「でな! その時のネフェリーさんの美しさたるや……あぁ、今思い出しても胸がときめくぜぇ……スラリとした両手を広げて大空に向かってぴょんぴょん跳びはねる様は……まるで白鳥のように華麗だったなぁ……」
「残念だな、それはニワトリだ」
ラストオーダーもとうに過ぎたというのに、四十区のパーシーがまだ陽だまり亭でくだらない世間話を繰り広げている。
エステラから街門関連の説明を受けた数日後。
今日は朝から適度に混み、適度に空き……というか、ダラダラと客足が途絶えず、頑張るのも休むのもどっちもなんだかなぁという感じの……微妙に疲れる一日だった。
来るなら来てくれた方が諦めがつくのだ。
接客業は、待機よりも、走り回ってる方が楽だったりもするからな。
だが、今日みたいに手すきなのに客が途絶えない日というのは、ちょっと精神的にも肉体的にも疲労が溜まってしまうのだ。
で、そんな一日のとどめが、このバカタヌキだ。
「早く帰れよ。馬車、無くなるぞ」
大会が終わった後も、四十二区の街門の工事やその他諸々と、三区の交流は盛んになったままなので、馬車の定期便は運行を継続している。
「あ、もうこんな時間かぁ……終電無くなっちゃったぁ、泊めてくんない?」
「お前はどこの肉食系女子だ」
あとな、『強制翻訳魔法』……「馬車」だから! 『終電』じゃねぇだろ!? 「その方が雰囲気出るでしょ?」的な変な気の遣い方しなくていいから!
「あっ! やっぱりここにいたぁ」
閉店間際という、夜遅い時間に一人の少女が陽だまり亭へやって来る。頭にタヌキの耳を生やしたしっかり者の女の子。パーシーの妹のモリーだ。
「兄ちゃん。明日は砂糖の大量出荷の日でしょ。朝早いんだから、早く帰ってきてよね」
「えぇ~! い~じゃん、モリ~! 今日だけ!」
「だから……明日の朝から行商ギルドの人と大型取引があるんだよ。今日こそ帰らなきゃダメでしょ?」
「モリーが出来んじゃん。交渉、オレよりうまいしさぁ。モリー可愛いから、行商ギルドのオッサンも高めに買ってくれんじゃねぇか? あはは………………モリーをそういう目で見るヤツは許さねぇ!」
「ごめんなさい、ヤシロさん。うるさい兄ちゃんで」
「いや、モリーは悪くない。罰は兄貴が受けるべきだ」
そういや月の中頃を過ぎると大きな取引が頻発するとか言ってたっけな、アッスントが。
そういうことなら代表者は帰らなきゃいかんよな。つうか帰れ。
「今日はオレ、陽だまり亭に泊まりたい気分なんだよ!」
「俺は今すぐお引き取り願いたい気分だが」
「またまたぁ! あんちゃん、冗談ばっかりぃ~!」
「兄ちゃん。ヤシロさんの目、全っ然笑ってないよ。気付いて。空気読めるようになろうね」
可哀想な汚物を見るような目で兄貴を見つめるモリー。なんて可哀想な少女なのだろうか。家族は、選べないもんな。
「とにかく! オレは泊まるっつったら泊まっから! もし反対するってんなら、工場なんかやめてやる!」
そう言えば、妹が折れると踏んでの行動なのだろうが……パーシーは腕を組んで徹底抗戦の構えを見せる。
……だが。
「……じゃあ、兄ちゃんはもう、ウチの子じゃありません」
とても冷たい声で言い、モリーは踵を返して出口へと向かって歩き出した。
「ちょっ!? ちょちょちょっ! 冗談! 冗談じゃん! モリー!」
「ちょっと、触らないでもらえますか? 自警団呼びますよ?」
「なんでそんな他人行儀なんだよ!?」
「はい。他人ですので」
「おに~ちゃんだよっ!?」
「はい。先ほどまでは」
「フォーエヴァーブラザーだよ!?」
あれ、その翻訳、それでいいのか『強制翻訳魔法』?
なんか、「もうパーシーだからこれでいっかぁ、メンドくさいしぃ」みたいな匂いがぷんぷんするんだけど?
「うぅ……あんちゃん……ウチの妹が兄貴に厳しいんだよぉ……」
「それだけ遊び呆けてて愛想尽かされてないだけありがたく思えよ、放蕩兄貴」
ほんの少しの間、モリーに無視されて本気泣きのパーシーは、大人しく帰ることにしたようだ。
「んじゃ、また来るから」
「おう。今度はもっと早く帰れよ」
「んじゃ、またな!」
「へいへい」
「またね!」
「なんで語尾変えた?」
「ま・た・ね」
「キモいんですけど?」
「ま・た・ぬ」
「『ぬ』ってなんだよ!?」
「んもーーーー!」
驚愕の真実! パーシーは実は牛だった!?
「なんだよ、ウーシー?」
「パーシー! なんだはこっちのセリフだぜ、あんちゃん! なんで挨拶してくれねぇんだよ!?」
またその話かよ……
「パーシーさん」
なんと言いくるめようかと考えていた時、ジネットが静かな歩調で近付いてきた。
「またのお越しを、『従業員一同』でお待ちしておりますね」
「……あ、はい」
「ほら、兄ちゃん。あんまり気を遣わせないの。空気読めるようになってって言ってるでしょう? 酸素吸うの禁止するよ?」
「怖ぇ! 怖ぇよ、モリー!? なに、お前そんな権限持ってんの!?」
「ごめんなさい、店長さん、ヤシロさん。アホな兄ちゃんで」
「いや、モリーは悪くない。罰は兄貴が受けるべきだ」
「それもパーシーさんの魅力の一つだと思いますよ」
「あ、あまり褒めないでください。調子に乗りますので。じゃあ、失礼します」
モリーがパーシーの襟首を掴んで強引に引き摺っていく。
「さぁ、兄ちゃん『従業員一同』で待っててくれるって。それで納得してね」
「いや、でも……」
「空気読めるようになろうね、兄ちゃん。ニワトリさんに嫌われるよ」
「オレ、めっちゃ、空気、読める、ちゅーの!」
「あーはいはい。すごいねー」
そんな会話が遠ざかっていく。
モリー、逞しくなったなぁ……そりゃ、ひと月のうち二十日くらい遊び歩いてる兄貴を持つと強くもなるか。
で、その原因のネフェリーは、やっぱあんま好きじゃないんだな。悪いのはネフェリーじゃないのにな。
「いいところに収まるといいですね」
「パーシーとネフェリーか? どうかなぁ?」
望み薄かもしれないぞ。ネフェリー、獣特徴の無いヤツ好きじゃないみたいだし。あとやっぱお互いの家業の跡継ぎ問題がなぁ……
「いえ……まぁ、それもなんですが…………いろいろと」
「いろいろ?」
「はい」
くるりと振り返り、ニコリと微笑むジネット。
「いろいろとです」
穏やかで優しい笑顔がそこにあって、ほんの少しだけ……胸がチクッとした。
「……ヤシロ」
不意に、背後から声をかけられる。
あぁ、そういえば、マグダはそろそろ眠たくなる時間だよなぁ……なんて思いながら振り返ると、マグダがフロアの真ん中に直立していた。
「……マグダは、新しい秘技を身に付けた」
「秘技? なんだよ?」
まさか、『赤モヤ』がさらにパワーアップしたとか、そういうことか?
いやでも。新しい秘技だっつってるし……つか、それを俺に教えたら『秘技』でもなんでもなくなっちまうけど、いいのかな?
「で、なんだ、その秘技ってのは?」
「……実は、マグダは………………すでに寝ている」
「なにぃっ!?」
そんなバカな!? と、マグダの顔を覗き込んでみると…………
「……寝てる」
それはもう、完全なる寝顔だった。
鼻提灯まで膨らましている。
俺はいまだかつて、起きながらにして鼻提灯を膨らませているヤツを見たことがない。
つまりそれは、今現在マグダが完全に眠っているという証拠!?
「で、では、ヤシロさん……今、わたしたちが会話していたのは……」
「それは…………おそらく…………寝言」
「…………肯定。むにゃむにゃ……」
「起きてない?」
「……否定」
「マジでか……」
「……マジで。むにゃむにゃ」
直立で眠りに落ち、且つ、他人との会話までを可能にするマグダの新しい秘技………………うん、需要ねぇ。
「もう上行って寝ような……」
「…………ふむ……そうする……」
まったく……大会を経て少しは成長したような気がしてたんだがな…………まだまだ子供だな。
「よ……っと!」
俺はマグダをお姫様抱っこする。
あれ?
こいつ、ちょっと重くなってないか?
ついこの前、大会に勝利した直後に抱え上げた時は、興奮していて気付かなかったが……
なんにしても……あっという間に大きくなるんだな、子供ってのは。
「ボインになる日も近いかもな」
「ヤシロさん。心の声が漏れてますよ」
「…………うっしっしっ。ボインになる日も……」
「ヤシロさん。言い直した意味が分かりませんよ」
にこにことツッコミを入れてくるジネット。
変わったと言えば、こいつも変わったかもな。なんというか……落ち着いた、かな? 雰囲気が。
「マグダさんを寝かせたら、ヤシロさんもそのままお休みになってください。戸締まりと後片付けはわたしがしておきますので」
「いや、お前こそ休めよ。働き詰めだったろう?」
「大丈夫ですよ」
「……そうか?」
「はい」
まぁ、俺もパーシーの相手でちょっと疲れたしな……
「じゃ、先に休ませてもらうな」
「はい。おやすみなさい。マグダさんも」
「……むにゅ…………おやしゅ…………」
最後まで言い切る前に、マグダは電池が切れてしまったようだ。
秘技も終了か。
マグダを抱え、俺は二階へと向かった。
マグダを寝かせ、俺も早々に自室へとこもる。
地味に疲れ、ベッドに入ればすぐにでも眠れる自信があった。
実際、ベッドにもぐり込んでまぶたを閉じると、じ~んわりと全身に疲労感が広がり、まどろむまではまだ到達しない程度に疲労感と眠気が襲ってくる。
このまままぶたを閉じて二十も数えりゃ俺は夢の中へ……
「……っとに、困ったヤツだよな」
どうも、最近周りの連中がおかしい。
まぁ、大会のラストであんなことを俺がやっちまったせいなんだろうが…………いや、パーシーやモーマットはその前から少しおかしかった。
「……俺、そんなに顔に出てんのかなぁ……」
頭で考えるのが億劫になり、つい口に出してしまう。
別に誰に聞いてほしいわけじゃない。吐き出しといた方が、そのまま消えてくれそうな気がしたんだ。
「俺…………」
詐欺師なんだけどなぁ……
「パーシーごときに感付かれてるようじゃ……そろそろ…………廃業……かもなぁ……」
詐欺師なんか辞めちまって…………
過去もみんな……忘れちまって…………
このまま……ここで…………
………………はは、ないない。無理だっつの。
もう寝てしまおう。
そう思い、思考を放棄する。
意識が遠のいていき、ぐぅ~……っと、体が沈み込んでいくような感覚に襲われる。
眠りに『落ちる』という表現通りに、俺の意識は深い闇へとのみ込まれていく…………
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