異端者幻想譚

-ヘレティックファンタジー-
月緋ノア
月緋ノア

三章 答えと責任と

蝕む言葉、抱きしめる心

公開日時: 2022年6月18日(土) 11:09
文字数:4,079

「ここで待っていてね。必ず、戻ってくるからさ」


 かつてはルネだった灰に語りかけて、微笑む。

 君が悲しむような結果だけは、避けるように努力するから。だから許してほしい。もう一度彼らと相対することを。

 灰は答えない。当たり前だ。だけど、ほんの少しだけさらさらとその山が崩れたように見えた気がする。


「セナ。――ああ、そうだな。ルネ、お前に託された二人は守り通そう。そして、新しい仲間も」

「ウチも守られるばかりは嫌だから、やれることを頑張るね」

「ボクも、今度こそ……」


 立ち上がり、みんなの声に振り返る。


「行こう。人間側の答えを確かめに」


 濡れた身体を温め、休んでいる間に屋根を叩く雨音は次第に弱くなっていった。

 一通りの簡単な準備を済ませ、外に出る。

 ちらりと空を見上げると日の光が差し込み始めていて、エメラルドグリーンをした空が顔を覗かせている。

 時刻は昼を回ったあたりだろう。


「それでは、みなさん……手筈通りに、お願いします。――維持区画の場所は伝えた通りです。ボクがここの障壁を解除したら、ズメウたちの関心は必ずこちらに向くはず。ですから、どうかその内に」

「本当にいいのか? お前一人に彼らを背負わせて」

「……ありがとうございます、デゼルさん。でも、お気遣いは無用です。彼らはボクを無視するわけにはいきませんし、ボクにはそれだけの力が、ありますから」


 視線を下げ気味に、リオンは答える。その肩が小刻みに震えているのがわかった。だから声をかけようとしたけれど、シャトラとデゼルに止められてしまう。


「覚悟を揺るがせないこと、よ。リオンちゃんにはリオンちゃんの果たす役割への覚悟があるの。それはセナ、きみが決意させたもの。きみにはきみの役割があるでしょう?」

「その通りだ。それに、彼女だけが大変なわけではない。……オレたちに向かってくる奴らも少なからずいるだろう。それはオレたちだけで突破して進まなければならない」

「うん。……わかってる」


 歯を食いしばり、リオンへの言葉を飲み込む。代わりに別の言葉を口にすることにした。


「リオン」

「は、はい? なん、ですか?」

「――頼りにしてる」

「えへへ。任せて、ください」


 リオンはいろんな感情が絡み合ったような顔で笑った。その瞳は常に何かに怯えているように震えているし、唇だって血色が悪い。それでも、そんなものを抱えながらも彼女はふわりと笑ってみせた。

 彼女は弱くなどないのだ。決して。

 我ながらズルいことをしてしまった自覚があるが、どうやら彼女の背を押せたらしい。

 軽く息を吐いた後、デゼルの背にシャトラと共に跨り、合図を待つことにした。


「では、障壁の術を解きます。――すう、はあ……」


 リオンがメガネを外し目を見開いた。その黄色と紫の溶け合った瞳に縦の線が刻まれ、纏う空気が変質するのを肌で感じる。

 それと同時に首、手足、そして顎から口にかけて蝕むかのように生え出したそれは――鱗だ。顔と長い髪を除き、見える範囲は黒々とした鱗に覆われてしまう。


「そうか。セナは初めてだな。これがオレたちが初めて見たリオンの姿だ」

「やっぱり。この空気……さすがはエジダイハと大精霊の血を引くだけのことはあるね。……精霊たちが怯えてる」

「あはは。あまり見ないでほしいかな。でも、ようやくこの時が来たよ、お父さん。――今まで、守ってくれて、本当にありがとう」


 大気がひりひりと張り詰め、震撼する。障壁は一瞬光を放ったかと思うと、跡形もなく空気に溶けるように消失した。

 瞬間、湿った風が吹き抜け、むせかえるような息苦しさに襲われる。風の流れが澱むような、聞くに堪えない嵐の旋律が耳を支配した。そして、驚愕の声が濁流のように流れ込んでくる。


「まさか彼女が自ら解いたというのか、まさか」「そんなはずはない、彼女は臆病者だ」「だが解かれたというのであれば」「総力をもって」「いくら彼女であれど殺さねばならぬだろう――誇り持たぬ、恐れを振り撒く者には死を」

『恐れを振り撒く者には死を!』


 無数の声が重なり、それを口にした。それを聞いたリオンが一瞬怯むのを視界の端に捉える。


「リオン!」

「――大丈夫。ありがとう、セナさん。デゼル――ボクが合図をしたら行くんだ」


 視線を戻すと、あらゆる力の飛来物が視界を飛び回っていた。それは火であったり、水であったり、風であったりと様々だ。そしてその全てがおそらくリオンへと向けられており、あたしたちを巻き込むのも厭わないのがわかった。

 到達の直前にあたしは目を逸らし、瞼を閉じた。音だけを頼りに状況を頭に浮かび上がらせていく。

 リオンがいずれかの手を前に差し出し、空気を切り裂く音がして。飛んできたはずのものは彼女に到達することなく、音を発するのをやめたらしい。

 それだけで、わかった。


「すごい……」


 目を開けると彼女はおろか、あたしたちにも傷ひとつない。それどころか飛来物の痕跡すらも残っていないようだった。


「お返し。……同じ術だよ。防いでみせて」


 間近で空間が歪む嫌な音がして、それはリオンの指先から溢れ出して飛び去っていく。やがてそれは遠近両方の建物を抉り取り、炎上させ、崩落させる。それが多大な粉塵を巻き上げ白煙と化し、正面の風景を覆い尽くしていく。


「今だよ。行って!」

「ああっ!」


 デゼルが大地を蹴って飛び出し、真っ白な景色へと侵入し、駆け抜ける。その視界は最悪だが、ここからはあたしの役割だ。空気の震える音を頼りに彼を導いていく。


「アンスールの脳が逃げたぞ! そちらに何人か――っうお!?」


 叫び声を残してズメウの声が途切れる。

 リオンの的確な援護だろう。視界が全く使えない中でここまでできるなんて、彼らとは強さの次元が違い過ぎているようだ。

 それからほどなくして戦火の旋律は遠くなった。

 静寂が支配する廃墟で、デゼルが大地を叩く音やシャトラの落ち着いた呼吸が耳に心地よい。だが、デゼルが緩やかにスピードを落とし始めた時、冷たい異音が微かに鼓膜を刺激した。


「デゼル、そのまま走って。スピードを落とさずに」

「……んあ? わかった」

「どうしたの? セナ」


 静かに、とシャトラに合図をしてから口を開く。


「あの武器の音がしたの」


 あたしの腹に風穴を開けた武器の冷たく硬い音が、風に混じって聞こえてきたのだ。

 集中して音の出どころと相手の数を探る。

 一人。かなりの距離で、正面からわずかに左方向。待ち伏せのつもりか、動かない。それとも、それだけの飛距離がある武器なのかもしれない。でもこの息遣いにだけは覚えがある。


「デゼル、その勢いのまま右側の建物の影に」

「わかった」


 デゼルが指示通りに建物の影へ。そこでひとまずは彼の背から降りて息を潜めることにする。

 リオンに教えてもらった維持区画まではあともう少し。だが進行方向には待ち伏せが――ズメウの司祭がいる。そこを抜けなければ辿り着けない。

 ――そういえば、ユウが呟いていたっけ。未来でもわかるのかって。


「ルネを殺したあいつがいる。今は死角になっているけど、こちらを狙ってるみたい」

「よく気付いたな。数は?」

「彼だけだよ。他に気配はない、かな。みんなリオンの方に行ったみたい」

「なら早く片付けてリオンちゃんの元に戻らないとね。――任せて、ウチがやるよ」

「えっ? でも……」


 すっと立ち上がるシャトラは有無を言わせぬ気配を漂わせている。さっきは無謀は嫌だと言っていたのにどうして。


「アイツだけは、ウチにやらせて。セナのことも、ルネのことも許せないもの」

「待って」

「――待たない」

「違うの。確実に仕留めたいのならあたしと協力して」

「ウチの腕が信じられない?」

「シャトラ。……お前は冷静さが欠如している。いったいどうしたんだ?」


 デゼルが鋭く咎めると、シャトラは悲痛そうに表情を歪めた。へなへなと地面にへたり込む。


「ねえセナ、変なこと聞くけどさ。弓とかそういうことで、もしかしてツァイクーンさんとも喧嘩した?」

「……うん」

「そっか。……でもウチにはこれしかないんだ。ズルい武器だけどこれしか、きみのためになるものがないんだよ。だからせめて、ズルくてもなんでもいいから、きみの役に立ちたい」


 弓を、指が真っ白になるほどに握りしめて彼女は涙まじりの声でそう吐き出した。普段の彼女からは想像できないほどの、顔だった。

 シャトラにこんな顔をさせてしまったのはあたしだ。あたしの心無い言葉が、彼女をこんなにも蝕んでいる。それなら、今あたしにできることは。

 彼女の肩を強く握りしめて、その潤んだ碧色の瞳をじっと見つめて口を開く。


「石を、投げ返してくれるのは妹だけだった」

「え? なんの、話?」


 シャトラは本当に、わからないという顔をして。あたしの次の言葉を待つように、力のない視線であたしを見つめ返した。


「あたしは、そんな妹のことが大好きだったの。――ただ、それだけ。……わからないなら、いい」


 最後の方は視線を逸らしながらボソリと呟いただけだった。彼女の肩からゆっくりと手を離してデゼルを一瞥すると、彼はため息をつくようにフルルと鼻を震わせる。

 不器用だな。そう言われている気がした。


「そっ、かぁ……。はは、そうなんだ」

「それに、シャトラはあたしを致命傷から治してくれたでしょ? むしろそれ以外も貰う方があたしにはもったいないかな」

「はは、なにそれ」


 くしゃりと笑うシャトラの目尻から雫が一つ、頬を伝った。

 この間、司祭に動きはなかった。当然、向こうからすればここに逃げ込んだのは把握済みのはず。彼にはあの武器に頼らずともこちらを攻撃する手段はいくらでもあるだろうに、だ。

 

「あいつ、こちらの位置わかってるはずなのに攻撃してこなかったね。――たぶん、怖いのね。自分の位置を露見してしまうのが」


 考えることは同じらしい。さすが元狩人。


「その点、ウチらは狩人。相手に位置を知らせるのを逆手にとって炙り出してやろう」

「雨降って何とやら、か。オレも協力するぞ」

「ダメ。デゼルはここに隠れてて。ここはウチとセナに任せて。――ね?」

「……わかった」


 しゅん、とするデゼルを横目に顔を見合わせて笑う。

 反撃開始だ。

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