ガチャ!
「お姉様! 一緒に湖に行きませんか!?」
レーゲンブルク城に帰省してから迎えた最初の朝。
無作法に扉を開けたアメリナがそう叫ぶ。昨日の馬車の中で二人の誤解は解けたけれど、いくらなんでも強行すぎるでしょ。
「ん……んん」
もぞもぞと羽布団から顔を出し、サイドテーブルに手を伸ばす。手に取った時計を見ると、今はまだ五時半。完全に早朝じゃない。
「おはよう、アメリナ。でも、早起きにも程があるわ。もう少し、ゆっくり起きたら?」
身体を起こし、寝間着の肩紐を直す私。乱れた髪を手櫛で整え、威厳を取り戻す。
「えへへ、だって楽しみにしてたから。お姉様とお出掛けするの」
お出掛け? そんな約束はした覚えないけど。でも、あんなに瞳を輝かせているアメリナを蔑ろにはできないし……。
はぁ、仕方がないわね。
「湖に行きたいんだっけ? 別に良いわよ」
「本当ですか!? やった!」
大きな声でアメリナが喜び、私のベッドに飛び込んでくる。反発するスプリングが私達を持ち上げ、ベッドに横たわらせた。
「ついでに魔法も教えて下さいね!」
「魔法を? でも、まだ帰省したばかりだし、それに疲労が……」
厳密に言うと、昨日の大掃除で全身が筋肉痛だったりする。本気のリヒトとメアに感化されたせいで、少し張り切り過ぎてしまったのよね。
「あーっ、今度魔法を教えてくれるって約束したのに、もう忘れちゃったんですか?」
……そうだった。そう言えば、そんな事を言っていたわね。あの時は考え事をしていて、完全に聞き流していたけれど。
まぁ、いいか。
「はぁ……わかったわ」
「わーい!」
「ちょ、ちょっと! そんなに抱き付かないで」
━ヴェロニカ領・ルヴール湖━
今は昼前。リヒトとメアを付き添い、ルヴール湖を訪れていた。真夏にもなると避暑地として賑わうこの湖も、今はまだ閑散としている。
ここは海水と淡水の混ざる汽水。そのお陰なのか、砂浜には様々な生物が顔を出し、湖面からは色鮮やかな熱帯魚達が跳びはね、空に水の橋を描く。
「お姉様ーっ! お待たせしましたーっ!」
キラキラと陽の光に照らされたアメリナが、馬車の中から駆け寄ってくる。爽やかに手を振り、眩しい笑顔も絶やさずに。
完全にアイドルの撮影現場ね。
「それで、どうして私達はこんな格好なのかしら」
「どうしても何も、ここは湖ですよ? なら、やっぱり泳がなきゃ!」
「……魔法は?」
そう。今の私達の服装は水着。流されるままに私も着てしまったけれど。
まぁ、いいわ。周囲に人が居る訳でもないし。
「うわ、何あの二人。姉妹揃ってナイスバディとか、今すぐ溺れてしまえばいいのに」
「……お前、よくクビにならないよな」
そんな私達のやり取りを、遠くからリヒトとメアは見守っていた。日傘を立て、ガーデンテーブルを組み立てながら、大層恨めしそうな顔で。
そうよね。私達のお世話ばかりで二人も疲れているのに。こんなところにまで付き合わされた挙げ句、当の私達は遊んでいるだなんて。リヒトとメアにも休暇を与えないと。
「そうだ! このおやつのクッキーにバターを塗りたくって……」
「わっ! 馬鹿、やめろ! 俺まで怒られんだろ!」
まずいわ。何だかリヒトが怒り出してる。あぁ、胸が痛むわ。暑い中、ろくに休まずに働いているんだもの。苛立つのも無理はないわ。
「は、離せーっ! あのお色気姉妹を肥え太らせてやるんだから! これもだ! えいっ!」
「あーっ! 洋菓子がクリームまみれになったじゃねえか! こんなもん食わせられるか!」
どうしよう。何を言っているのかまでは聞き取れないけど、何だか発狂したメアをリヒトが羽交い締めにしているわ。
と、とりあえず水遊びはこれくらいにしておかないと。
「アメリナ、そろそろ遊びは終わりにして、魔法の訓練をしましょう」
「へっ? あっ、はい!」
魚と戯れるアメリナを呼びつけ、直ちに練習へと移る事に。
幸いにもここは水が豊富にある。土も緑だってある。暑い陽射しが照り付け、程よい風も吹く。完璧な条件だわ。
「良い? まずは魔法とは何かを知る事から始めましょう」
「お願いします、お姉様!」
そして私は、実際に自然を操って見せ、魔法という現象を呼び出した。
魔法とは大きく分類して四属性となる。水、火、風、土、誰しもがそれぞれに得意な分野があるのだけど……。
「やあっ! はあっ!」
発声音だけは一人前なアメリナ。でも、そのほとんどがろくに魔法を呼び出せてはいなかった。
中等部の頃でも簡易的なものは習っているはずなのに。才能が無いって事なのかしら。
「あれれ、やっぱり駄目みたいです」
「そんな事はないわ。まだ要領を得ていないだけなんだから、練習すればきっと上手くなるはずよ。それまでは付き合ってあげるから」
「本当ですか! やった!」
てっきり落ち込んでいるかと思っていたけど、大丈夫そうで安心したわ。
それにしても、アメリナの魔力適正検査はどんな結果が出ているのかしら。とてもじゃないけど、本人には恐くて聞けないわね。
「そうだ! お姉様、久し振りにあれを見せてください! あの大きな鳥です!」
「別に良いけど、見せたら少し休むわよ」
「はい!」
期待の眼差しを浴びる中、手のひらに炎を生み出した。これは私にとっては造作もない魔法。だって、後は姿を思い浮かべて念じるだけだから。鳥になれ、と。
「わあーっ! 綺麗ですね!」
描き出したのは炎と氷の鳥。寝起きのように翼を広げて伸びをし、甘えたそうに頭を寄せてくる。そっと人差し指で頭を撫でてあげると、気持ち良さそうに瞼を閉じていた。
私の魔力をあげている間だけ生きられる儚い命。例え再び産み出せても、その子はまた別の命なのかもしれない。そう思うと、何だか悲しくなってしまう。
「ねっ、お姉様、私も触ってみて良いですか?」
「別に構わないけど、少し熱く感じてしまうから、軽く触れるだけにしなさい」
本来なら他人が呼び出した魔法は危険なもの。でも、魔力の波長が近しい親族は例外。五感に少し影響するだけで、大した危険性はない。
現に小さい頃はアメリナと一緒にこの鳥の魔法と遊んでいたし。
「わあーっ! この子、やっぱり可愛いですね!」
そう言いながら背中を撫で、もう片方の手で嘴に触れようとしたアメリナ。
「痛っ」
突然翼をばたつかせた鳥の魔法が、アメリナの指を噛んでしまった。『キュー、キュー』と鳴き、威嚇しだす。
「アメリナ、大丈夫!?」
すぐに魔法を掻き消し、血が滲むアメリナの手を掴む。
……良かった。大した怪我ではなさそう。
「えへへ、嘴は嫌みたいでしたね。悪い事しちゃいました」
少し気まずそうに笑うアメリナ。本当に悪いのは私なのに。魔法演習の時もそう。私の油断と驕りが招いた事だ。
━ヴェロニカ本邸・館内━
「今日は楽しかったです! おやすみなさい!」
「ええ、おやすみ」
その夜、何事も無かったように元気なアメリナと別れ、寝室へと戻った私。カウチソファに腰掛け、机に置かれた魔法書を見つめる。
今日の出来事は本当に大した事が無かった。リヒトもメアも、当人のアメリナでさえも気にしてはいない。
それでも私は、恐かった。
魔法演習での魔法の暴走。もしあれが私の魔法だとしたなら、私の意思とは無関係に暴走した事になる。だとすれば、一度ならず二度も私の魔法が人を傷付けたんだ。
「エヴリンの言う事も、あながち間違っていないわね」
皆が私とは離れた場所にいる。ほんの少しだけど、安心できるわ。私の身に何かが起きても、迷惑をかけないですむもの。
それでも、恐い事には変わりない。
何度も繰り返した中で、今後何が起こるのかは予想できていた。でも、今回は違う。今まで起きなかった事象が多すぎる。
もしも私の力が暴走したら。もしも沢山の不幸を生み出す切っ掛けになったら。
万が一そうなってしまえば、今までのような処刑では済まないだろう。一思いに死ぬのではなく、数え切れない憎しみを全身に浴びながら、一つずつ身体に罪を刻まれていく。
そんな恐怖が脳裏を駆け巡り、ぎゅっと胸を押さえ、踞る私。悪い想像を押さえ付けるようにして、この日は眠れぬ夜を過ごす。
明日には忘れられる。そう願って。
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