「…………あるのか、コーヒー?」
「はい。わたしは好きですよ、コーヒー」
「で、でも……メニューに無いよな?」
「そうですね。みなさん、苦いと言って飲まれませんので」
まさか……
「陽だまり亭にコーヒー豆とか、……あるのか?」
「ありますよ。お祖父さんがコーヒー好きでしたので、ミルやサイフォンなんかも揃っています」
ジーザス……
「……もっと早く教えてほしかった…………」
「えっ!? あ、あの……すみません」
「いや……いいんだ。すまん」
完全に勘違いしていた。
思い込みというやつだ。
陽だまり亭やカンタルチカという飯屋にコーヒーが置いていなかったこと。
そして何より、ラクジュアリーにもコーヒーは置いていなかったのだ。
その時点で俺は、『この世界にコーヒーはない』と結論づけてしまっていた。
それが、…………ある、だと?
「これが終わったら、ちょっと淹れてもらおうかな」
「はい。わたしも久しぶりに飲みたくなりました」
いそいそと、洗濯物を干していくジネット。
結局、大した手伝いも出来ないまま洗濯物は干し終わってしまった。
「では、コーヒーの準備をしますね」
本来ならば、これから教会への寄付の下ごしらえをする時間なのだが、俺の頼みを優先させてくれるらしい。
「少し、時間がかかるかもしれません」
「じゃあ、俺が下ごしらえを進めておくよ」
本来であれば、俺がコーヒーを淹れてジネットが料理という方が適材適所と言えるのだろうが、なんとなく飲んでみたいと思ったのだ。ジネットの淹れるコーヒーを。
もしかしたら、俺の知ってるコーヒーとはまるで別物かもしれないしな。
洗濯カゴを階段下のスペースに置いた後、ジネットが食糧庫へと入っていく。
これまで何度も入っているのに、食糧庫でコーヒー豆を見かけたことはなかったな。
「見てください。これがコーヒーになるんですよ」
それは紛れもなくコーヒー豆で、焙煎前の生の豆だった。
「焙煎はどうするんだ?」
「自分でやります。お祖父さんに一通りやり方を教わりましたから」
それはなんとも本格的だな。
「これは、どこで手に入るんだ?」
「アッスントさんに言えば持ってきてくださいますよ」
取り扱ってんのかよ、アッスント!?
言えよ!
「好きな人は好きなようで、売れ行きもそこそこだと、以前に聞いた気がします」
コーヒーは好き嫌いが分かれる。
最初はみんな「苦い」と思うものだ。
その「苦い」に慣れると、癖になる。それを知らなければ、コーヒーをあえて飲む理由などないだろう。
『コーヒーとはこういうもの』という知識がなければ、あの苦さは拒絶してしまうかもしれない。
だが、確かにコーヒーは存在している。
「久しぶりなので、わたしもわくわくします」
道具を取ってくると、ジネットは二階へと上がっていった。
俺はコーヒー豆と、下ごしらえする野菜を持って厨房へと向かう。
で、その途中……
「戻ってこないと思ったら…………」
井戸のそばに転がってるマグダを発見した。
顔を洗っている最中に眠ってしまったようだ。水辺で多少涼しいからだろうか?
「おい、マグダ。こんなところで寝るな」
「……むにゅう…………」
ウーマロに聞かせたら悶絶死しそうな可愛い息を漏らすマグダ。
こいつに早起きなんか無理だったんだろうな。
俺は野菜を厨房へ運ぶと、眠るマグダをお姫様抱っこで食堂へと運ぶ。
おそらく、ベッドへ連れて行っても暑くて眠れないだろう。
なら、空間の広い食堂の方がまだ幾分か涼しい。ここでもう少しだけ眠っていればいい。
コーヒーの香りでも嗅げば目を覚ますかもしれないしな。
「ん…………」
冷たいデザートが欲しいと、ジネットは言った。
「これ、イケるんじゃないか?」
陽だまり亭には、コーヒーがある。
ケーキに使う生クリームがある。
そして、みつ豆を作った時に使った寒天がある。
これらが揃っていれば……、アレが作れる。
夏になれば無性に食べたくなる、シンプルでオシャレなデザート――
「コーヒーゼリーでも作るか」
今日もきっと暑い一日になることだろう。
きっと、冷たいコーヒーゼリーは格別な美味さを発揮するはずだ。
「そうと決まれば……」
俺は野菜の下ごしらえと並行して、コーヒーゼリーの準備に取りかかる。
なにせ冷蔵庫が無いのだ。冷やすとなれば冷たい井戸を利用するしかない。
ちゃんと固まってくれればいいんだが……まぁ寒天はみつ豆の時に実験しているから問題ないだろう。
クリープの代わりは生クリームでいい。
なんだか楽しくなってきた。
高まる俺のテンションに呼応するかのように、高らかに鐘の音が鳴り響く。
目覚めの鐘だ。
今日もまた、暑い日になりそうな、そんな予感がする。
そんなことを考えながら、俺は手始めに、ジャガイモの皮を剥き始めた。
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