あれから数日。
屋敷を追放されたエヴリンは家族諸ともこの地を去った。
後になって発覚した事実なのだけど、彼女には他にも余罪が見つかっていたらしい。
エヴリンと数名の使用人は数年前から経費捏造を繰り返していた。その差額を横領し、今では相当な資産を持っている、何て噂も。
他国へ渡ったのか、何処かで静かに暮らしているのか、彼女の現在は知る由もない。
果たしてこの事象はこれで完結なのだろうか。もしかしたら今回の事はほんの小さな出来事に過ぎず、やがて大きな事象へと繋がるのではないだろうか。
そんな不安が、脳裏に過る。
━レーゲンブルク城・薔薇園━
その日の夜、私はヴェロニカ領での最後の夜を過ごしていた。
「はぁ、明日には王都へ戻らなければいけないのね」
深く溜め息を吐き、ガーデンテーブルに項垂れる私。
夏期休校も明日で終わり。そして新たな事象の始まり。
今はもう夜更けだ。本邸の二階にある居住区では、ちらほらと部屋の照明が消えていく時間。灯りが消えていく度、空に浮かぶ星達が顔を出す。
東京で暮らしていた頃では滅多に見る事はできなかった星空。いいえ、この世界の空気は日本の空気よりも澄み渡っている。きっと元の世界に戻れたとしても、二度と見る事は叶わないだろう。
次の転生では、どうなるのか何てわからないのだから。
「アンスリアお嬢様、今はもう秋の暦。こんな夜分遅くに出歩いては、お身体に障りますよ」
薄暗い薔薇園の中、ぼんやりとランタンの明かりが灯る。この屋敷で私の心配をする者なんて極僅かだ。だから聞くまでもなく、それはリヒトだとわかる。
「誰の迷惑にもならないのだから、別に良いでしょう」
項垂れたまま、顔を上げずにそう返す私。今更リヒトに取り繕う必要も無いし。
「そう言うと思いましたので、こちらをご用意致しました。眠る前に是非、お召し上がりください」
そう言ってテーブルに置かれたトレイには、最早馴染みの深いティーセットが乗せられていた。
わざわざ私に気を利かせて、就寝前紅茶まで用意してくれていたのね。ここまで気配りできるだなんて、本当に完璧な執事だわ。
……私のではないけれど。
「本日の茶葉は東の国より取り寄せたセイロン茶でございます。また、安眠効果を促すカモミールとレモングラスもブレンドしておりますので、寝付けぬ夜にも適当かと存じます」
「そう、ありがとう」
早速ティーカップに手を伸ばし、口許へ近付ける。仄かな甘い香りが立ち込め、すっきりと鼻を通る柑橘系の酸味。
なるほど。少しだけだけど、何だか落ち着く味だわ。
「ところでリヒト、この間の事なのだけど……」
ずっと気になっていた事。
それは先日のエヴリンの一件だった。あの時のリヒトは、明らかに演技をしていた。あたかも偶然を装っていたけれど、真相を知っていたように見えたのだ。初めからエヴリンが私の料理に毒を混ぜる事を知っていたかのように。
「流石はアンスリアお嬢様、実に慧眼でございます」
「それじゃあ、やっぱり……」
「はい、ご察しの通りです。俺はエヴリンさんの悪事を以前から知っておりましたので。度重なるアンスリアお嬢様への嫌がらせ、それと経費の横領も。少々予定と違ってしまいましたが、無事に暴く事が出来て幸い致しました」
やっぱり、最初からリヒトの筋書き通りだったのね。だから皆も手際良く動けていたと言う訳か。リヒトに指示されて。
「……まぁ、本当はエヴリンさんを探っていた訳ではないのですがね」
「えっ? 何か言ったかしら」
「いいえ、何でもございませんよ」
確かに何かを呟いていたリヒト。
時折見せるその表情は、何故だか不思議な影を感じる。決して忠誠心を疑っている訳ではない。
でも、どうしても気になってしまう。彼の事を。
「そう言えば、貴方の年齢はいくつかしら?」
「アンスリアお嬢様とご一緒です。一七歳ですよ」
「何処で執事の仕事を習ったの」
「俺の故郷にある専修学校です。執務だけに非ず、剣術、建築まで何でも修める事ができました」
「出身はどこかしら?」
「出身はレムリア王国ではありません。他国より移住して参りましたので」
私がどんなに踏み込んだ質問をしても、リヒトは淡々と答え続けた。
普通なら主が使用人の素性を気にする事なんて無い。
そもそも使用人の身元や経歴なんてものは、雇う際に上級執事が調査しているのだから。
なら、どうして私はこんなにも聞いてしまっているのだろう。
リヒトがどんな人間なのか気になるから。勿論それもある。けど、単純に彼と話をしている時間が楽しいからだ。
「アンスリアお嬢様との談話は、とても充実感を覚えますね。ですが今日のところはこの辺で御開きと致しましょう。夜更かしは美の大敵でございますよ」
「……そうね、そうしましょう。付き合わせて悪かったわね」
「とんでもない。俺で良ければ、何時でもお付き合いさせて戴きます」
寝室への帰り道は、当然リヒトに付き添ってもらっていた。普段なら恐い筈の廊下も、今はそれすらも忘れさせてくれる。
この長い道のりも、遠くて良かったと思わせてくれる。
「それではお嬢様、おやすみなさいませ」
「ええ、おやすみ」
リヒトの淹れてくれた紅茶のお陰かしら。今夜はぐっすり眠れそうだわ。
いいえ、それだけではないわね。リヒト自身が、私にとっての安眠剤なんだ。
━本邸・寝室━
「おはようございまーす!」
「おはよう、メア」
翌朝、寝室へ訪れたメアよりも早く、私は起床していた。
目もしっかりと冴えているし、身体の調子も良い。生家で過ごす最後の日としては、悪くない幕開けね。
そっか、今日でこの家とはお別れなのか。私の第二の人生が始まった、この家とも。
「ちょっとメア、早くそこを退いて。でないとアンスリアお嬢様が出発に間に合わなくなるじゃない」
「そうですよ。急いで荷物を運ばないとですよ」
廊下から聞こえた二つの声。メアとリヒト以外で私の部屋へ来る者なんて居ない。
その筈なのに……。
「アンスリアお嬢様、おはよう……ございます」
「朝食の準備は出来てますから、ここは私達にお任せください」
その声の主は、アンナとクロエだった。
どうして来てくれたのかはわからない。誰かの指示? いや、そんな訳は無い。
まぁ、理由なんて何でも良いわ。正直のところ、メアと二人でこの荷物を運ぶのは骨が折れそうだったし。
「アンナ、クロエ、ありがとう」
これが私の素直な気持ち。
使用人の中では様々な憶測と噂が広がっているみたいだけれど、本当の私は違う。
どうして私の風評が悪くなってしまったのか。結局それは、謎のままだった。
薔薇園を燃やしたのも誰の仕業なのかはわからない。可能性としてはエヴリンだけど、証拠なんてものはないのだから。
「さあ、アメリナ、帰りの支度は平気?」
「はい! お母様」
「よし、それでは行こうか」
そして訪れた出発の時。
アメリナとその両親は楽しそうに並んで歩き、私は後ろを付いていく。
見送る使用人達の中、リヒトが馬車のドアノブへ手を伸ばし、新たな苦難への扉が開かれる。
ガタガタ、ガタガタ。
帰りの馬車の中は、私独り。何せ相当な荷物が一緒に積まれているから。
ひたすら窓の景色を眺め、哀愁を漂わせるだけの私。僅かに聞こえてくるのは、リヒトとメアの漫談。
「アンスリアお嬢様、そう言えばアンナとクロエからの伝言を預かっておりますが、お聞きになりますか?」
小窓を開けてそう言うのは、ブリオッシュサンドを頬張るリヒトだった。
なるほど、メアと言い合っていたのはそれを取り合っていたのね。
「ええ、聞くわ」
腕を組み、興味無さげにそう返す。
内心は、少しだけ気になる。
「薔薇園のお世話はお任せください。次にアンスリアお嬢様がご帰還なさるまで、責任を持って承ります」
「そう、安心したわ」
正直のところ、私に次なんてものは存在しない。もし見られたとしても、転生してまた一から作り直した時だ。確かに花を育てる事は好きだった。何かを作る事は楽しかった。
でも、私が薔薇園を作った理由は……。
「あぁ、それともう一つ。どうせ誰も薔薇園を使わないんだったら、私達がお昼休憩にでも使わせてもらうから。でないと薔薇達が可哀想だし、だそうです」
「……そう」
「ねえ、リヒト君、それも伝言しろって言ってたっけ?」
言伝てではないなら、きっとお世辞なんかでもないわね。なら、本当に使ってくれるという事なんだ。……良かった。
決して無駄ではなかったんだ。私の真意を知っての事では無いだろうけど、アンナとクロエが薔薇園を使ってくれるなんて。
それでもし気に入ってくれたら、私の努力は報われる。
何度でも作って見せるわ。何度やり直しても、必ず。
この一月、辛い事が沢山あったけれど、良い事もいっぱいあった。今なら言えるわ。帰ってきて良かった、って。
明日からは学園生活に戻るけれど、少しだけ楽しみになったわ。
だって今の私には、未来が見えないのだから。
「うわっ、お嬢様が一人でニヤニヤしてる」
「お前、言い方よ」
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