「うらぁ!」
「ぅわっ!?」
「っしゃあ! エステラ、アウト!」
デリアが渾身のガッツポーズを決める。
……くそぅ。デリアなら、変則的な動きやフェイントで揺さぶれば攻略できると思ったのに。
敗者は大人しく、観戦エリアへ引っ込むとするか。
……でも、来年までには特訓して絶対リベンジしてやる。
まず、足場の悪いフィールドの再現をして、給仕たちに一斉に球を投げてもらって、それから……
「喰らうです、ナタリアさん!」
「……ふっ、それは残像です」
「ホントに人間ですか、ナタリアさん!?」
……うん。ナタリアに練習相手を頼むのはやめよう。自信をなくす。
見渡してみれば、まだ結構選手が残っている。
ボク、かなり前半で負けちゃったんだなぁ。やっぱり、デリアに挑むのはもっと後にすればよかったかも。
「ぅきゃう! ほにょっ!? ぅにゃぁあああ!」
帰る道すがら、ジネットちゃんを見かけた。
イメルダとマグダから集中攻撃を受けている。……けど、あれってわざと当てないようにしてるのかな?
「……エモい」
「ワタクシの中に、こんな嗜虐性が眠っていたとは……店長さん、恐るべしですわ!」
「ふにゃぁああ!」
逃げ惑うジネットちゃんが可愛くて仕方ないらしい。
まぁ、気持ちは分かるけど……ほどほどにね。
「よう、敗残兵」
最初にデリアが作った球体のかまくらの上半分を取り除いたオープンスペース、かまくらシートにヤシロが座っていた。
嬉しそうな顔でこちらに手を振っている。
「真っ先にやられたのは君じゃないか」
「お前らが寄ってたかって俺を集中攻撃するからだろうが」
開始早々、全員でヤシロを血祭りにあげた。
だって、ヤシロは雪合戦ですら卑怯な裏工作を働こうとするから。
「危険人物を最初に潰すのは、戦術の基本だろう」
「言ってろ」
ヤシロの隣に腰かける。
クッション越しに、雪のひんやりとした冷気が伝わってくる。
けれどもう、寒いとは感じない。
「本当に、もう終わるんだね。豪雪期」
家に閉じこもるしか選択肢がない、閉塞的でつまらない時期だとばかり思っていた。
まさか、こんな風に遊び回って、働き詰めて、ずっと笑いっぱなしの時間が続くなんて想像もしなかった。
少し、名残惜しいよ。
「ようやくって感じだな」
なのにヤシロはそんなことを言う。
まったく、ひねくれ者め。
それとも、君はこの豪雪期が特別に感じないほど、充実した毎日を過ごしているのかい?
……ヤシロなら、そうなのかもしれないね。
「けどまぁ、割と楽しかったかもな」
白熱する雪合戦を眺めながら、ぽつりと漏らされたそんな言葉に、ボクは目を丸くして――
「……ぷふっ」
――思わず噴き出した。
「……んだよ?」
「くすくすくす……いや、なんでも」
まったく、素直じゃない。
自分の顔をご覧よ。「もっと遊びたかった」って書いてあるじゃないか。
くくく……幼い子供じゃあるまいし、変な強がりしちゃってさ。
「また来年」
「ん?」
「また来年、今度はもっと盛大に遊べばいいさ」
何も焦る必要はない。
「豪雪期は、来年もやってくるんだから」
これから一年、いろいろと準備が出来る。
きっと、今年の豪雪期よりも楽しくなる。
ねぇ、そうだろう、ヤシロ?
「来年……か」
そう呟いたヤシロの横顔は、なんだか寂し気に見えた。
「……ヤシロ?」
「ん? あぁ、いや」
こちらを見て、らしくもなく言葉を濁す。
取り繕うこともせず、バツが悪そうに唇をへの字に曲げる。
「俺の故郷ではな、『来年の話をすると鬼が笑う』って言うんだよ」
「鬼?」
「恐ろしい怪物だ。ガキが見たらギャン泣きする、凶悪なモンスターでな」
「いや、鬼は知っているよ。外の森にいるから」
「いるの、鬼!? やだ、怖い!」
頭に鋭い角を生やした、獰猛な肉食獣だ。
リーチの長い腕を器用に使って道具を使うこともある、知性の高い魔獣で、数年に一度の頻度で目撃情報が入ってくる。
ヤシロの故郷にもいるんだ、アレ。
「で、その鬼が笑うのかい?」
「あぁ、目の前のことを見ないでずっと先の話をしてるのはバカバカしいだろ? まず目先の物を片付けろってさ」
やるべきことを無視して先の展望を語る。
そんな現実逃避をしていたら、恐ろしい鬼にすら笑われてしまうって意味か。
なるほど、興味深いね。
「目先のものから逃げ出したくなった時に思い出させてもらうよ、その言葉。現実逃避するなって戒めを込めて」
「現実逃避か……」
こちらを向いているヤシロの瞳は、どこか遠くを見ているような色合いをしていた。
「目先のことに集中しようとするのも、ある意味現実逃避なのかもしれねぇなぁ」
「え?」
「いや、なんでもない」
瞳の色が変わる。
ヤシロがたまに見せる、拒絶の色だ。
自分の心情を、本音を、決して悟らせまいと。なんだか、厚い壁を作られる。
こじ開けてやりたくなる時もあるけれど――
「殲滅頭皮で思い出したけど、デミリーは元気でやってるかな」
「誰の頭皮が殲滅されてるのさ!? 怒られるよ、もう!」
――君がそれを望まないのなら、今はやめておこう。
いつか君が、すべてをさらけ出せるようになるその日まで、ボクは待っていてあげるつもりだよ。
時間はまだまだじっくりあるんだ。
君だっていつかは変わる。
この街に来て、君のお人好しな本性がさらけ出されたみたいにね。
「……くくっ」
「なに笑ってんだよ」
「いや、なんでもないよ」
誰が想像し得ただろうか。
要注意人物と手配書に似顔絵を描かれた男と、こんな年の瀬に談笑しているボクの姿を。
知らなかったこととはいえ、領主一族であるボクに『精霊の審判』を乱発したこの無礼者とさ。
君ね、相手がボクのように寛大な人間でなかったら、三回くらいは人生が終わっているんだよ? 分かっているのかい?
貴族は理不尽なものなんだ。
君の言い分を封殺して私刑に処することだって珍しくない。
もっと感謝をするべきなんだよ、君は、この寛大なボクに、ね。
少なくとも、ボクが君に感じている感謝の気持ちと同じくらいには。
「なんだか、あっという間だった気がするよ」
「おいおい。そういうセリフは婆さんになってからにしろよ。老け込むにはまだ早いだろう」
それでも、言いたくもなるよ。
今年を振り返ってみれば、正確に言うなら、君が来てからの時間はすべてがエキセントリックで、劇的で、ことごとく初体験ばかりだったんだから。
「信じられるかい? ほんの数ヶ月前まで、この街の人々は食うにも困るくらいに困窮していたんだ。かまくらでお汁粉なんてオシャレの最先端に注目している暇もないほどにね」
「アッスントがいかに最低な人間だったかということの証左だな。よし、小豆代と米代は踏み倒そう。当然の報いだ」
君の軽口は相変わらずだけれど、気付いているかい?
君の軽口に登場する人物が飛躍的に増えていることに。
最初は、必要最低限の人間としか関わりを持とうとしていなかった君が、呼べば集う人間が増え、呼んでないのに押しかけてくるくらいに懐かれてさ、そしてそれを結局受け入れて、こうして楽しい時間を共有するようになっている。
ねぇ、ヤシロ。
こういう人たちのことをなんて言うか知っているかい?
友人。
……いや、君の場合は仲間、かな?
「仲間って、いいよね」
「マグダにシェリルにミリィにモリー」
「なんの仲間なのかな、それは!?」
「怒るなよ。折角寛大な心でBまで含んでやったのに」
「ボクの隣で寛大を語るとは片腹が痛いね。君こそ感謝をするべきだよ、寛大なボクにね」
「あれ、寛大って『真っ平』って意味だっけ?」
「よぉし、ヤシロ。雪合戦場外乱闘編の開幕といこうじゃないか!」
「雪合戦を謳うなら手に持ったそのナイフをしまえ。お前がやろうとしているのは雪合戦じゃなくて雪上決戦だ。おそらく俺が一方的に滅多刺しにされる類のな」
敵わないのを分かっているなら口を慎めばいいものを。
「……で?」
一瞬怒ればすぐにしぼんでしまう。ヤシロに対する怒りは持続しない。
ズルい男だよ、君は。
「来年はどんなことをして、ボクを楽しませてくれるんだい?」
こうしてまた、期待させてくれるんだから。
「お前を楽しませる予定なんかねぇよ」
「じゃあ、街のために何をするのか教えてくれるかい?」
「俺は慈善事業をやるつもりはねぇ」
「そうかいそうかい」
そうやって、いつもいつも悪態を吐いて、ひねくれた言葉で世間を欺いて、自分の利益のためだと嘯いて――ボクたちを助けてくれる。
言葉と行動が乖離し過ぎている。
目つきと心が反比例しているようだよ、君は。
他人を遠ざけ、呆れさせ、時には怒らせて、誰も見ていないところでこっそり誰かを助けている。
そして、「それは自分じゃない」って顔でまた悪態を吐いて……ふふ、こんなに嘘が下手な嘘吐きは他にはいないだろうね。
「君はまるで、詐欺師のような男だね」
うっかり騙されたら後悔をする。
憎み、怒り、蔑み、呆れた自分が……堪らなく恥ずかしくなるから。
君を信じられなかったことを、悔やんでしまう。
そんな、悪意満載の誉め言葉を聞いて、ヤシロは心底嬉しそうににやりと笑った。
「さすがだな、エステラ。大正解だ」
まったく……
こんな時ばかり楽しそうな顔をしちゃって、まぁ。
その無邪気な笑顔、ボクじゃなかったらうっかりときめいてしまっていたかもしれないよ。
ボクは、平気だけれどね。
ヤシロの顔なんか、もう見飽きているし。
笑顔くらい、全然……
「こら、なに目ぇ逸らしてんだよ」
「……逸らしてないけど?」
「えっ、豪雪期って精霊神お休みなの? なんでそんなあからさまな嘘吐けるかねぇ」
逸らしたんじゃない。
たまたまこのタイミングで首の筋を伸ばしたくなっただけさ。
あぁもう、癪だ。悔しい。
鬼が笑おうが知ったことか。来年こそは――
「来年こそは、君をぎゃふんと言わせてみせるよ」
だから、来年も一緒に、いろんなことをやろうじゃないか。
ね、ヤシロ。
指先を突きつけて宣言すれば、挑発的な瞳でボクを見上げてくる。
口元に笑みを浮かべて、ヤシロがボクの挑戦を真正面から受け止める。
「面白い。じゃあ俺は、お前に『期待に胸が膨らむ! えっ、膨らむの!? ――って、ぬか喜びかーい!』と言わせてみせる!」
「絶対言わないから!」
来年こそ、この無礼者の性根を叩き直してやりたいと、溶け行く雪の中で、ボクは思った。
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