「俺は一度陽だまり亭に戻るよ。さすがに、ウーマロを夜まで付き合わせるわけにはいかん」
「あ、じゃあ、あたしもお供しますです」
「そうか? …………ふむ」
時間的に考えて…………この後やるべきことを考慮して…………
ロレッタには一緒に来てもらった方がいいな。
「じゃあ、頼む」
「はいです!」
「あと、妹を何人か連れて行ってもいいか?」
「それは構いませんですけど……、でも、どうしてですか?」
「マグダを連れてきて、今日はこっちで夕飯を食おうかと思ってな」
時間的にも、この後の営業は無理だろう。今日は早じまいだ。
「夕飯の後、ついでにポップコーンも披露してやろう」
「わぁっ! 弟たち、きっと喜ぶですっ! あたしも楽しみです!」
そんなわけで、俺はロレッタと妹二人を伴って陽だまり亭に戻ることにした。
残りの兄妹にジネットへの伝言を任せて、俺たちはスラムを出る。
妹二人は、滅多にスラムの外に出ることがないのか、ずっと不安そうに身を寄せ合っていた。
ロレッタの左側に寄り添うように密着して歩いている。
右から、俺、ロレッタ、妹二人という並び順で、夕暮れ迫る道を歩く。
帰る道すがら、俺たちはこんな会話をしていた。
「お前は領主に会ったことがあるのか?」
「はい。あの地区を存続してもらえるように、何度かお願いに行ったことがあるです」
「領主本人に直談判したのか?」
「いえ。ほとんどはメイド長のナタリア・オーウェンという女性の方が対応してくださいましたです。……すごく怖い方で、実はちょっと苦手なんです」
まぁ領主の家のメイド長なら、きっちりした性格なんだろうな。
「領主様は現在ご病気をされているようで、あまり人前には出てこないみたいですよ」
「病気なのか?」
「はい。ずっと伏せっていらっしゃるとか……心配ですね」
じゃあ、ゾルタルの会話記録に記されていた会話はいつのものなんだ? そんなに昔のものなのか?
領主の口調には、一切弱っているような雰囲気は見受けられなかったが……まぁ、文字からじゃあ読み取れないだけかもしれないが……
「もう、一年近く人前には姿を見せていないです」
「そんなにか? 四十二区の自治に支障が出るんじゃないのか?」
「いえ。領主様には、お嬢様がいますですから。領主様が伏せって以降は、お嬢様が領主様の代わりとして表に出ているそうです」
「へぇ……お嬢様ねぇ……」
と、ロレッタが手のひらを合わせ、斜め上をポ~っと見上げながら呟く。
「とてもお美しい人なんですよ……」
憧れてますと言わんばかりのとろけた視線だ。
「気品に溢れ、知性的で、笑顔がステキで……女性なら誰もが憧れるような人なんです」
「見たことあるのか?」
「はいです! …………えへ、じ、実は、あたし……大ファンでして……たまに覗きに行ったり……」
「きゃー、ちかーん」
「ち、ちち、違いますですよっ!? 散歩コースに張り込んで後ろ姿だけでも拝見できればと……本当にそれだけですからっ!」
うんうん。
ストーカーなんだな。……俺も気を付けよ。
「じゃあ、やっぱり妹たちに来てもらって正解だったな」
「へ? 何がですか?」
「これから、その領主に会いに行く」
「………………ぇぇえええっ!?」
ロレッタの悲鳴が轟いたところで、ちょうど陽だまり亭に到着した。
「どうしたッスか!? 何事ッス!?」
ロレッタの悲鳴を聞きつけ、店内からウーマロが飛び出してきた。
「あ、ヤシロさんじゃないッスか。……何かあったッスか?」
「いや、これからちょっと領主に会ってくる」
「これからッスか?」
そう言ってウーマロは空を見上げる。
「さすがに、もう会ってくれないんじゃないッスかね? それに、四十二区の領主様は今病床に就いているッスよね?」
「だから、娘の方で我慢してやる」
「お、おおお、お兄ちゃんっ! 恐れ多いことを言うもんじゃないですよ!?」
「……『お兄ちゃん』? って、なんッスか?」
「あぁ、なんか、そういうことになった。気にするな」
「はぁ……まぁ、よく分かんないッスけど、領主様のお嬢様なら、尚のこと会えないと思うッスよ。こんな時間に男が訪ねていったら門前払いされるだけッス」
「何言ってんだよ、ウーマロ……」
ウーマロの首に腕を回し、狐のデカい耳にこそっと世の常識を囁いてやる。
「……年頃の女は夜遊びが好きなもんだろう?」
「危険ッス! ここに危険な男がいるッス!」
「……話は聞かせてもらった」
振り返ると、そこにマグダの姿があった。
手には巨大なマサカリが握られている。
「……お覚悟を」
「冗談だよ、マグダ。マサカリを人に向けるのはやめなさい」
「…………分かった。言う通りにする。……お兄ちゃん」
「お前、いつから話聞いてた!?」
完全に話を理解してんじゃねぇか!
まぁいい。
俺は今後の予定をマグダに話して聞かせた。
俺とロレッタはこれから領主の館へ行き、今回のゾルタルの件について意見をもらってくる。
そして、マグダは妹たちについてスラムへ行き、ジネットと合流して夕飯の準備。及び、食後にポップコーンのレクチャーをしてもらう。
今日領主に会った際、うまく話をつけることが出来れば移動販売に漕ぎつけることが出来るだろう。そのためにも、ハムっ子たちにはポップコーンを知っておいてもらわなければいけない。
「なるほどです。ゾルタルの件があるから、あたしが代表としてついていくですね」
「まぁ、そういうことだ」
「あの、ヤシロさん。オイラはどうすればいいッスか?」
「明日仕事は?」
「お休みッス!」
……こいつ、ここ最近休んでばっかりじゃねぇか? 失業したんじゃないだろうな。
「じゃあ、家でゆっくり休んでくれ」
「オイラも一緒に行きたいッス! 夕飯食べたいッス!」
トルベック工務店への報酬・三食提供の期間はいまだ継続中なのだが、連日の大雨とトルベック工務店の仕事が中断されていることもあって、現在は休止期間となっている。これはウーマロから申し出てきたことだ。大雨の中陽だまり亭に通わせるのも可哀想だしな。
まぁ、ウーマロはずっと来ているが。
なので、店を閉めればウーマロがウチの料理を食べることは叶わない。これで食べさせてしまったら特別扱いになってしまう。
「じゃ、じゃあ! 何かお手伝いするッス! 屋根の修理でも、壁の補強でも! 桶を作ったりも出来るッスよ!?」
必死だ。
そんなにマグダと一緒にいたいか?
そして、ウーマロは、つい今しがたまで俺に押しつけられていた店番を貸しだとは思っていないようだ。本人が苦じゃないと思っているのであればこちらから進んで借りを返すような真似はしない。
であるならば、今回の夕食は俺の貸しになるわけで……貸しはきちんと返してもらわねば。
「ちょっと変わった荷車を頼めるか?」
「荷車……っすか?」
「あぁ。設計図はあとで渡す」
「またハードルの高いものを…………でも、いいッスよ。それくらいならお安い御用ッス!」
「よし、じゃあとりあえずは二台頼む」
「二台!?」
「状況に応じて変更はあるかもしれんが、最終的に五台くらいは欲しいかな」
「五台!?」
「よろしくな、ウーマロ。期待してるぞ」
「ちょっ! ちょっと待ってくださいッスよ!? いくらなんでも五台は……っ!?」
「マグダ」
「……………………しゅん」
「んも~ぅ! マグダたんの小悪魔!」
マグダが大根演技でうな垂れてみせると、ウーマロの心にあるトキメキの導火線に火が点いたようで、気味の悪い笑みを浮かべて身悶え始めた。
「分かったッス! やるッス! その代わり、期間はちょっと欲しいッス!」
「あぁ。三日で頼む」
「鬼っ! ヤシロさんは鬼ッス!」
バカモノ、こっちは死活問題なんだよ。
大急ぎで頼む。
……という思いを乗せて、マグダの背中をポンと押す。
「……ウーマロ。ガンバ」
「頑張るッスよー!」
いいぞマグダ。お前はきっと女優になれる。
「んじゃ、サクッと行ってくるわ」
陽が沈んでしまう前に領主の館に着きたかった。
さすがに、風呂にでも入った後では会ってはくれないだろうからな。タイムリミットは風呂前までだ。
「……ヤシロ」
「どした?」
マグダはジッと俺を見上げ、大きくも虚ろな瞳をこちらに向けている。
微かに潤んで見えるのは、夕焼けのせいだろうか。
「…………ちゃんと、来る?」
不安げな表情……なのだろうか?
俺たちに置いていかれ、長時間留守番をした後、また別行動になる。それが寂しいのかもしれない。
「あぁ。すぐに合流するから、美味い飯を作って待っててくれ」
少しくらい、甘やかしてやってもいいだろう。
ネコ耳を押さえつけるようにもふもふと髪の毛を撫でる。
するとマグダは気持ちよさそうに目を細めた。
その様を見ていたロレッタが、マグダの前へ回り込み、顔を覗き込むようにして視線の高さを合わせる。
「もしかして……マグダっちょ……」
「……『まぐだっちょ』?」
「お兄ちゃんのこと好きですか?」
「………………」
突然投げかけられたド直球の質問に、マグダは動きを止めた。……というか、いつもの無表情なのでなんの変化も見られない、と言った方が的確かもしれないが……
「あ、あれ? あたしの見当違いでしたですか?」
マグダが反応を見せないので、ロレッタは慌てた様子を見せる。
違う意味で慌てていたのがウーマロだった。
「そそそそ、そうッスよ! マグダたんは天使ッスから、誰とも恋愛とかしないッス!」
「え、でも……それでいいんですか、お客さん的には?」
「オ、オイラは……マグダたんを見守るのがオイラの仕事ッスっ!」
いや、お前の仕事は大工だよ。
無表情のマグダを放って、ギャーギャーと周りが騒ぎ立てている。
でもな、ロレッタ。
よ~く見てみろ。
マグダの耳が忙しなくピクピク動いているだろう? 俺やお前の方に耳を向けては逸らし、向けては逸らしを繰り返している。
照れてるんだろうな。マグダの感情を読むとしたら……
『そんなこと、面と向かって聞くな』ってところかな。
ま、詳しくは分かりようもねぇけどな。
「んじゃ、ウーマロ。マグダと妹たちをよろしくな」
「任せてほしいッス!」
時間が迫っていることもあり、俺たちは挨拶もそこそこに陽だまり亭を後にした。
夕日はもう、ほとんど沈んでしまっていた。
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