「ジュリアン様、違います! 私ではありません!」
これは甦って欲しくない記憶。消し去りたい過去。
初めて迎えた卒業パーティー、それは即ち断罪の日。人の役に立とうとどれだけ切磋琢磨したところで、起こる事象の強制力には敵わなかった。全てが悪い方向へと運び、最初の死を体験したあの日。
「アメリナ、お願い! 私を信じて!」
私がアメリナに手渡したワイングラス。そのグラスの底には、不自然な靄が漂っていた。偶然そこに居合わせた小さな男の子が、お酒というものに興味を抱き、アメリナから譲り受ける。それを飲み干した男の子は、もがき苦しみ、間も無く息絶えてしまう。
皆が一斉に指を差し、犯行に及んだ者を取り押さえた。犯人は妹の信望に嫉妬した姉、アンスリア。
レムリア学園内でもヴェロニカ家でも悪評が際立っていた私は、誰からも擁護はされなかった。
「あいつは魔女だ! 殺せ!」
「殺せーっ! 殺せーっ!」
王都の北端にある海岸。そこに建設された大きな処刑台は、数多の罪人を裁き、死へと誘う冥界の門。
断頭台の至るところに染み付いた赤黒い模様は、繋がれた者の恐怖を煽る。天井に吊るされた重厚な刃は、人生の終わりを告げる。
「やめて……下さい……死にたく……ない」
後ろ手に手枷を嵌められた私は、研ぎ澄まされたギロチンの真下へと跪かされた。首を二枚の板で固定され、何も見えなくされて。
せめてもの慈悲なのか、豪奢なドレスを着たままの私。誇り高き貴族の人間として、最後は華々しく散れ。とでも言うように。
でも私は、怯えていた。恐くて恐くて、泣き叫んでいた。声が枯れるまで。
「誰か……助け……」
ザンッ!
一瞬だった。まるでテレビの電源を切ったかのように、瞳に映る映像はプツンと暗くなった。
どうして、どうして誰も助けてはくれないの? 私は、何もしていないのに。
━バステュール邸・大広間━
そう。これまで何度も体験した一年。今まで、誰も私を庇ってはくれなかったのに。
貴方様でさえ……。
「ぐっ……怪我は……無い?」
「嘘……どうして……」
ディートリヒさんに心臓を貫かれる寸前、私の前に立ち塞がったのは、ジュリアン様だった。
背中を思い切り刺されているにも関わらず、ジュリアン様は私の身の安全を懸念する。私の肩に触れる彼の手は、次第に色を失っていく。
「やばい、やばいやばいやばい! うっ、うあぁぁぁーっ!」
発狂したディートリヒさんは、ナイフの刃を自分の喉元に突き立てようとした。
今の彼は錯乱している。王太子殿下を刺したとなれば極刑、暗殺の疑いをかけられて拷問は免れない。
かと言って、自害なんてさせられない。私と同じ苦痛を、誰だろうとさせたくはない。
「リヒト!」
「御意!」
私の一声で察したリヒトはマスクを脱ぎ捨て、ウイスキーボトルを空へと投げた。すかさず宙を舞い、ボトルを蹴り飛ばす。
バリィン!!
見事にディートリヒさんの顔面に命中。砕けたガラス片と共に床へ倒れた。その隙に食卓を容易に飛び越えていくリヒトは、瞬く間にディートリヒさんを縛り付ける。
「ははは……君の執事……確かリヒト君だよね。格好良いなあ……」
断続的にそう話すジュリアン様。
床に寝かせられた身体を起こし、頭を持ち上げ、私の膝に乗せた。
「……それに比べて、僕は、格好悪いね」
無言のまま、しきりに首を振る私。
「君に……謝りたかったんだ。もっと……君に寄り添うべきだった」
「……私の方こそ」
私は今まで、ずっと自分の事ばかり考えていたんだ。その結果がこれだ。最悪の形で彼を巻き込んでしまったなんて。
もう、どうしたら良いのかわからない。
「ごめん……なさい」
それだけしか言えない。
「謝らないで……僕は……こんなにも嬉しかったんだから。君に伝えたかった事……言えて……良かった」
周囲が騒ぎ立て、慌てふためく中、ジュリアン様はとても安らかに微笑んでいた。
「何やってんだ! 医療班を早く呼べ!」
「このお怪我では間に合いません! 宮廷治癒師の派遣を要請します!」
すぐに駆け付けてきた衛兵に担がれ、大広間から運び出されていくジュリアン様。私は床に座り込んだまま、動けなかった。
駄目だ。こんな状況なのに、意識が薄れていく。もう……限界。
「……アンスリアお嬢様!」
━ヴェロニカ邸・納屋━
あれからどれだけの時が過ぎたのだろう。
軋むベッドに横たわり、小さな鎧戸から空を見上げていた。
コンコン。
「失礼します。お加減はどうですか?」
鉄製の扉の奥から、メアの声がする。
「メア、何度も教えているでしょう。扉を叩く時は三回以上叩きなさい。ここは手洗場ではないわ」
ガチャ。
「はぁーっ、良かった。調子戻ってきたみたいですね!」
「久々の別荘にいるからかしら。気が紛れてちょうど良かったわ」
別荘とは我ながら良く言ったものだわ。
私が今いるところは、ヴェロニカ邸から離れた納屋の一室。古びた骨董品や使われなくなった家具が押し込まれ、小さな窓から射す陽光だけが唯一の照明。
よほどの事でレオニード公爵を逆上させた場合にのみ、収監させられる部屋だ。
「それで、ジュリアン様のご容態は?」
「あっ、はい、全然心配しなくて良いらしいですよ! 治癒魔法が間に合ったみたいなので」
「そう、ご苦労様」
夜会の晩、私の身代わりになってお怪我をされたジュリアン様は、すぐに最高峰の医療機関へと運ばれた。
その甲斐もあって無事に目を覚まし、今では傷痕も残ってはいないのだそう。
「お見舞いに行って差し上げたいけれど、こんな不恰好ではね」
「お嬢様……」
今の私の顔は、とても世間に晒せたものではない。
夜会の後、リヒトに抱きかかえられた私は、すぐにヴェロニカ邸に帰還した。既に早馬から事情を聞いていたレオニード公爵は当然大激怒。その後の事は、至っていつもの流れ。
懲罰を受けた私の頬は赤く腫れ、唇の端は切れて紫色に。蹴られた鎖骨だってそう。未だに青痣が引かないのだもの。
因果応報。私にぴったりの言葉だわ。
私が余計な事をせずに、衛兵に知らせてさえいれば……。
「あの……それでですね。……旦那様から、言伝てがあるのですが……」
妙に言い難そうに話すメア。まぁ、レオニード公爵の名が出た時点で、私には訃報な内容なのね。
「メア、早く言いなさい」
「はい……えっと……明日からレムリア学園は夏期休暇に入るじゃないですか」
何度も繰り返された盛夏の一月。それは私にとって安息の一ヶ月だ。なぜなら最低限の使用人と私を王都の屋敷に残し、レオニード公爵達が領地へと戻るのだから。
今回はメアもいるし、どこかへ遠出してみようかしら。
もしかしたら、リヒトも残って……。
「だから全員でヴェロニカ領へ一時帰宅するぞ、って……」
「……え?」
さようなら、私の平穏。
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