異端者幻想譚

-ヘレティックファンタジー-
月緋ノア
月緋ノア

あの日の『あたし』へ

公開日時: 2022年6月14日(火) 18:39
文字数:4,414

「どういう、意味?」

「簡単に言うと、人間か、ボクたち、どちらが加害者だと思いますか?」


 そんなの、決まっている。でも。


「この世界は、君たちの侵略を受けて崩壊して……君たちに奪われたんじゃ、ない……の?」


 リオンが哀しげに嘲りを含んだ笑みをこぼす。それは先ほどまでの彼女とは別の顔を映し出していた。


「人間とは、そういう生き物なのですね。自分達に都合の悪いことはひたすらに隠し、歴史すらも改変し後世に伝えることを是とする。――ひとまずこれを、見て、もらえますか?」


 本が開き、光が溢れ出した。そこから空間に刻み込まれるように浮かび上がった文字たちが、あたしの視覚から情報として脳に濁流のように押し寄せる。

 ――あたしの知ってる本と違う。なにこれ?


『突如、現れたる者あり。その現象は我らズメウの行使する転移と、原理は違うようだが性質は似ているようだった。彼らはこの世界に住む住人の一部の種と酷似した容姿をしており、我らが解さぬ言葉を喋る。――観察を続ける』


 どくん、と心臓が跳ねる。


『我らは彼らのことをファルと呼称。ファルは融和を冠するアンスールの元へも出現したようだ。彼女は彼らを受け入れたが――相互理解に苦悩しているようだ』


 何かが崩れる音が頭の中で響き渡る。


「セナさん、あなたには当たり前にできることが、ボクらや人間たちにはできなかったんです」

「え? それって……?」


 さらに文字が吐き出されていく。


『建設設計、思考ともに理解不能な建物群と共に現れたファルに対して我らは術を施した。彼らの脳に術を刻み込み、相互理解を図る。試みは成功し、彼らと意思疎通が可能になる。ファルは自分達のことをと呼び、施しをした我らのことを崇拝し始めた。この世界の知識と生存の術を与える代わりに彼らの技術、思考の理解を進めることにする。――観察を続ける』


 言葉が通じない? そんなはずはない。あたしはツァイクーンとも、シャトラとも、デゼルともルネとも、リオンともこうして会話をしているではないか。

 しかし、思い返せばズメウの司祭もそんなこと言っていたような気がする。


『融和の街がファルによって侵略され乗っ取られたようだ。従い、彼らとの友好的な関係も閉ざさなければならなくなった。自然に滅びるだけでは忍びない。繁栄はさせず、我らの糧として生きる道を歩んでもらうことにした。彼らは従順だ。――以後観察は不要と判断し、必要以上の記録を終了する』

 

 やがて本は紡ぎ出した言葉を飲み込んで輝きを失い、力無くパタリと床に落下した。

 内容の理解はできる。そしてそのファルっていう人間たちの末裔が、ユウだってことなのだろう。

 リオンたちの世界からすれば人間は侵略者なのだ。でも、人間たちはどこから? いやそんなことよりも、突然言われたって信じられるわけがない。


「嘘だ。そんなはず、ない」

「信じられないのも、その、無理はありません。幼い頃から教えられてきた礎が間違っていたなんて、到底、信じられるわけがありませんから」

「あはは、どうしていいか……少し、頭の整理をさせてほしい」


 理解はできていた。この、アンスールの脳と呼ばれたあたしの中身は、いとも容易くその内容を噛み砕き、飲み込んで納得している。しかし、しかしだ。気持ちの面ではそうはいかない。でも、妙に納得している自分も存在しているのは確かなのだ。なぜなら、なぜなら――。


「あの、大丈夫、ですか……? えっと、こんなこと言われても困りますよね」

「少し、外の空気、吸ってきてもいい?」

「も、もちろんです。案内しましょうか?」


 弱々しく首を横に振ると、リオンは少しだけ傷ついたような、悲しそうな顔をした。でも、そんな彼女を気遣っている余裕が今のあたしにはない。

 頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられているみたいで、一息入れないとおかしくなってしまいそうだ。

 身体の痛みなどお構いなしで走り出した。

 どこをどう走っていたはわからないが、やがて外に出ることができた。

 しとしとと降り続く雨が、あたしの鼓膜を優しく満たしていくようだった。雨の音以外には何も聞こえない。他には何ものも、この世界で音を発していないかのように。


「……信じていたものが崩れるってこんな感じなんだね。でも、ツァイクーンも、シャトラも……優しかったんだもん。わからないよ」


 あたしは、みんなの世界を壊した人間の末裔。それなのに彼らは普通に接してくれた。たくさん引っかかることがあったような気がするけど、それを忘れてしまうくらい、一緒に旅した彼らはあたしを受け入れてくれていたのだ。


「よう。雨に濡れる趣味があったとはな」


 ぱしゃん、ぱしゃんと足音が近づいてきて、その声はデゼルのものだった。

 濡れそぼっていくあたしに寄り添って、彼も身体を濡らしていった。――何も、言わずに。


「ねえ、どうして」

「うん?」

「どうして、デゼルはそばにいてくれるの? 頼まれたから?」

「最初はそうだったが今は違う。自分の意志だ。あー、そうだな。人間は嫌いだが、セナ、お前のことは嫌いじゃない。一緒に過ごしてわかったんだ」

「何が?」

「お前はお前だってことがな。……そこにいる奴も、きっとそうだから一緒にいてくれてるんだと思うぞ」

「はは、バレちゃったか」


 さっきよりも小さな、軽い足音がして。

 今にも泣きそうな顔をしたシャトラがあたしの前へと現れた。随分とびしょ濡れで、綺麗な顔が台無しになっている。


「さっきはごめんね。ウチも長生きのくせに大人気なかったかな。でも――デゼルのいう通り、セナがセナだからウチもここにいるんだよ。そしてこれからも、ずっとね」


 雨の雫に混じって熱いものが流れ出していく。迫り上がってくる嗚咽を抑えることができずあたしは、泣き出した。

 雨はどんどん勢いを増して、あたしの声をかき消していくかのように、すべてを包み込むように降り注いでいた。


 

「なぁセナ、エインヘルのことを知りたいか?」


 ひとしきり泣いて屋内に戻ったあたしにデゼルがそう切り出した。

 あたしは少し考えて首を横に振る。


「知りたいけど、今はいいかな。うーん、なんて言っていいかわからないけど、いいんだよ」

「そうか。ならそれもいいだろう」


 本当は、それを聞いてしまったら彼がどこか遠い存在になってしまうような、そんな予感があったからなんだけど。

 シャトラが火の精霊の力を使って空間を暖めてくれているおかげで、芯まで冷えるような寒さはだいぶ和らいでいた。


「ねえ、デゼル、シャトラ。リオンが言ってたんだ。この世界に侵攻したのは人間だって。――本当なの?」

「……オレは、人間が大嫌いだ」

「ウチは、その後に生まれてるからあまり詳しくはないんだけどね。聞いた話ならそう、かな」

「そう、なんだ」


 重いため息をついた。どうやら、本当のことらしい。だけど、と考えてしまう自分もいた。


「もしオレたちの言葉だけじゃ足りないなら、そうだな。確かめればいい」

「どうやって?」

「それは――」

「こ、この街には、人間側の記録が残された区画が維持されているはずです。そこへ行けば、あるいは」


 リオンの声に振り返ると、彼女はおずおずとした様子で棚に隠れて遠目にこちらを覗いていた。


「ご、ごめんなさい。立ち聞きするつもりは、なくて。で、でもセナさんが、気になって」

「あー、それはいい。リオン、この街にあるのか? そんな場所が」

「……うん。あるよ、人間たちが残し続けて、デッカルヴとズメウで保存し続ける場所が。たぶん今も、維持はされているはず」

「よし。決まったな。なら共に行こう、セナ。何があってもお前をそこに連れて行ってやる。――当然、リオンも来るだろう?」

「え!?」


 リオンは困惑して棚に隠れてしまう。そしてまた恐る恐るこちらを覗き込んで、びくびくと身体を震わせている。


「む、無理です! だってボク、ですから」

「そんなわけないでしょ。ウチらを転移させたあの術だって並のものじゃない。それにきみ――あいつらと違って澱みのほとんどない綺麗な力を宿してる。それは大精霊の力ね?」

「ど、どうしてわかるんですか?」

「アールヴだからね。精霊とは大の仲良しなのよ」

「うぅ……でも、ボク、他のズメウは苦手で……」


 どうやら彼女自らは本当に動きたくないらしい。でもその怯え方、恐れ方には既視感があった。よく似た姿をつぶさに覚えている。

 過去のあたしと、同じだ。ああやって物陰に隠れて怖いものから逃げて、外に出ないことで迫害から自分を守る。たぶん、普通のズメウと違う彼女の見た目と関係があるのだろう。あたしがそうだったからそう思うだけかも、しれないけれど。


「そこまで言うのなら、無理にとは言えないな」

「でもデゼル、ルネがいるならともかく、ウチときみだけじゃどうしても無理があるよ。見せていないだけで、きみはとても強いんだろうけどさ」


 弱々しく鼻を鳴らして、頭を悩ませるように俯くデゼル。シャトラはとても冷静だった。その言葉には無謀なことをしたくない、という強い意志が宿っている。

 あたしはそんな二人を尻目にリオンの元へと歩み寄る。震える彼女の両肩に手を乗せてその揺れる瞳を見据えた。


「ありがとう」

「え?」

「君は、あたしに嫌われることも覚悟してあたしに真実を教えてくれようとしてくれたから。――でも、それはどうして?」

「それはその、えっと――セナさんが、この世界のこちら側で生きる人だと思ったから……知ってほしくて、本当の、こと」

「それがあたしを傷つけるとしても、それを伝えたは??」

「あ、う……あ、あなたと、わかり合いたかったから……対等な、立場で。あなたなら、わかってくれる、気がしたんです。――ボクのこと」


 視線を下げ俯いてリオンは言葉を吐き出していく。やっぱりだ、なぜだか知らないが、彼女はあたしのことをよくらしい。


「じゃあ最後に聞かせてほしい。あたしに声をかけて、ここに呼んだのはどうして?」

「それは、ただ純粋にお話がしたくて……ボクと同じなのに、強く生きるセナさんとボクのどこが違うんだろうって、それを、教えてほしくて」

「なるほどね。それは――あたしと一緒に来たらわかるよ。きっとね」

「あっ――でも、ボクなんかがついて行って、本当にいいんでしょうか? ボク、もう誰も傷つけたく、なくて……ずっとここに篭りっきりで」


 リオンの高鳴る心臓の音が聞こえてくる。その瞳に宿るほんの少しの期待も、見てとれた。彼女はきっと探していたのだ。そしても。

 ――ツァイクーン、あの時のあなたもこんな気持ちだったのかな。そうだったら、嬉しい。ようやくあたしも、あの時のあなたに。


「行こう、リオン。あたしたちと一緒に。怖いなら、あたしが手を引くから。――ね?」


 一歩下がって、差し出した手。

 リオンの目尻に涙が浮かび、こわばった顔に嬉しさが波及していく。

 彼女は震える手で、手を伸ばす。

 その手を半ば強引に握りしめ、あたしは彼女を引き寄せた。

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