今はレムリア学園の夏期休校が始まって二週間。
久々に領地へ帰省していた私は、何故かジュリアン様とテーブルを囲っている。そこは何種もの草花が咲き誇り、小鳥達が集う憩いの場。レーゲンブルク城の大庭園だ。
「お待たせしました! こちらが本日の昼前紅茶になりまーす!」
相も変わらず軽い調子のメアは、手際良く給仕をこなし、茶会の支度を済ます。
まぁ、前からジュリアン様とメアは面識があるし、今更気にしないか。
「それじゃあ、戴くね」
「ええ、どうぞ」
……あら? この仄かな甘い香り。これは私が気に入っているあの茶葉だわ。リヒトに教えてもらったあの茶葉、モルティーアッサムとゴールデンフラワリーペコのブレンド。
そしてこの味。適度な茶葉の分量と抽出時間を知る者しか淹れる事はできないはず。
という事は、これを用意したのはリヒトね。
「ふふふ……アンスリアの笑顔、何だか久々に見た気がするよ」
私の顔を見つめ、優しく微笑むジュリアン様。
「そう、ですか?」
「うん、二年生になってからの君は、特に笑わなくなったかな」
「……申し訳……ございません」
「いやいや、別に不満に思っていた訳じゃないんだ。ただ、ちょっと淋しくてね」
そっか。私、そんなに笑っていなかったんだ。
決してジュリアン様と居るのが嫌と言う訳ではない。それに私だって綺麗な景色をみれば気分が良くなる。美味しい物を食べれば美味しいと感じる。誰かに誉められたなら嬉しいと感じる。
でも、どうしても笑う事ができなかった。以前までは。
私一人では過去を変えられなかった。いつしか輪廻する世界に絶望し、諦めていた。今回の転生だってそう。何をやっても裏目に出るのだから。
だけどリヒトが現れてからは少しずつ事象が変化し、メアの死を回避できた。
そうだ。彼が来てからだ。
もしその仮定が正解なら、私の過去を変えられるのは、リヒトだけなのかもしれない。
「ほらほら、またそんな顔をしているよ。そうだ! そう言えば、君にお土産があるんだ。少し待ってて」
そう言ってジュリアン様が席を立ち、暫くが経った。お土産とは、一体何なのか。特に私には欲しいものも好きなものもない。
過去の転生でも何かを貰った記憶は無いし……。
「お待たせ、アンスリア」
それからすぐ後、早足で帰って来たジュリアン様。両手一杯の紙箱を持って。
その真っ黒の箱の蓋には、何やら文字が書かれている。恐らくは何処かの店名かしら。
「さあ、開けてごらん」
「はい」
言われるがままに蓋を手に取り、紙箱を開けた。箱の中には、多彩な色をしたチョコレートが入っていた。
紛いなりにも私は公爵令嬢。今までに沢山の豪華なチョコレートを見てきたからわかる。決してこれは高価なものではないと。
「休みの間ずっと探していたんだ。昔、君に貰ったチョコレートを」
そうだ。この紙箱に書かれた店の名前、これはサンテリマーノの街にある洋菓子店の名だ。
「王都で見つからない訳だよ。これは君の故郷にしか存在しない味なんだから。って、よく考えてみたらそうだよね。ははは」
照れ臭そうに頭を撫でるジュリアン様。公務でお忙しいはずなのに、私の為にこんなにも頑張ってくれていたなんて。
「さあ、食べて。甘いものを食べると、気持ちが落ち着くからね」
それは小さい頃、私がジュリアン様に言った事だ。そっか。覚えていてくれてたんだ。
「ありがとうございます、ジュリアン様」
そっと手を伸ばし、乳白色のチョコレートを手に取る。ゆっくりと口に運ぶと、控え目な甘味が広がっていった。とても、とても優しい味。
「大変美味しいです。変わらない、懐かしい味ですね」
「うん、良かった」
今までの私は、貴方様を遠ざけていた。それは悲しい未来を知っているから。いずれ捨てられる事がわかっているから。
でも、今のジュリアン様なら違うのかもしれない。私の話を、聞いてくれるかもしれない。
「あの、ジュリアン様……」
そう言いかけて、顔を上げた私。
「……あっ」
その瞬間、鋭い視線を感じた。そこはジュリアン様の後ろに聳える監視主塔。眼を凝らすと、薄暗い塔内からは一つの人影が。
……あれは、アメリナ?
遠目ではあるけれど、恐らくはこの大庭園へ視線を向けている。それもたった一人で。
「……あの、申し訳ございません。少し席を離れても宜しいでしょうか」
「うん、行っておいで。ここで待っているから」
敢えて理由を告げずに席を立つ私。監視主塔に繋がる屋敷へと足を進める。
ジュリアン様をお待たせするのは忍びないけれど。きっと御手洗いだと思われているから大丈夫よね。
それにしても、あの監視主塔から見えたアメリナの表情は、何だか雰囲気が違って見えた。怒っているような、悲しいような、複雑な感情が交錯した顔。
よくよく考えてみれば、今日のアメリナは朝食の辺りから口数が少なかった。
今朝は確かに元気だったのに。
「……まさかあの子」
今思えばそうだった。何度も繰り返された二年生の最後は、必ずジュリアン様の隣にアメリナが居た。
私が知らなかっただけで、アメリナはジュリアン様の事を心から慕っていたのかもしれない。この先、密かに二人の関係は親密になって。私の死後に、二人は結ばれて……。
「もしそうなら、私は……」
私はアメリナの恋路を阻む障害。健気にジュリアン様のお弁当を作り、公務に疲れた彼を元気付けて。
本当にアメリナが恋心を抱いていたのなら、今日はどれだけ辛い日なのだろうか。
後先考えずに来てしまったけれど、見て見ぬ振りはできない。今はただ、アメリナに会いたい。
「きゃあ!」
ガタン! バシャーン!
玄関の扉に手を伸ばしたその時、中から叫び声が聞こえた。そっと扉を開き、大広間を覗くと。
「ど、どうしよう……」
「どうするって言ったって、どうしようもないじゃない! あんたが愚図だからいけないのよ!」
「アンナさんが余所見してるからじゃ……ないですか」
「な、何よ! 私のせいだって言うの!? 落ち溢れクロエの癖に!」
そう口喧嘩を交わすのは、常駐メイドのアンナとクロエ。アンナは私が本邸で暮らしていた頃からの古株だ。対してクロエは二年前から奉公に来ているのだそう。
その二人が何故喧嘩しているのか。この状況から察するに、原因はジュリアン様の着ていたコートね。
清掃中に二人がぶつかり、玄関前に置かれたコートハンガーを倒してしまった。運悪く櫨の木蝋の入った水桶までひっくり返し、ハンガーに掛けられていた洋服が櫨の木蝋まみれ、といったところかしら。
よりにもよってそれが、王太子殿下の御衣装とは。……って言うか、私の羽織物まで犠牲になっているのだけど。
「いい!? あんたが悪いんだからね! 責任取って実家に帰りな!」
「嫌です! 私が辞めてしまったら、弟達が学校に行けなくなるんです!」
全く、ジュリアン様がコートくらいで怒るはずがないのに。でも、これでは埒が明かないわね。
はぁ……仕方がない。
「貴女達、コートを寄越しなさい」
二人の間に入り、そう言う。
「えっ、あっ、はぁ……」
「アンスリアお嬢様、あの、一体何を……」
確かにジュリアン様は気にも留めないだろう。
けど、もしレオニード公爵の耳に入ったなら、本当にこの二人は解雇されてしまうかもしれない。なら、私がするべき事は……。
「こうするのよ」
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