彼女の元へたどり着いたという事実の、最後のピースを。
『――王国に住む諸君。聞こえているだろうか。ああ、すまない。言葉が通じないのだったか。どれ、蛮族の王よ。わたしにその知恵を貸してもらおう』
『何をする気だ貴様! その汚らわしい手で私に触れるなっ!』
突然城内に響き渡り始めた二人の男の声。
なんだ。どこから聞こえているんだこれは。
「この声。そしてこの術――こんなものまであるとは本当に恐れ入る」
エントランスホールに転がるズメウの遺体が溶け、煙となった。そしてそれは陣のようなものを空間に作り出し、それを映し出した。
『ふむ。なかなか興味深い言語だ。これは後に研究するとして。ふむ、この言葉が無事に届いているとよいのだが』
『何の話をしている。この私を差し置いて。いや待て、さっきまではさっぱりであったが、貴様の話していることがわかるぞ。これはいったいどういうことだ?』
ズメウの亡骸が作った何かにはあたしの父、ハルモニア王が映し出されていた。その隣には貫禄のあるズメウの姿。その手が王の首にかけられ、すでに王は宙に持ち上げられているらしかった。
デゼルは何が起こっているかわからないといった風だが、リオンは血が出るほどの勢いで唇をかみしめている。
『くく、それならば重畳。ならば始めよう。――王よ、余計な話はせん。疾く答えよ。――お前たちの言う天使はどこにいる?』
『なっ……そうか。目的は彼女だったか。ならば答えるわけにはいかない。あれにはこれからも役立ってもらわねば困るからな』
『ほう。命が惜しくはないのか』
『惜しいものか。私は既に種を残した。そして既に種は芽吹き、花を咲かせようとしているのだ。私の役割などとうに終わっている。私の言っていることが貴様には到底理解できまい』
どこかを見つめる王の瞳が、あたしを捉えた気がした。そう、目が合ったような気がしたのだ。
『ようやくだ。――ようやく、これから解放される。そして、この長い長い歯車の王家に終止符を打つものも現れたのだ。――それは決してお前などではないのだよ、リザードマン』
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