王都は騒然としていた。
各地で警鐘が鳴り響き、至る所から火の手が上がっている。
だが、攻め込まれたにしては道端に転がっている死体の数が少ない――そんな気がした。
「一足遅かったようだな」
「ん……うん、そうだね。急ごう。エインヘルさえ解放できれば、この事態を収束させられるんでしょう?」
「……さぁ。それはどうだろうな。あいつ自身は、アンスールが作った生物に手を下せない制約に縛られているからな。だが、一石を投じることはできるだろう」
夜が明ける頃には王都へと踏み込むことができた。
ズメウたちが北門を起点に襲撃していることもあるのか、西門には門兵すらもいなかった。しかし門兵までもが駆り出されているという状態ならば、状況はかなり切迫しているのだろう。
そのおかげで余計な手間をかけずに入れたわけなのだが。
あたしたちは現在、王都の中央広場に差し掛かった辺り。王族の居城にはまだ少し距離があるものの、もう半分ほどは進んでいることになる。
「これは……?」
「人が集まっていますね。なにかあるんでしょうか」
「気にはなるけど、セナがここの人に見られることは避けた方がいいんじゃない?」
シャトラの指摘通り、今あたしが民と顔を合わせるのは避けたほうがいいだろう。騒ぎになりでもすればズメウを呼び寄せかねない。
しかし、中央広場には気になる点もあった。
民衆が集まっているのはそうなのだが、どうやら避難先というわけでもないらしい。ざわざわとしていて、その言葉ひとつひとつを拾うのは難しかった。
「デゼルがいたら結局目立っちゃうから一緒だよ」
「……それは悪かったな。だがどうするセナ。ここを抜けるのが最短ルートなのだろう?」
「それはそうなんだけど」
音を拾うことに注力する。
民衆のざわめきからなにか、ヒントが得られれば状況がわかるかもしれない。
「もう王城に攻め込まれたのか。騎士団は何をやっている」
「なんだあの龍人ども、こんなところに集まれだなんて」
「でもそのおかげで誰も殺されてないじゃない」
空気を吸い込んで、長く吐き出す。――よし、拾えたみたいだ。偶然とはいえ運がいい。
「みんな。もうズメウたちは王城に入っているみたい。あと、そのズメウが王都の人たちをここに集めてるみたいだよ」
「何が、目的なんでしょうか」
「それはわからないけど……急いだ方がいいみたい。デゼル、行くよ」
「わかった」
シャトラとリオンを乗せたデゼルが走り出す。あたしはそれを後ろから追うようにして、中央広場を突破することにした。
突然の来訪者が放つ異音に獣人とも言うべき人々が振り返る。
そこには驚愕の色が濃かった。ここにいるはずのない人物がいるといった顔だ。しかし、それに気に留めることなく走り抜けることに集中する。
「いいのか、解放してやらなくて」
「ここにいる限りは殺されてないみたいだから大丈夫。今は急ごう」
しかし、民衆はそう容易く見逃してはくれなかった。
デゼルはあたしの答えを聞くなりスピードを早めて早々に駆け抜けていく。
「異端者王女だ……だいぶ大人びているが間違いない」
「いや、あれは天使様だろう。そっくりだぞ」
「しかし、目の色が片方だけ違うぞ」
「もしかしてあいつがこの状況を?」
「そうに違いない。こんなタイミングであの王女が帰ってくるなんてそうに決まっている」
だから、目の前に飛んできたそれに、不覚にも足が止まってしまった。デゼルはそれに気づかず、広場を抜けていってしまう。
先導していなかったのが仇になってしまった。あの様子では気付いて戻ってくるまでに時間がかかるだろう。
あたしの中に嫌な記憶が渦巻き始める。そう、今まさに飛んできたそれは、あたしの一番嫌いなものであり、あたしに恐怖を刻み込んだものだった。
――それは、何の変哲もないただの石。
そんなものがあたしの足を止め、震わせ、心臓に早鐘を打たせる。
民衆へと振り返ると、彼らはあたしへと視線を注いだ。
「な……あれはまさしく天使様の生写しではないのか」
「しかし、あれは異端者王女セナだ。間違いない」
「でも、本当によく似てる……ね、ねえ。あんなにも似てる方に石を投げたら、わたしたちは天使様に石を投げたことになるんじゃないかしら」
「だがこの件の元凶かもしれない。――俺たちの生活を返しやがれ! 忌み子!」
飛んでくる石が、頬を掠める。
声を聞いて、ようやくわかった。
彼らも、怖いのだ。変化することが、自分達の何かが変わってしまうのが。だから、その元凶を排斥しようと躍起になる。
うん、当然だ。石を投げる側も、怖いんだ。
それに、彼らの言う通り、この事態を招いたのはあたしだ。あたしが、あたしという存在をズメウに晒したから。
ぺたり、ぺたりと民衆に向けて歩み寄る。
「投げたければどうぞご自由に。君たちの嫌いな異端者王女が帰ってきたんだ。満足するまで石を投げればいい。君たちにその覚悟があるならば、あたしは甘んじて受け入れるよ。その恐怖も、憎しみも」
手を広げ、高らかに叫びながらゆっくりと、そう、ゆっくりと民衆へ向けて歩いていく。
ざわめきが波及していくのがわかった。
「なんで、そんなに強くなれたんだ。あんな弱々しくて、顔だって隠してたのに」
「そんな強い目をしていなかったじゃない! もっともっと怯えた顔をしていたじゃない! それが、どうして」
あたしの言葉と態度が、彼らの手を震わせているようだった。石を握るその手が、ゆっくりと下ろされていく。
民衆があたしへと向ける瞳には、過去と同じく怯えがあった。何からの怯えかは、もしかすると違うのかもしれないけれど。
「何を騒いでいる! 貴様らは大人しくしていればいい……なっ」
騒ぎにようやく気がついたらしいズメウと目が合う。その目に驚きが浮かび、虚が生まれたのをあたしは見逃さなかった。
地面を蹴りつけ、民衆を掻い潜りズメウの元へ。その足元に滑り込み払い退けて転ばせ、その背に一撃見舞うと、ズメウは動かなくなった。
「ふぅ……」
「な……すごい」
「これがあの、異端者王女……?」
言葉を失う彼らを横目にあたしは中央広場を抜けるために民衆に背を向け歩き出した。
「ば、化物……! やっぱり王族は人の姿をした化物じゃないか! 何でこんなに簡単に……! このっ!」
若者の声と共にひゅん、と音がした。
あたしが振り返ると、それはいい音を立ててあたしの額に直撃し、地面に力なく落ちる。
「あ……」
避けられないことはなかった。でも、なぜか受け止めなければいけない気がして、受けることにした。
当たりどころは正直よくないが、たぶん脳に異常はない。意識も、視界もはっきりしている。
額から垂れてきた温かい液体が鼻を伝った。
「化物……ね。ま、それは仕方ないか。でも……女の子の顔に石を投げるなんて失礼な人」
目を見開いて、石を投げた若者に視線をぶつける。
すると彼はぺたりと尻餅をついた。その肩が震えている。
あたしよりも年若い青年のようだった。
人に近い優しい顔をして、白い獣の耳が頭から生え、ふさふさの尻尾が覗いている。ボロボロの服を着ていて、正直見窄らしい。
けど、とても澄んだ瞳をしていた。そこに宿る恐怖だけが、やけに純粋で。
「満足したかしら?」
「え?」
「君はあたしに石を投げて、心が満たされた? そう聞いているの」
「それは……」
その表情を見れば、答えは明らかだったが、あえて聞いてみることにした。けれど無駄だった。それ以上彼は黙り込んでしまったから。
ため息をついて振り返ると、広場の向こうから慌てて走ってくる白馬がいた。
「セナ、無事か」
「ん、大丈夫。でも、随分遅かったね」
「気がつくのが遅れてな……っておい、どうしたんだその顔。血が垂れてるぞ」
「ああ、うん。気にしないで」
そういうわけにはいかないだろう、と焦るデゼルがシャトラに促して、治癒をあたしに受けさせた。リオンはその後ろでしきりに何かを気にしていた。時々遠くを見ては難しい顔をしている。
「どしたの? リオン」
「えっ? ああ、いろんな場所を見ていたんです。どこも被害はそこそこありますが、死者は驚くほど少ないみたいです」
「ふうん。それなら、よっぽど優秀な人が率いているんだね」
はい、とリオンは表情を曇らせた。
あの時の言葉の意味がそこにあるのかもしれない。けれど、彼女は聞いてほしくなさそうに咄嗟に目を逸らす。
それ以上は聞かずに、進むことにした。
ふと、歌声がどんどんはっきりとしていることに気がつく。
ふとしたときに響き渡ってくるそれは、何かをしていないと常にあたしの脳を駆け巡ってあたしを急かすのだ。
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