「でっかい獣の影を見た?」
あたしの話を聞いた全員がぽかんと口を開ける。信じていない顔だ。仕方ないけど。
結局のところあたしは日が昇り始めても眠れなかった。それなのに眠くもない。こんな日もあるか、なんて片付けられる問題じゃない気がしていた。
「特徴は? どんなやつだったんだ?」
「遠目だったからはっきりとは見えなかったんだけど……」
「なんでもいい。特徴が少しでも分かればわかるかもしれねえ」
デゼルが息巻く。少し顔に焦りを滲ませ、ブルルっと鼻を震わせた。
ここは彼の厩舎から外に出てすぐの一面が白金色の広場だ。何もなくだだっ広いだけだが、何かあれば対応ができる場所でもあった。
「見た目はデゼルみたいだなと思ったけど、もっともっと大きかったと思う。んー、あとは……あ、月――じゃなくてアンウルの光を浴びて身体がキラキラしてた」
「身体がキラキラ?」
「なんていうのかな……鱗みたいな光り方じゃないかな、もしかしたら」
「なっ……見た目がオレっぽくて身体に鱗だと?」
デゼルは心底、本当に心底嫌そうな顔をした。――どうやら心当たりがあるらしい。頭を抱えているように随分と悩み込む様子を見せる。
「僕はそのお方を知ってるよ。――それは獣の王と呼ばれる、この世界にただ一頭しかいない生物のことだね」
「……ああそうだ、ルネ。その通りだ。そいつは古代種で、名は――ニルィクという。龍の頭、鹿の体、牛の尾、馬の脚を持ち、鬣は金色で鱗を纏っている。原種の王の一つの形であり、創造種の一柱として君臨するとされる幻の生物だ。まさかセーランヘルにいるとはな」
「色々難しい言葉が出てきたね。――もっと簡単に教えてくれる?」
鼻を鳴らしたデゼルがため息を一つ漏らして、ルネと顔を見合わせる。
リオンはなるほどといった様子だがシャトラはさっぱりという感じ。
「セナさん、そんな簡単な話ではないんですけど……かいつまむとですね、この世界においてアンスールが生み出したわけではない動物たち――馬とか牛とかを生み出したといわれる、いうなればアンスールと同格かそれ以上の存在にあたります」
「たぶん、ウチらじゃ天地をひっくり返しても敵わない相手ってことだと思うよ、セナ」
「へぇ……?」
「あー、なんかこう悔しいが、簡単に言えばそういうことになる。しかもそいつはこの世界で数少ないアンスールとまともに戦って殺せる存在だ。なんでこんなところにいるかは知らないが、敵に回さない方がいいのは間違いないだろう」
苦虫を噛み潰したような顔とでもいうのか、そんな顔でデゼルが歯軋りをした。そこにどんな想いが煮えたぎっているのか――心底嫌そうな顔の理由はそこにあるのだろう。
――おそらく見てきたのだ、彼は。
「リオン」
「はい?」
「いつでも転移をできるようにしておけ。ばったり遭遇して雲行きが怪しくなればすぐにでもセーランヘルから離脱する。セナも、すまないがそれでいいか?」
こくりと頷くと、そこで話が一度途切れた。
各々考え込むような沈黙が流れる。
「それじゃ、ここからどうしよっか。エインヘルさんの手がかり、それしかないんでしょ?」
破ったのはシャトラ。
彼女があたしの胸元に指先を向け、そのままあたしに歩み寄り、そっと指先でペンダントに触れた。
「あれ? 微かだけどまだ……?」
ふわりとペンダントが微光を放ちながら浮かぶ。それをシャトラが両手の上に乗せてじっと見つめた。まもなく碧色の瞳がくいっと上向いてあたしの顔を覗き込んだ。
「もしかしたらまた、これが教えてくれるかもよ?」
「そんな都合のいい話があるわけないじゃない……ここに案内してくれたのもこれなのに」
「だからこそだよ。ない、なんて言い切れる? ウチはこれからまだ力を感じるけどな?」
目前でにやりと妖しげな笑みを浮かべたシャトラについ見惚れてしまう。その大きくて鋭い瞳が期待の眼差しをあたしに向けていた。
「シャトラの言う通りだろうな。もしエインヘルがここまで導いたんだとしたら、ノーヒントでこんなところに放り出すわけがない。オレに情報がないことは承知のはずだしな。やはりセナ、お前自身かそれに手がかりがあると踏むべきだろう」
「でも、こちらからアクションを起こせばいいのかはわかりませんね。……そういえばセナさん、昨日それが光ってた時って勝手に光り出したんでしたよね?」
こくり。
もしかすると右目の視力の回復と関係があるのかもしれないが、もう回復した後だ、ここからどうしたらいいかはわからない。
「悩んでいても仕方ないよ。街に手がかりがあるかもしれないし、少しずつ調べてみようか。あたしがなんとかできるとよかったんだけど」
微光を放つペンダントを左手で握りしめて胸に抱く。
とくん、と伝わる自分の心臓の鼓動を聞きながらよし、と呟いた。
♢
セーランヘルは夜に散策した通り、白金色の回廊がどこまでも続き、その脇に真四角のさまざまなサイズの建物が整然と立ち並ぶ異様な街だ。
アンスールが立ち去って久しいらしいが、それらしさは微塵も感じられない。無機質ではあるものの、街全体は生きている――ないしは機能しているようだった。
「なんていっていいか。綺麗だけど街っぽくはないのかも? まだリオンちゃんのいた場所の方が街っぽかったかな。理由はわからないんだけど」
「そうですね。しかも思ったより随分と狭いみたいです」
「アンスールは基本的に増える種族ではないからな。それなりの数は最初からいるが……この建物にしても、使われていなかった場所も多いはずだ。――なぜかは知らないがな」
どこまでも続くかと思われる同じ景色を見てげんなりする一方で、見たこともない場所というものは存外心が躍るのだろう。ぽつぽつと会話が始まっていた。
「物知りなデゼルにも知らないことがあるんだね」
「当然だろう。知ってることしかオレは知らないし、新しいものには惹かれる。オレにもそういうものはある」
とても流暢に話すデゼルの言葉。
いまさらなことではあるけど、デゼルにしてもルネにしても、形が動物なだけで中にはれっきとした人格が宿っているようだ。普通の動物とは明らかに違う彼らの言葉や感情は一体どこからきているのだろう。
「どうした?」
「ううん。君がとてもあたしたちに似ているなって。あんなに人間を嫌っていたのに」
「オレが人間を嫌っているのはエインヘルの件があるから、それだけだ。そんな奴らとどういう意味で似てるのかは理解に苦しむが、オレはオレとして生きているだけだぞ」
――ほら、そういうところ。
右目で視たからわかる。彼は――いや彼らユニコーンは、アンスールに生み出されたアンスールのための忠実で誠実な従者だ。アンスールの目となり腕となり、世界を奔走して主人のために働くのが主な仕事。
なのにこんなにも感情が豊かで言葉が上手だ。そんな彼にあたしはどれだけ救われたろう。
くすくすと口元が綻び笑みが溢れる。
「笑うところか?」
「ごめん、出会った時にはこんな風に話せるとは思ってなかったから」
「……お前が前向きに進み続けた結果だろう。オレとてそんな姿を見せつけられて心が揺るがないわけじゃないさ」
隣で蹄が地面を叩く音がする。硬質な床を打ち付けるそれはあたしの耳には心地いい。
「見てください、みなさん」
似たような景色の中を歩き続ける中で、リオンが回廊の床を指差しながら声を上げた。
「足跡……だな。大きい、蹄の跡だ」
デゼルが舌打ちをこぼした。
あたしの足跡が汚れすらつかなかったのとは明らかに違う。
――これは、つくはずのない足跡を、意志を持って付けているらしい。
足跡すら残らないと思っていたセーランヘルの床に打ち付けられた、蹄の形。デゼルの脚とは比べるまでもなく大きかった。
「これは、本物かもしれねえな……できれば会いたくないものだが」
「あー!」
「うおわっ、どうしたシャトラ急に叫んで」
「セナ、急だけど一つ提案があるんだけどさ」
シャトラがにんまりとした妖しい笑顔をこちらに向けていた。
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