異端者幻想譚

-ヘレティックファンタジー-
月緋ノア
月緋ノア

不死鳥のルネ

公開日時: 2022年7月9日(土) 14:35
更新日時: 2022年7月9日(土) 14:39
文字数:3,860

ひと段落つき、残すは。

「無事で何よりだ」

「あたし、今回は諦めなかったよ」

「ああ。もちろん知っているとも」


 器用に足を畳んで地面に寝そべるデゼルにもたれかかりながら、翡翠色の空を見上げた。端には少しばかりの緋が広がり始めている。

 まだ右目の視界は戻らない。もしかしたらずっとこのままなのかもしれないと思うと、それはそれで不便だ。

 遠くからはいまだに街の崩壊の叫びが絶え間なく聞こえてくる。リオンの暴走が止まっても、それがもたらした破壊の影響は止まるところを知らないようだ。

 ――シャトラは、一命を取り留めてくれた。今もリオンのサポートの元、傷を癒すことに注力している。それまでにかなり消耗したせいで少々難航しているようだが、もう峠は越えたみたいだ。


、どうしたんだ?」

「わからない。気付いたらこうなってたんだよ」


 普段は服の中にしまってあるはずの純白の羽根を象ったペンダント。それが、呼吸をするように淡い光で明滅しながらふわふわと浮いている。

 デゼル曰く、これはアンスールの持ち物らしい。それがここにあるのは、エインヘルに託されたからだろうというのが彼の見解だ。


「本当に今更なんだが、お前に関してずっと思っていたことがあるんだ」

「急に改まってどうしたの?」

「ああ。ようやくズメウの件がひと段落して少し落ち着いたから伝えておこうと思ってな。今まではまさかそんなはずはないだろうと思っていたことなんだが」

「ふうん?」


 背中に感じる熱と頼り甲斐に、あたしは体重を預けながらぐぐーっと身体を伸ばした。デゼルがやけに真剣な声音になるものだから、こちらも眠たくなってきた身体を起こさなければと思ったのだ。


「お前には――」

「セナさーん!」


 デゼルの言葉を遮り、リオンが急ぐ様子で駆け寄ってきた。どうやらシャトラのサポートを途中で切り上げてきたらしい。


「チッ……どうしたリオン?」

「うわわ、邪魔しちゃいましたか? すみません」

「大丈夫だよ。シャトラはもういいの?」

「はい、シャトラさんがあとは自分でやるからって。……ボクには、ルネさんの手伝いをしてあげてほしいって」

「ルネの?」


 リオンが頷いてあたしの手を取る。その目は、とても生き生きとしていた。どうやら、自分に役割があることがとても嬉しいらしい。

 それを微笑ましく思いながらその手を握り返す。


「……セナ。ルネのことなんだが」

「え、なにデゼル? どうしたのそんな複雑な顔して」

「あー……そうだな。なんでもない」


 デゼルが神妙な面持ちで言葉尻を濁す。彼が何を思ってそうしているのかあたしには露ともわからない。ここは喜ぶところだと思うのだけど。


「行きましょう、セナさん」

「うん……デゼルは、どうする?」

「オレはシャトラの様子を見てくる。二人で行ってくるといいだろう」


 あたしと目を合わせることなくふいっとデゼルが去っていった。その後ろ姿にどことなく漂う哀愁が、半分しかない視界でもはっきりと目に焼き付いた。


「手伝いと言っても、ボクにできるのは彼の蘇生を促すことくらいだと思いますけどね」


 かつてルネだったものの前にしゃがみこんでリオンが呟く。そしてメガネを外し、両手を前に差し出して目を閉じた。あたしはそれを隣で見つめているだけ。

 図書館は、リオンの暴走の影響をほとんど受けることなくほぼ無傷のままだった。リオンが意図的に外していたのか、彼女のアレにも耐え得る建造物なのか、理由はわからない。しかし、そのおかげでルネだったこの灰も無事に残っていてくれている。


「えっと……たぶんこの術なら――うん、反応した。これでいいのかな。もう少しだけ……ん? 次は上手くいかないな、どうしてだろ?」


 リオンが独り言をぽつぽつこぼしながらも色々試してくれているようだ。たびたび灰色の塊が反応を示し、もぞもぞと息吹を感じさせる動きをする。時折光を放つかのような眩い線が漏れ出していたが、それがルネによるものなのか、はたまたリオンによるものなのかはあたしにはとんとわからない。


「……よし。動き出しました。あとは見守るだけ、だと思います」


 リオンは額の汗を拭い、メガネをかけ直して一つため息をついた。暴走の件からずっと彼女は力を使い詰めだがその身体に問題はないのだろうか。

 数歩離れたところに移動してからリオンに声をかける。


「リオンもしばらく休んでね。もう、一通り終わったんでしょう?」

「はい。シャトラさんの方もルネさんの方もようやく」

「お疲れ様。リオンの身体に異常はない?」

「? はい。ボクの力はこれくらいじゃ無くなりませんし、身体は疲れてはいますが、全然元気です。――ボクよりもセナさんです。その右目、大丈夫なんですか?」


 ぐいっと右目を覗き込んでいるであろうリオンの顔が見えない。ずっと光を見ているかのように真っ白だ。熱が宿る感じもなく至って平常で、本当に見えないだけという状態。


「んー、嫌な感じはしないんだけど。今のリオンの顔が半分も見えないのは残念かな」

「なっ……むむむ」

「リオンにはどういうふうに見えるの? あたしの目」

「え? えっと、そうですね。その、ペンダントと同じように明滅しているような? そんな感じです」

「光ってるの!?」


 リオンがこくりと首を振る。

 自分じゃ全然気付かなかった。そんな意味のわからない状況になっているならおそらく閉じていた方がいいだろう。恥ずかしいし。

 右目を掌で隠しながら瞼を下ろす。それでも視界に変化はないが、右瞼だけを閉じ続ける感覚というのは変な感じだ。


「綺麗なのに」

「いやいや。ぴかぴかしてたらなんかヤだよ」


 顔を見合わせくすくすと笑っていると、ふわりとした浮遊感。驚き足元を見ると、床の表面をいくつもの黒波が走っていくのがわかった。

 その中心へと視線を動かし、発生源を視界の中央に収める――ルネだ。


「不死鳥のお目覚めですか。ボクも実際に見るのは初めてです。たしか、セナさんは二回目なんでしたっけ?」

「一応、ね。でもこんなだったかしら?」


 灰色の殻を突き破り、まず黄金色に光る翼が姿を現し、その大きな翼がばさりと一度はためいた。瞬き一つの間に突風が頬を掠めていく。

 山吹色の光を纏う赤金の羽毛が煌々と輝き、傷や曇りひとつない嘴が輪郭を露わにした。

 しかし、燦々と照りつける太陽のような輝きが不死鳥の全身を飲み込み、やがてあたしの背丈くらいの大きさに膨張した。

 眩い光が収まる。

 そこにはこの世のものとは思えないほどの美しい炎が鎮座していた。

 炎は灰の一粉すら身体から残さず払い除け、そこでようやくその目を開く。

 黒曜石のような光沢を放つ大きな瞳は周囲の黒からも浮き立ち、周囲の景色を見定めるようにくるくるとし始め、それがやがて――あたしたちを捉えた。

 その鋭さに思わず身震いしてしまう。


「初めまして。と、いいたいところだけど」


 その威厳ある姿に反し、彼はといった様子であたしに近づき、その目を細くした。鋭利さがさらに増した視線があたしの顔に突き刺さっている。そして次はそれをリオンへと向けた。


「ひっ……」

「脅かしたいわけじゃない。うん。君は初めましてだ。でも、亜麻色の髪の――君は、違うね。少しだけ待ってほしい、今」


 頭をひねるように不死鳥が首を傾げ、固まる。

 別人を前にしているような違和感があたしにはあった。そしてという言葉。――こういうことなのだろう、デゼルが言葉を濁した理由は。


「ツノの子」

「ひゃいっ!」

「ありがとう。また一から始めるところだった。あなたのおかげで僕は、半分以上は喪ってしまったし、もしかしたらだいぶ違うかもしれないけれど――またとして僕を始められる」

「え? えっ?」

「あなたが少しだけでも早めてくれたおかげだ。理に反するかもしれなくても、全部失わずに済んだんだ。本当にありがとう」


 不死鳥は器用に深々とリオンに頭を下げた後、感謝の気持ちを込めてか彼女に頬擦りを始めた。

 リオンがどんな感情からかはわからないが動けなくなってしまっているその傍で、あたしは彼の言葉を反芻していた。


「ルネ……なの?」


 ぴくりと彼の羽が一瞬開く。


「そう、と言っていいかはわからない。雰囲気はだいぶ違うんだろうし、僕は大切な四年間のほとんどを無くしてしまったんだよ――セナ」

「あぁ……」


 つん、と鼻の奥が痺れる。

 目頭がぶわっと熱くなった。

 ああ、なんで両目でルネを見れないんだろう。やっと、やっと――


「それでも……おかえり、ルネ」


 その胸に飛び込み、彼の羽毛を涙で濡らしていく。

 

「っ……セナ、覚えてることがあるんだ。僕は約束を破って……」

「それは――それこそ、忘れてよかったんだよ。また始めればいいんだから」

「……ありがとう。でもこんな、約束を破って、何もかも、ほとんど忘れてしまった僕でも、そばにいていいのかな……?」

「当たり前だよばか……たくさん忘れてもその気があるなら一緒にいてよ。君は大切な家族なんだから」


 泣きじゃくり、ルネの大きな胸を叩いた。

 ルネはその大きな翼であたしを抱きしめてくれた。どういう感情からかは、わからなかったけど。


「本当に、よかったと思うのはね、セナ」

「うん? なに?」

前のルネが一番怖がっていた、二回も自分を失うという事実をセナに与えなくて済んだということだよ」

「ルネ……?」


 優しいだけの言葉が耳に染み込んでいくのを感じ、同時にあたしは悟ってしまった。

 ――彼は限りなくルネに近いとしても、あたしの知るルネとは何かが決定的に違うのだと。

 彼にはわからないだろう。

 あたしの胸に、とても、とても鋭利な言葉のナイフを突き立てたことなんて。

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