「ヤシロさん……」
「おぉ。おやすみ」
「いえ、そうではなくて…………手を……」
「ん?」
振り向くと、鼻から上だけを布団から覗かせて、イメルダが俺を見ている。
布団の中から白く細い右手がすっと差し出される。
「手を……繋いでいてくださいませんこと?」
…………え、なんで?
「ヤ、ヤシロさんの責任なのですよ!? ……さっきのお話が、その……怖過ぎて……」
あぁ……引き摺る足音なぁ……
「眠るまでの間で構いませんので」
それ……結構しんどいんだけどな。
まぁ、これはしょうがないだろう。そもそも、こいつは夜が怖いから俺をここに呼んだわけで……だから、しょうがなくだ。しょうがなく、俺はイメルダの手を取った。
別に、俺の方が怖くなって人肌が恋しくなったとか、こいつが寝た後、俺どうしたらいいんだとか考え始めたら無性に怖くなってきたとか、そういうことではない。
しょうがないことなのだ。
…………マジで、どうしよう。こいつが寝た後。
「あの……ヤシロさん」
繋いだ手をギュッと握ってくるイメルダ。
俺はベッドに腰を掛け、イメルダを見下ろすように顔を覗き込む。
「ヤシロさんはどうしてオバケが怖いんですの?」
「どうしてって……」
理由などあるのだろうか?
誰しも怖いものではないのか?
…………いや、平気なヤツは平気か……じゃあ、なんでだ?
改めて考えてみる。
俺は、いつからオバケが怖かったのか…………あぁ、そうか。
「女将さん……俺の母親がな、俺がまだガキだった頃に言ったんだ。『いい子にしていないと、窓から怖いオバケがやって来て連れて行かれちゃうぞ』って」
「ひぃっ!? 窓が怖いですわ!? 窓が怖いですわ!?」
いや、落ち着け。
ガキの頃の俺でも、そこまでは取り乱さなかったぞ。
けど、その言葉がスゲェ怖くて、カーテンの隙間とか……死ぬほど嫌いだったっけな。
「い、いい子というのは……ど、どういう子のことなんですの? ワタクシはいい子に分類されますの? されませんの?」
まぁ、客観的に見て『いい子』ではないよな。
引っ越しを強行するし、そのせいで人を巻き込んで迷惑かけまくるし……
「ワタ、ワタクシ……いい子になりますわ! 絶対なりますわ! ……だから、連れて行かないでほしいですわ…………お願いします……わ」
けれどまぁ、ここまで怖がらせることもないだろう。
怖くて眠れなくなった俺に、女将さんが言ってくれた言葉。それをこいつにも教えてやろう。
「あのな、イメルダ。そんな怖がらなくても大丈夫なんだぞ」
「…………どうして、ですの?」
泣きそうな、少女のような瞳が俺を見上げてくる。
普段からこれくらい大人しければすげぇ可愛いのに……
「お前のことを見守っていてくれる人がいるからだよ」
「――っ!?」
一瞬、繋いだ手に力がこもる。
それからじ~んわりと温かくなっていく。
……あれ? なんだ、この反応?
「そ…………それって………………ヤ、……ヤシロさん…………の、ことですの?」
「バッ!? ち、違うわ!」
なんで俺がお前を見守ってなきゃいかんのだ!?
つか、このシチュエーションでそんなこと口走ったら、お前、それもうプロポーズじゃねぇか! 違うからな!?
「亡くなった近親者とか、ご先祖様とかだよ!」
「亡くなった…………では、お母様、ですのね。ワタクシを見守っていてくださるのは……」
ぽつりと漏らされたその言葉に、一瞬心がざわついた。
そっか。やっぱこいつの母親……
俺はそっと視線を外し、窓の外を眺めた。星の綺麗な夜だった。
「そういえば、お母様もよくワタクシに言っていましたわ。『悪いことをすると、この世の者ではない者に好かれて付き纏われる』と……」
「それは……怖いな」
まぁ、どこの世界でも、子供のしつけに使われる文言に大差はないってことか。
「けれど、お母様が見守っていてくださるのであれば…………心強い……です……わ、ね……」
眠気が襲ってきたのか、イメルダの言葉が途切れがちになる。
このまま体の力が抜けて………………抜け…………抜けて……ない、な。むしろ手に「ギューッ!」って力がこもり始めて……イテテテテ! なに!? なんでそんな目一杯握りしめるの!?
「…………もし」
「え?」
手の痛みに耐えてイメルダの顔を見ると、……真っ青な顔をしていた。
「もし……お母様が今のワタクシを見ていて…………『悪い子』だと判断していたら…………ワ、ワタクシは、ど、どどど、どうなってしましましま……」
母親に見られていると困る、という自覚はあるようだ。
「おかっ、お母様がワタクシを連れ去りに来るんですの!?」
「落ち着け! 仮にも親子だろ、そんなこと……」
あるわけない。…………果たしてそうだろうか?
人のよさが取り柄だった伯父夫婦。親方と女将さん。
あの人たちは俺に「まっとうな人間になってほしい」「普通の幸せを手に入れてほしい」と、そう望んでいた。
けれど、俺は……そんな二人の思いをことごとく踏みにじるような生き方をしてきてしまった。
もし、親方と女将さんが俺の行いを見ていて……そして、もし、怒っていたら……?
『ヤシロ……お前にはガッカリだ……』
『こんな悪い子に育っちゃうなんて……育て方を間違えたのかしら……』
『ヤシロ……』
『ヤシロ……』
『『もう一度、今度はこっちで一緒に暮らそう……』』
……もしかしたら、あの二人が化けて出てくるかもしれない…………
そう…………
窓の外からこちらを「ジィ~……ッ」と覗き込むように…………
「ほわぁぁぁあっ!?」
「いやぁぁあああっ!? な、なんですの!?」
マズいマズいマズいマズいマズいマズいっ!
俺、二十年以上も恨みを買うような行いばっかりしてきてる!
呆れられる生き方しかしてない!
絶対見守ってもらえてないじゃん、こんなの!
――その時、窓がガタガタと音を鳴らした。
「ぎゃあああああっ!」
「きゃあああああっ!」
見てる!
覗いてる!
親方か!?
女将さんか!?
それとも……もっと怖い……別の『ナニカ』か!?
「はぁぁぁあああっ! 怖ぁぁぁぁあああああいっ! めっちゃ怖ぁぁぁあいっ!」
「や、やめてくださいまし! ヤシロさんがそんなことを言うと、ワタクシまで怖くなってしまいますわっ!?」
「ちょっと窓の外見てきてくれ!」
「無理ですわっ!?」
「何かいるかもしれないだろうが!」
「だからこそ無理だと言っているのですわよ!」
そして、窓がガタガタと揺れる。
「「ぎゃぁぁああああああっ!?」」
もうダメだ……怖い……怖過ぎる…………夜なんか嫌いだ……闇なんか嫌いだ…………俺は早く、温かくて優しい……あの陽だまりの中へ帰りたいと、切実に思った。
――ガタガタ。
「ちっちょへらるぷっしゃぁぁあああっ!?」
「何より、ヤシロさんの悲鳴が怖いですわっ!?」
阿鼻叫喚。嗚呼、阿鼻叫喚。
暗闇に包まれた寝室から、悲鳴が消えることはなかった。
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