そんなわけで、廃屋……もとい、新築の屋敷へと探検隊は足を踏み入れた……あ、いや、探検隊じゃないんだが、なんかそんな気分だ。
「床が軋まないだけマシか」
「軋むはずありませんわ。新築ですのよ?」
の、割に物凄くくっついてくるよな?
怖いは怖いんだよな?
「とにかく、さっさと寝室に行こうぜ」
「は、破廉恥ですわっ!?」
「破廉恥なことなどするかっ!」
「初めて訪れる婦女子の家で、リビングにも寄らずに寝室に直行だなんて……紳士の風上にも置けませんわっ!」
「こんな真っ暗な屋敷のリビングに用なんかあるか! いいからさっさと寝て、さっさと今日を終わらせてくれ!」
こいつが眠りさえすれば、俺も眠れるのだ。
寝て起きれば、朝だ。世界は光に包まれている。
あぁ、太陽が待ち遠しい。朝の陽ざしが、陽だまりが恋しい。
「で、ですが…………せめて、湯浴みを……」
「この暗闇でかよ……今日は我慢してくれよ」
「そんな!? ワタクシ初めてですのよ!?」
「……『寝室に男を入れるのが』だよな? それ以上のことは何も起こらないから、今日は大人しく寝てくれって、マジで……」
もう、暗いの怖いんだよ。
早く寝ないと、トイレに行きたくなったらどうするんだよ? 今日はマグダもいないんだぞ?
あぁ、……獣手が無いと不安だ。
男手? そんな、ただ毛深いだけの手になんの価値があるんだ。
必要なのは獣の手だ。ネコの手が借りたいよ、切実に。
廊下を進み、屋敷の奥へと進んでいく。
幅の広い階段を上り二階の最奥。最も見晴らしのいい南向きの部屋。それがイメルダの寝室だ。
寝室のそばには衣裳部屋と執務室があるようで、この辺り一帯はイメルダの専用スペースらしい。
「明かりを点けますわ」
そう言って事前に運び込まれていたらしい箱詰めされたままの荷物を物色し始めるイメルダ。……だが。
「…………ありませんわ」
おぉぅ……
よく考えてみれば当然だ。イメルダが屋敷に必要な日用品なんかを持ってくるわけがないのだ。そういうのは給仕長あたりが持ち込むものだからな。
「まぁ、今日はもう寝るだけだ。布団があるなら、それで充分だろ」
幸い、寝室のベッドは使用できる状態にあるようだ。
……もっとも、ここ以外に使えるベッドがあるかどうかは知る由もないがな。
まぁ、床の上でも眠れるさ、俺ならな。
「あぁ、よかったですわ。寝間着は持ってきていましたわ」
荷物の中からふわふわとした可愛らしいネグリジェを引っ張り出してくるイメルダ。
そういうの着て寝てるんだな。
「では、着替えますのでしばし退室してくださいまし」
「はぁっ!?」
「いや、『はぁっ!?』って……ワタクシ、着替えますのよ!?」
ってことは何か?
俺は、お前が着替え終わるまで、あんな真っ暗で妙に長い廊下で待機してるのか?
お前な、先が見えない長い廊下がどれだけ怖いか知ってんのか!?
……引き摺るような足音とか聞こえてきたらどうするんだよ…………
ズルッ…………ペタ……ズルッ…………ペタ……ズルッ…………ペタ……
ズルッ…………ペタ……ズルッ…………ペタ……ズルッ…………ペタ……
ズルッ…………ペタ……ズルッ……………………………………………………
…………………………………………………………………………………………
ペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタッ!
「ぎゃぁああああああああっ!」
「ど、どうしましたの、急に!?」
想像しただけで怖い!
無理! 超無理! 絶対無理!
「お前、もう着替えずそのまま寝ろ!」
「イヤですわ! ワタクシ、この寝間着でないと眠れませんのよ!」
「布団に入って目を瞑っていれば眠れる!」
「無理ですわ!」
「こっちこそが無理なんだよ!」
「何がですの!? 廊下で少し待っていてくれればいいだけですわ」
「それが無理なんだよ! いいか……先の見えない長い廊下にいて……もしも…………」
俺は、先ほど思い浮かべてしまった怖い想像を話して聞かせる。
「いやゃぁああああああああっ!」
「なっ!? そうなるだろう!?」
イメルダが青い顔をして目に涙を浮かべる。
「で、ででで、ですが…………ワタクシ、やはり着替えないと……」
くっそ! 強情なヤツめ!
「分かった……そこまで言うのなら仕方ない。廊下に出よう……」
「本当ですの? 構いませんの?」
「ただし……怖くなったらすぐ帰るから」
「待ってくださいましっ!」
部屋を出ようとする俺の腰に、イメルダがしがみついてくる。
「なんとなく、なんとなくですけど、部屋を出た途端、そのまま外へ直行しそうな気がしますわっ!」
当然だろう! だって、もうすでに怖いんだものっ!
「わ、……分かりましたわ」
ふぅ……分かってくれたか。
「でも……着替える間、向こうを向いていてくださいましね」
「………………ん?」
しゅるり……と、衣擦れの音が聞こえる。
「って!? ちょっと待て! 俺の前で着替えるつもりか!?」
「ま、前ではありませんわ! 後ろです! ヤシロさんはこちらを向いてはいけませんわよ! 向いたら責任を取ってもらいますわよ!?」
マジか!?
マジなのか!?
ドアの方を向いたまま、俺はピクリとも動けない状況に追いやられてしまった。
せめて、もう少し楽な体勢を取るまで待ってほしかった。
いきなり過ぎて、心の準備が…………心臓が最大出力で大暴れしている。
やかましい鼓動と、微かな衣擦れの音だけが鼓膜を震わせる。
なに、この状況。
めっちゃ恥ずかしい……
「も、もう……いいですわよ」
恐る恐る、ゆっくり振り返ると、イメルダが寝間着姿に着替えていた。
……こいつ、マジで着替えやがった…………もし俺が鋼の自制心を持ったジェントルマンじゃなかったら、お前、えらい目に遭ってるとこだぞ?
俺でよかったな! 感謝しろ! ……あと、すり減った心臓のHP分、何かで埋め合わせしやがれ。
「あぅ…………あの、……あんまり、見ないでくださいまし」
「あっ、いや…………すまん」
さっと顔を背ける。
くっそ……イメルダがいじらしく見えるだなんて。今日の労働はそんなにハードだったのだろうか……疲れ目だな。うん。
「きょ、今日は……もう、休ませていただきますわ」
「お、おう! 寝ろ寝ろ! 寝てしまえ!」
「なんのおもてなしも出来ませんで……」
「いいから、早く寝ろ!」
これ以上、こんな状況が続けば心臓が持たん。
なるべく寝間着姿を見ないように顔を背けていると、イメルダがベッドに潜り込む音が聞こえてきた。
……あぁ、ようやく終わる。この長い一日が。
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