焚火が出来る川を調べてみると、住む地域からさほど遠くない場所にあった。
レンタカーを借り、ホームセンターで打ち金の代用品になりそうな鉄製の金具と薪木、そして火口用に麻ひもを買って、二時間ほど車を走らせると、目的の場所に着いた。
『さえずりの森公園キャンプ場』
僕の仕事は休みだが、世間的には平日という事もあり、駐車場には赤い軽自動車が一台しか止まっていなかった。ドアを開け、車外に出る。木々が生い茂る斜面に囲まれ、ちょっとした峡谷のようになっていた。
頭上にも屋根のように木の枝がせり出していて、少し薄暗さはあるものの、空気がヒンヤリとして心地よい。さえずりの森というだけあって、鳥の鳴き声しているが、何故か逆に静けさを感じる。
金具をパーカーのポケットに入れ、麻ひもを縛り付けた薪木を抱えると、駐車場から河川敷に続く階段を降りた。左右の石垣が所々苔生していて、風情じみたものを感じてしまう。河原は、『果ての樹海』と同じく丸石だらけだった。
前方に、小さな黄色いテントがあった。赤い軽自動車で来た先客だろう。とりあえず、邪魔にならないように少し離れたところで焚火の用意をする。
丸石をどけてすり鉢状の窪みを作り、そこに放射状に薪木を並べていく。麻ひもを解して鳥の巣のようなモサモサの物体を生み出すと、準備完了だ。
火打石を探さないとな。
アルセンさんに教えてもらった通り、硬そうな石をいくつか拾い、火床の方へと運ぶ。火花の飛び方を比べるために鉄製の金具を打ち付けていると、後方から声が響いた。
「こんにちはーっ!」
振り返ると、黄色いテントの傍らに女の人が立ち、こちらに向けて手を振っていた。
小さく手を振り返す。
——きれいな人。
思わず目を奪われるほどの美人だった。背が高く、長い黒髪を首元で束ね、白い歯が印象的な笑顔を浮かべている。輝くような笑顔というのは、こういう事を言うのだろう。
すると、彼女は口元に手を添えながら、再び大きな声を出した。
「何してるんですかーっ!」
僕は基本的にシャイでコミュ障だ。アルセンさんはかなり年上だったし、状況が状況だったから、すぐ話せるようになったけど、初対面の人、それも年齢が近そうな人とは上手く会話が出来ない。大きな声を出すのが恥ずかしい。だが小声で届く距離でもないので、とりあえず薪木を一本持ち上げ、焚火をしているのだと察してくれることを祈った。
期待に反し、再び声が響いた。
「そっちにいってもいいですかーっ!」
まじか。
でも拒否したら向こうが嫌な気分になるよな……仕方がない。
しゃがんだまま、両手を頭上に挙げて大きな丸を作る。一応笑みを浮かべたが引きつっていたかも知れない。
程なくして、丸石をジャラジャラ踏む音と共に女性がこちらへ近づいて来た。
本当にきれいな人だ。女優さんか、モデルさんかと思う位。
彼女は火床の横へ来ると、その場で膝に手をつき、前屈みに僕の顔を覗き込んできた。
「こんにちはっ」
「ここっこここんにちは……」
僕は鶏じみた挨拶を返しながらつい、サッと目を逸らしてしまう。
すると、彼女が視界の端で唇に指を当てながら尋ねて来た。
「これは、焚火ですか。珍しい形……」
「……はっ、はい。“ノースホック式”です」
「ノースホック式……聞いたことないなぁ」
しまった。つい、オリジナル用語を出してしまった。後々調べられて存在しない事が分かってしまったらまずい。
「ええと……夢の中で思いついて、試してみようかなと思ったんです」
「ん……夢……オリジナルって事かな」
ますます自分を追い込んでしまった。焚き火にオリジナルネームをつけるなんて完全に変な奴じゃないかこれじゃ。現に彼女は珍しいものでも見るような目でこちらを見てきている。
「な、名前があった方がいいかなと思って……」
「ふふっ……面白い子。火打石で付けるのかな」
「は、はい……」
いつの間にか向こうはタメ口になっている。どう見ても向こうがお姉さんだが、そんなに歳が離れているようには見えない。口調的にはこちらをかなり年下、それも中学生位だと思っていそうな気がした。
「君、学生さんかな」
ホラやっぱり。この学生さんはきっと大学生を指すものではなく、もっと下まで含むニュアンスで聞かれている。
「……社会人です。二十歳です」
「え……すみません」
なんか謝られてしまった。こちらこそ童顔ですみません。
「いえ、いいんです。いつも中学生と間違われるので……僕の顔が中学生じみているのがいけないんです」
すると、彼女はクスクスと肩を揺らしながら笑った。しかしすぐにハッとして口を押えると、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ごめんなさい。言い方が面白かったので、つい……」
「いえ、大丈夫です」
「お詫び……というわけでもないですが、よかったら、今からコーヒーを淹れるので一緒に飲みませんか」
「えっ……」
思わず顔を上げて彼女と目を合わせる。吸い込まれそうなくらい、美しい瞳だ。無意識に目が泳いでしまう。
「あ……えっと、でも……あの……その……焚火が……」
「じゃあ、こっちに道具を持ってくるね。ちょっと待ってて」
そう言うと彼女はテントの方へ駆け足で戻って行った。ちょっと強引というか、グイグイ距離を詰めて来る人だ。僕があまり得意ではないタイプの人だけど、何故か嫌な気分にはならなかった。
とにかく、まずは火を起こさなければいけない。いくつか石を試すと、やはり火花が出やすい石とそうでない石があった。だがそこで重大なミスに気が付いた。
硬い方が出やすいのかどうかが分からないな、これじゃ。
とりあえず、火口に火を移し、焚火を起こす。薪の差し引きで火力の調整が出来れば、“ノースホック式”の焚火が実用的であることが分かって、『果ての樹海』が夢じゃない可能性が高まる。
「おまたせっ」
火がつくとすぐに、女性が戻って来た。彼女はその場にしゃがむと両手に抱えた道具をそこら辺に並べていき、炎が上がった焚火の上にキャンプ用の平べったいケトルを置いた。
三角座りをする僕をチラリと見ると、彼女もその場に腰を下ろして膝を抱えた。
「ここは、初めて?」
「は、はい……」
「あたしね、ここよく来るんだぁ」
「そうなんですね」
「静かで、いいとこじゃない?」
辺りを見回す彼女に倣う。森に囲まれた川原だ。せせらぎの音と鳥の鳴き声しか聞こえない。確かに静かでいい所だ。
「……そうですね」
「ねえ、名前何ていうの? あたしは、桃華《とうか》」
「やよい……です」
「へえ、やよいちゃんか。可愛い名前だね」
「あの……僕は男です」
「えっ……は?」
「……もう、そのリアクションには慣れました」
「ご、ごめんなさ……へっ……? てことは、あたし逆ナンしたって事!?」
桃華さんが頭を抱えた。どうやら同性だと思って話しかけたようだ。確かに、女の子がこんな人気のない場所で一人焚火をしていたら心配になるよな。
「どうやら、そのようです」
「……不覚。いえごめんなさい、全くそんなつもりは無かったの」
「いえいえ、気にしないでください」
「えっ……なんか気まずっ」
「気まずいですか」
「……いや、大丈夫。落ち着けあたし」
心なしか、桃華さんの顔が名前と同じ色に染まっているように見える。暫しの沈黙の間、お湯が沸々とする音が次第に大きくなっていった。すると、桃華さんがケトルを火から外して傍らの地面に置いた。
「冷ますんですか」
「す、少し温度を下げた方がいいのよ。九十度ぐらいが一番味が良くなるの」
「なるほどです」
僕はすっかり、薪木の差し入れで火の調整を試すのを忘れてしまっていた。
暫しの間、どちらも身動ぎすらしない沈黙が訪れる。
彼女の顔を見ると、何処を見ているのか視線をこちらから逸らして唇を軽く巻き込んでいた。
「……そ、そろそろいいかな」
桃華さんがコーヒーミルを手に取り、豆を挽きだした。
「本格的ですね……」
「好きなの、コーヒー」
彼女が微笑みながら引いた豆をドリッパーに移し、ケトルから少しずつお湯を回し入れる。一つ一つの所作が、優雅だ。
「嫌なことがあっても、あったかいコーヒーがあれば、世はなべて事も無し……はい、どうぞっ」
「ありがとうございます」
コーヒーが注がれたステンレスのマグを受け取る。
「いただきます」
一口飲む。
……美味い。悔しいくらいに、美味い。
「……どう?」
「美味しい……です」
「そ、良かった」
桃華さんが微笑み、両手で包むように持ったコーヒーを飲む。彫像のように整った横顔につい、目が釘付けになる。
美しい人は、自分の事をどう思うのだろう。鏡を見て美しいと思うのだろうか。
僕は鏡が嫌いだ。
ずっと自分の見た目が嫌だった。でももし、僕が一目で男と判るような見た目だったなら、きっとこの素敵な時間は生まれなかっただろう。
だからほんの少しだけ、ラッキーだなって、そう思うことが出来たんです——
アルセンさん。
不意に笑みがこぼれた。
すると、桃華さんが笑いながらこちらに顔を向けた。
「ふふっ、どうしたの?」
「いえ……何でもありません。ただ……」
「ただ……?」
――アルセンさん。
お元気ですか。
僕はそこそこ元気です。
“尊く、美しく”
アルセンさんに宣言した手前、本当は胸を張って、これからはそんな生き方をしていきます、と言いたいところですが、この世界でそれが出来るのか……今は正直、そこまでの自信はありません。
ですが、僕はきっと、もう大丈夫です。
何となくですが、そう思います。
ほんの少しだけ、とても楽しみなことが出来たんです――
僕は顔を上げた。きっとこの気持ちはアルセンさんに届くはずだ。
「ただ……〝またここに、コーヒーを飲みに来たいなって〟」
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【異世界トレイル】~ 果ての樹海のその果てに ~
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