そうよ。私には関係ないもの。
もし私が何かしたとして、次も未来を変えられるとは限らない。これまで何度も経験してきた事だわ。何をしても無駄だって事実を。
最近の私は考え事ばかりしている。今は歴史の講義の真っ只中。誰もが皆、姿勢を正して前を向き、筆記帳に文字を連ねていく。にも関わらず、私は頬杖を突き、上の空で外の景色を眺めているだなんて。
だってそうでしょう? 一一回も同じ講義を受けていれば、いい加減頭に染み付くわ。それに小さい頃から歴史の書物を読み漁るのが趣味だったし。
「やっ! アンスリア」
歴史の講義を終えた頃、不意に声をかけてきたオーウェン様。わざわざ違う教室から出向いてくるなんて、実にご多忙な御方だわ。
「あら、オーウェン様、ごきげんよう」
「どうしたの? 何か悩みでもあるの? ずっと外を眺めていたみたいだけど」
「……。」
何でそれを知っているのよ。貴方、違う講義を受けていたはずでしょう。
当然そうとは聞けず、無言で外を眺める。
「ならどうかな? 明日の夜、僕の屋敷で夜会を開くんだけど、良かったら来ない? 良い気晴らしになるよ」
「……夜会、ですか?」
それは正にリリアンさんが参加する夜会に違いない。もしかしたら私の思い過ごしで、本当にジェラルド様との関係が良好なのかも。そうよ。きっとそうだわ。
それに私には、関係ないもの。
「そうね。たまには悪くないわ」
あれ? 思わず心の中で驚愕する私。いつも通り断るつもりだったのに。何故か返事をしてしまった。
「えっ……意外。いつもなら即答で断るのに」
オーウェン様さえも驚く始末。その引き気味な反応が彼の心境を物語っているほど。そんなに驚くぐらいなら、諦めて他の女性を誘えば良いのに。
「それじゃあ明日の夜七時に僕の屋敷で。正門まで迎えに行くよ」
「ええ、宜しくお願いします」
成り行きとは言え、全く予想していなかった展開が訪れてしまった。まぁ、夜会用のドレスなんてワードローブに何着もあるし、問題ないわね。
━バスティール邸・正門━
翌日。初夏を過ぎた暑い陽射しも暗闇に身を潜め、涼しい風がそよぎ始めた頃。
私は本当に来てしまった。なぜ来てしまったのか。何しにここへ来たのか。馬車の中で自問自答を繰り返すうちに到着したのは、王都の南端に位置する邸宅だった。
そう。ここがバステュール男爵の屋敷。下位貴族とは思えないほど立派な豪邸で、高い鉄柵と頑強な門扉。それをも超えるほどの三階建てにもなる大きな豪邸。流石はレムリア王国の重鎮、バステュール家だわ。
「それではお嬢様、いってらっしゃませ!」
「ええ、一時間ほどで戻るわ。それまで大人しくしていなさい」
「はーい!」
見送るメアを背に、解放された門扉へと向かう。路肩には、既に何両もの馬車が停まっていた。次第に聞こえてくる鍵盤の音。
「待ってたよ、アンスリア」
約束通り、私を出迎えてくれるオーウェン様。一体どれだけ前から待機していたのか、うっすらと額に汗が滲んでいる。今は夏とは言え、日本の夏よりは遥かに涼しいのに。その汗は何で流れたのかしら。
「驚きだ、今日の君は格別に美しい。その美貌が瞳に映った瞬間、俺の心は熱く焦がされてしまった。今宵の主役は間違いなく君だよ」
あぁ、だから汗を掻いていたのね。
それにしてもメアが選んだこのドレス、少し目立ちすぎるわ。胸元が開きすぎだし、肩だってこんなに出してしまって。それにドレスのヘム裾、なぜか膝丈までしかないじゃない。まぁ、涼しいから良いけれど。
「ありがとう。それではエスコートをお願いできます?」
「もちろん! 僕の方が、彼より相応しい事を証明したいからね」
「……?」
最後にオーウェン様が言ったその言葉。今思えば、もっと警戒するべきだった。その前兆は、幾つも起きていたのに。
「まあ! アンスリア様が夜会にご参加されるだなんて」
「なんて麗しい衣装。アンスリア様がお召しになってこそ、見栄えるというものですわね」
「ありがとう。お二人も一段と綺麗よ」
屋敷の中は既に貴族達で溢れ返り、仄かなアルコールの香りが漂う。ほんの微量しかアルコール分は含まれてはいないみたいだけど。
この異世界では飲酒に規制は無いらしい。でも、どうも私は戴く気にはなれない。例え大人になっても飲みたくはないわね。
「おお! これはこれは、もしや貴女はアンスリア嬢ではありませんか?」
突然声をかけてきた大柄の紳士。タキシードに身を包み、ハットを被る典型的な格好の御方。明らかに似合っていないわね。衣装がはち切れそうなほど、筋肉質過ぎるわ。
「アンスリア、紹介するよ。こちらは俺の父、ドミニク・バステュール男爵だ」
「お初にお目にかかります、アンスリア・リオ・ヴェロニカと申します。どうぞお見知りおきを、バステュール男爵」
ドレスの裾を少しだけ持ち、深く頭を下げる。
「何とも美しいご令嬢だ。ヴェロニカ公もさぞ鼻が高かろう!」
そんな訳ないでしょ。
「ははは、やっぱり父上もそう思うでしょ?」
わいわいと目の前で盛り上がる親子の歓談。端から見れば、間違いなく彼女を親に紹介している青年よね。
そんな事よりも、リリアンさんは何処に……。
「それでは、私はこの辺で失礼するよ。どうぞ楽しんでいって下さい、アンスリア嬢」
「ええ、貴重なお時間を戴き、とても光栄でしたわ」
そう言って、ようやく離席してくれたバステュール男爵。
「アンスリア、飲み物を取ってくるから、少し待ってて」
「ええ、私はハーブティーをお願いします」
笑顔で去っていくオーウェン様に、作り笑顔で見送る。
正直に認めるわ。私がここに来た理由はただ一つ。リリアンさんの無事を見届ける為。本当に惹かれ合っているのか、確認する為よ。
「もし恋仲であるなら、きっと知人に紹介して回っているはずだわ」
両腕を組み、そわそわと辺りを見回す私。
しかし、どうにも周囲の視線が痛い。かと言って、悪役令嬢の私に声をかける殿方なんているはずがないけれど。
「もしかして、アンスリアなのか?」
そう思ったのも束の間。早速お声をかけてきた愚かな殿方に、鋭い視線を送る。
「……! ジュリアン……様」
「どうして君は、ここに……」
楽しげに語らう喧騒の中、私達の間だけに訪れる沈黙。
今、最もお会いしたくはなかった御方。そのジュリアン様がこんな場所にいるだなんて。
「あっ、アンスリアお姉様もいらしていたんですね! 偶然です!」
そう言ってジュリアン様の背から顔を出したのは、アメリナだった。
「……ええ、奇遇ね」
私には、問い詰める権利はない。
どうしてジュリアン様は婚約者の私ではなく、妹のアメリナと同伴しているのか。
そんな事、聞けるはずがない。成り行きとはいえ、私だってオーウェン様の同伴として来ているから。
それに、彼を遠ざけていたのは私なのだから。
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