「デゼル、シャトラ……リオン。うん。今度は忘れない」
「まさか、本当にルネの断片を引き継いでいるとはな」
復活を果たしたルネと共に外に出、デゼルとシャトラにその報告と、ちょっとしたイレギュラーの話をした。
ルネと言葉を交わした際のデゼルの驚いた顔は、今までにないくらい強烈だった。ユニコーンもしっかり見ればあんなに表情豊かなんだなと、あたしもだいぶわかってきたらしい。
あたしはあれだけルネの胸で泣いたにも関わらず、どこかで彼と距離を置くことを決めていた。本質的にルネではないルネを、またあんな風にしてしまうことは避けるべきだと思ったのだ。彼にまで、変な責任感を負わせる必要はない。
「セナさん、よかったですね。ルネさんが戻ってきて」
「うん、そうだね」
リオンが本当に嬉しそうな表情であたしに笑いかけてくれているのを左目で見て、できる限りの愛想笑いをしながら右目を開いた。
その時、視界に変化が訪れた。
とろりと、じわりと滲むようにして視界が世界を取り戻していく。色彩は左目よりもさらに鮮烈で、脳内にぐわんとした疲労感のようなものが広がっていった。
「セナさん?」
「あー、えっと、その……リオン。力を貸してほしいんだけど、急だけど頼める、かな?」
「はい? セナさんのためなら構いませんけど」
リオンが目を丸くしてあたしをじっと見た。
――理解が知識を追い越した感覚。
これがあたしの脳が塗り替えられていく感触?
久しぶりだ、このなんともいえない複雑な感じ。疲労感かと思ったがどうやら違うようだ。
困ったような顔をするリオンの手を取る。
「今から、セーランヘルに行きたいんだ」
「え? どうして? どうしてその名前をセナさんが……?」
「そこに、あるんでしょう? あたしの知りたい答えが」
あたしの口をついて勝手に出ていった言葉。まるで誰かに身体を使われているような気分だった――けど。
それがあたしの意志であり言葉だと、他の誰でもないあたし自身が自覚していた。
「デゼルさん!」
「リオン? そんなに慌ててどうかしたのか?」
「セナさんに、セーランヘルの話をしたことはありますか?」
「あるはずないだろう。いったいどうした?」
驚き手を離したリオンがデゼルを呼び、それに彼が応えると同時に困惑の表情を浮かべた。そしてデゼルはあたしの顔をずずいっと覗き込み、怪訝な顔をする。
「その目、見えるようになったのか。いや、それだけにしては雰囲気が……」
「デゼル。あたしは、エインヘルを知りたい。彼女がどんな人で、あたしとどんな関係があるのか、それを知りたいの」
「それで、セーランヘルか。――なんでその名前を知ってる?」
「わからない。でも、そこに答えがあることがわかるの」
あたしの答えにデゼルが心底驚いた顔をして、しかし合点がいったようにブルルっと鼻を鳴らし一歩離れた。そして毛を逆立てて猛り、舌打ちをする。
「そういうことか。クソッ、そういうことかよエインヘル。ここまでお前の仕込みだってんならオレはお前に協力しなかった。お前はいったいセナをなんだと思ってやがるっ。セナをどうしたいんだお前は……」
「……デゼル?」
「一つだけ訊かせろ。……その、エインヘルを知りたい、セーランヘルに行きたい、は確固たるお前の意志か? そうじゃないのならば……」
怒気を孕みながらも静かな声でデゼルがあたしに問いかけてきた。冷ややかとも感じるほどの冷静な瞳があたしを貫くほどに見つめている。
しかし答えは決まっていた。
「もちろんだよ」
「そうか。なら……、ならいいんだ。しかし問題もあってな……セーランヘルは基本的に空を移動する都市で、その位置を完全に捉えることが難しい。そしてリオンの転移の可能距離。――リオン」
「はいっ!」
「一回の転移でどこまでなら飛べる?」
「えっと。それは、わからないです。引きこもってたから……ごめんなさい」
「そうか。なら……」
デゼルが落胆したように鼻息を漏らしながらもなおもリオンに何かを聞こうとしていた。しかし。
「デゼル、そんなにがっつかないの。リオンちゃんがまた引きこもったらウチらじゃどうしようもなくなっちゃうでしょう」
「だがシャトラ……っと。もう、動けるのか」
「うん、なんとかね。どこかへ行こうってのにウチだけ足手纏いにはなりたくないし。リオンちゃんがせっかく解呪してくれたんだし頑張ったよ。……ずいぶん眠いけど」
「すみませんシャトラさん。ボク、回復はからきしで」
いいのいいの、とシャトラがふらつく足取りながらも冗談めかして手を顔の前で振っている。
リオンが多方面での力不足を嘆くようにどんどん小さくなっていくように見えたので、あたしはその肩にぽんと手を置いて大丈夫と告げた。
そうしてから横目でルネを一瞥すると、彼はあたしたちの様子をどこか羨ましそうに見ている――そんな気がした。
「場所のことはあたしに任せて。――リオン、勝手はわからないけどあたしが補助するから、ありったけの力で転移の術を使って欲しい。もちろん、力を使い果たさないくらいで。それでも距離は大丈夫、なはず」
「……わかりました。セナさんを信じます」
「セナ、今のお前がそう言うってことはそうなんだろう。だがお前は無理をするな。絶対にするな。――それ以上は、許さない」
「ん……わかってるよ。ありがとう、デゼル」
デゼルは思えばずっとあたしの心配をしてくれていた。あたしがこうなったことにいち早く気がついて憤慨してくれたのだ。本当に、頼もしい。
ふと空を見上げると、一面緋色に染まっていた。その端からどんどんと濃紺が侵蝕を進めている。
もうすぐ夜になってしまう。
結界を解いた図書館が既に安全とも限らない。リオンの暴走が落ち着いたと思い、ズメウたちが襲ってきたらひとたまりもないだろう。それを抜きにしても、いまだに至る所から崩壊の音が聞こえるのだ。
可能ならば一刻でも早く離れた方がいい。
「無理をさせてごめんね、リオン」
「いえ! 実はボクもセーランヘルには行ってみたかったですし、行けるのならぜひ」
「でも今あそこってアンスール一人もいないんでしょ? どんな状況なのかな、デゼル?」
「アンスールがいない。ただそれだけだ。オレが出た時も街は機能していたし、劣化もほとんどなかったはずだからな」
「わお。それはすごいね。ウチらを創ったアンスールの街、朽ちることもないなんて」
崩壊の影響をほとんど受けていない図書館の、大ホールとも言うべき場所へと全員で移動した。
闇を溶かして湖にしたような床が一面に広がり、そこかしこに同形状の灰色の本が浮かび、どこともわからない景色を映し出していた。それは常に変化を続けていて、今この瞬間も動いているということだけが、あたしにはわかった。
「セナさん。ここは、ボクの引きこもり部屋です。この図書館にはボク以外、いないし……来ることもなかったので。散らかって、ますけど」
「オレたちは助けられた時に見ているが、改めて見てもすごいものだ。遠見の術があるのは知っていたがここまでとはな。しかも同時にいろんな場所を見れるほどとは。しかも放置したままだ」
「リオンちゃん、ここでずっと一人外を見てたんだよね。それで、セナを見つけてずーっと追っかけてたんだ」
「はい。覗き見てるみたいで、すみません」
「あたしは、気にしてないかな。あーでも、あたしの人生なんか見たって楽しくなかったでしょう?」
「いえそんなことは……」
あたしの耳でも、街の泣き叫ぶ声すら聞こえない静寂が支配した空間。だからか、みんな落ち着いた面持ちで他愛のない話を繰り広げていた。
視界の端でルネだけが少し遠くにいて、あたしの知る彼が浮かべたことのない表情をしている。
ズキリと胸が軋んだ。
気が緩んでしまって涙が出てきそうになるのを必死に堪えながら、あたしは目の前に広がるなんでもない風景を目に焼き付けていた。――ここにルネがいたらよかったのに、なんて思いながら。
「セナ……セナ? どうした?」
「う、ううんなんでもないよ。……なんの話をしてたんだっけ?」
シャトラとリオンが仲睦まじく話をしているからか、デゼルはあたしに話しかけてきた。こんな耳を持っているのに、何も聞いていなかったことを悔やむ。
「色々あったなって……どうした? どこか痛いのか? 無理があるならそんなに急いでセーランヘルにいくことはないんだぞ?」
「大丈夫、大丈夫だよ。ありがとう、デゼル。……そうだ、セーランヘルって、水は使えるのかな?」
「それは問題ないと思うが……なぜだ?」
「君の身体、洗ってあげたいなと思ってさ」
デゼルの身体に色濃く残るシャトラの血痕を洗い流して、元の艶々な白馬に戻してあげたかった。ただでさえ艶がなくなるくらいに彼も疲れているだろうに。
「なんだそんなことか。変なことを言い出すんだな。……だが、そうだな。お前はオレを散々振り回したから、一回くらいはそういうことをしてもらうのもいいだろう」
「うん」
冗談めかしてそう口にしたデゼルの優しげな大きな瞳があたしを見つめていた。
口元が自然と綻ぶのを感じながら、彼の頭と頬を撫でると、デゼルは少しだけ嬉しそうに鼻を鳴らしてから、あたしの手を軽く舐めた。
そして彼はぷいっと、そっぽを向いてしまった。
♢
ふわふわと明滅を繰り返すペンダントを外して右手の掌に乗せると、その拍動がさらに強くなった。
身体の内側から熱が噴き出すように身体中へと巡り、脚にある翼の紋様を白く発光させる。
右目に熱は感じない。もう、あたし以外の意志は存在していないらしい。
「では行きましょう、セーランヘルへ」
リオンがメガネを外し、ペンダントごとあたしの手を握る。彼女の熱と同時に底知れない力が流れ込んで来るような気がした。
「みんな、準備はいい?」
「オレはいつでも」
「ウチも大丈夫だよ」
「ボクも、問題ありません。少しだけ、不安ですけど」
「……」
すぐに返ってきた三人の声。返ってこなかったのは、不死鳥だけだった。
「ルネ、さっきはああ言ったけど、あたしは無理してまでついてきてほしいとは思ってないよ」
「……さすがだね、お見通しか。ずっと過ごしてきたセナなら、わかってしまうんだね。――セナ、僕はね。産まれ直したことで不死鳥の使命を思い出したんだ。でも、同時に前のルネが見届けろって言うんだよ」
「……見届けろ?」
「そう。自らが灯した篝火の行方を見届けて欲しいって。だから……うん。どうか僕も一緒についていかせてほしい」
「……っ。わかった。一緒に行こう」
――使命感ならやめてほしい。
あたしはそうやってルネを突っぱねるつもりだった。しかし同時に、確かにそこにルネが息づいているような気がして、頷きを返してしまう。
そしてまた、転移の術式の起動に集中する。
「デゼル、こっちに来て。サポートしてほしい」
「サポートっつったってどうすりゃいいのか――」
「君の覚えている限りのセーランヘルを思い浮かべて。それで大丈夫だと思うから」
「セナ、お前また――」
大きな舌打ちをしながらもデゼルがあたしのそばに来てその目を閉じた。彼の角の手前にそっと左手を乗せ、脳の力を発動させる。
「――よし、捉えた。リオン、どう?」
「大丈夫です。この距離なら、ギリギリ。でも、この力は……?」
「気にしないで。それじゃあ、行こう」
あたしとリオンの握られた手を中心にあの黒い空間が広がって、あたしたち全員を包み込んでいく。
ぐにゃりと視界が歪む感覚と、感じたことのない浮遊感が全神経を支配した。
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