「どうして君は、ここに……」
週末の夜会に参加していた私の前に、突然現れたジュリアン様。私は偶然なのか疑ってしまうほどの事態に直面していた。
疑ってしまう理由は他にもある。ジュリアン様の尋ね方、何か引っ掛かるわ。さっきのあの言い方、まるで私が夜会に来る事を知っていたような表現だわ。
誰かから話を聞き、半信半疑のまま訪れた。そんな所かしらね。
「アンスリア、お待たせ! はいこれ」
「ええ、ありがとう」
全く以て空気の読めない殿方、オーウェン様のご帰還。とりあえず居心地が悪すぎて喉が干からびてしまいそうな状況だったし、ありがたく戴こう。
「って、あれ? ジュリアン殿下にアメリナ嬢ではないですか! なんという巡り合わせだ! これは運命の悪戯か!」
大業に驚くオーウェン様。なんだか妙に作為的な態度ね。
「本当! すごい偶然ですよね!」
アメリナも中々の大根役者だわ。
なるほど。この二人は共謀していたのね。わざとジュリアン様と私を鉢合わせさせる為に。でも、そんな事に一体何の意味が。
仲直りをさせる為? それとも婚約を破断させる為? どちらにせよ、私は望んでなんかいない。断罪の日までの時を、ただ平穏に過ごしたいだけなのだから。
「……矛盾しているわね」
「えっ? 何か言いましたか?」
小首を傾げ、つぶらな瞳でアメリナが尋ねてくる。
「いいえ、何でもないわ」
夜会に参加している時点で、自ら平穏を壊しているようなもの。そう思ったら、何だか全てがどうでも良くなった。
今の状況も、この後の事も。
「申し訳ありませんが所用がありますので、この辺で失礼させて戴きます」
「アンスリア、僕は今日、君に会う為にここへ来たんだ。少しだけでも、時間をくれないか?」
「私には勿体無いお言葉ですわ。ですが私にも、夜会へ参加した理由があります。事が済み次第、必ず貴方様の元へ参るとお約束致します」
「……わかった。僕はここで、君を待つよ」
「感謝致します。ジュリアン様」
そして三人の元を離れ、大広間を横断する。そこは寄り添う紳士淑女が手を取り合い、華麗に舞う舞踏場と化していた。縦横無尽に動き回るヴェニーズワルツ。ダンスを一層輝かせる演奏。
今の私には、そのどれもが行く手を阻む障害でしかない。
ドン!
その時、背後から何者かがぶつかり、ドレスの後ろの裾を踏まれてしまった。前へ進もうとする私の身体は、成す統べなく床へと迫っていく。
駄目だわ、受け身を取れない。
そう思った瞬間、景色が止まった。落下していく身体も止まり、腹部に温もりが訪れる。
「お怪我は? アンスリアお嬢様」
そっと抱き止めてくれたのは、一人の男性だった。準礼装を着こなし、マスカレードマスクから覗く赤い瞳。
それはリヒトだった。
「リヒト、ここは貴方がいて良い場所では……きゃあ!」
突然私の右手を握り、背中に手を回すリヒト。流れるように奏でられた旋律と共に、私を操る。ナチュラルターン、チェンジステップ、バックワードチェンジ。そのどれもが洗練された動き。
「あら、ダンスも心得があるだなんて、なかなか堪能なのね」
「はい、俺も何度か踊る機会がありましたので、いろいろ指南されたものです」
「でも良いのかしら? 私と踊ると、立場を危ぶめるだけよ」
「それはご心配なく。顔を隠していますので」
「全く、減らず口ね」
コントラチェック、フレッツカール、リバースターン。
現世の頃でも社交ダンスは多少なりとも嗜んでいた。この世界に来てからもそう。教育係の大人から厳しい指導を受けてきた。それなのに、私から主導権を奪うだなんて。
屈辱と言えばそうかもしれない。でも、何故だか私は、身を任せてしまっている。
「お見事でした」
「貴方も悪くなかったわ」
気が付けば、楽団の演奏は消えていた。
リヒトは胸に手を添え、お辞儀をする。私もまた、裾に手を添えてお辞儀をした。
「それではアンスリアお嬢様、お気を付けて」
「ええ、また後でね」
リヒトの言う『気を付けて』とは何に対してだったのか。また転ばないように? 違うわね。これから私がする事に対してだわ。
踊っている最中でも、私はしっかり見ていたもの。ジェラルド様の友人、レイモンド・ファレーロ子爵令息とディートリヒ・ヨーハン財閥御曹司の姿を。
彼等の後ろには、女性を抱えた使用人もいた。恐らくは何らかの手を使って意識を失わせているのね。
「やっと捕まえたよ、アンスリア! さっきの男は誰なんだ! 最初はパートナーである俺と踊るべきだろう!」
「ごめんなさい、ちょっと失礼」
興奮気味に掴んでくるオーウェン様の手を払い、真っ直ぐに突き進む。大広間の隅にある扉を開き、廊下を覗いた。
そこは月明かりも遮られた薄暗い回廊だった。蝋燭の壁掛けだけが灯され、無骨な彫像が建ち並び、世界を一変させている。
「灯りなさい」
魔法で掌に小さな火を灯らせ、回廊を進む。その先には、地下へと続く階段があった。一切の照明が無い漆黒。無意識に鳥肌が立つ空気。
なぜバステュール邸にこんな場所があるのか。闇夜のせいで禍々しく見えるだけなのか。
いいえ、今はそんな事を考えている場合ではないわ。早く追いかけないと。
「よし、お前等、その女を鎖に繋げ」
「はっ!」
そこは地下廊の最奥部だった。一枚の木製扉の向こうから、複数の男性の話声が聞こえる。
「どうする? 目を覚ます前に、ちょっと楽しむか?」
「起きた時には、滅茶苦茶にされた自分を見て絶望させるってか? 良いねえ」
「ああ、そんな可哀想な女を無理矢理汚すのも一興だろ?」
相も変わらず、最悪に外道な発想。ただ、まだ証拠がない。酔い潰れた女性を介抱していただけと言われたら最後、彼等に何の非もなくなってしまう。
「……う……ん……ここは……」
小さく聞こえてくる女性の声。
「おい、もう起きちゃったじゃん」
「ちっ、使えねえ睡眠薬だぜ。効き始めも遅いくせに効力も弱いとは。やっぱ酒と混ぜなきゃ、効き目は薄いか」
そういう事なのね。脳の睡眠中枢に作用する薬物を飲食物に混入させ、知らず知らずのうちに女性に服用させているんだわ。という事は、あの使用人達も仲間。
「な、何をするんですか!? やめて! 離して!」
「うるせえ、この庶民が! 黙って脱げ!」
「ディートリヒ様! どうして!? どうしてこんな事を!」
バタバタと壁を叩く音が響き、鎖が弾ける金属音が轟く。
何故彼等が平民の女性ばかりを狙うのかがわかった。所詮レムリア王国は貴族主義国家。たった一人の平民の娘が訴えようが誰も聞きはしない。逆らうはずがない。何故なら、相手は権力者達なのだから。
何より、同伴として参加してしまった彼女ではもう、何を言っても信じてはもらえない。それどころか貴族の財産に目の眩んだ愚かな女だ、と非難されるだけだから。
「助けてーっ! パパ、 ママ!」
「ははははは! 助けてパパー、だって! 馬鹿め、誰も来やしねえよ!」
……これはもう、黙って見ている必要は無いわね。でも、もしかしたら大事になってしまうかもしれない。レオニード公爵のお耳に入ってしまう恐れも。
でも、そんな事はどうでも良いわ!
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