「アメリナ、アンスリア、支度はできましたか?」
「はい、お母様!」
「はい」
馬車の傍で待つシャルロット夫人に呼ばれた私とアメリナ。
今日から一ヶ月、レオニード公爵が統治するヴェロニカ領へ帰省する事になっていた。勿論拒否権は無く、私も同行する羽目に。
「さあ、アメリナ、お前もこっちに乗りなさい」
優しい笑顔のレオニード公爵が、アメリナへ手を差し出す。
「いいえ、お父様、私はアンスリアお姉様と一緒に乗ります!」
なんて幸先の悪い旅路。比喩ではあるけれど、早速空に暗雲が立ち込めているじゃない。それにどんよりとしたこの空気、酸欠になりそうだわ。
「……仕方がない。アンスリア、しっかりアメリナを見張っておくんだぞ」
「はい、畏まりました」
「もう! 二人共、子供扱いしないでよ!」
━王都西方・ヴェロニカ領━
ガタガタ、ガタガタ。
「見て見て、お姉様! ルベール湖よ! 懐かしいなあーっ!」
「ええ、そうね」
馬車の中、私はアメリナと二人きりになっていた。御者席にはリヒトとメアがいるけれど、何とも落ち着かない空間。
このレムリア王国は封建制の国。それはこの異世界では決して珍しくはない。各地の諸侯が土地を与えられ、独自の政治と発展を主導する。当然、我がヴェロニカ家も例外ではない。
代々受け継がれたこの土地は、緑の自然に恵まれた豊穣な土地だった。農業も盛んで領民達の生活も潤い、笑顔が絶えない。でも、何よりも発展させた理由は、魔法具を生産しているヴェロニカ家の恩恵があるから。
「ねえ、お姉様」
すっと私の隣に腰掛け、俯くアメリナ。普段の明るさが嘘のように消え失せる。
「どうしたの? 言ってみなさい」
「実は夜会にジュリアン様を招待したの、私なんです」
なんだ、そんな事か。言われなくても、おおよそ見当はついていたけれど。
「最近、お二人の仲が宜しくないように見えて、それで……」
それでオーウェン様にも頼んで、私を夜会に参加させた。
まぁ、アメリナの思惑なんて、恐らくオーウェン様は知らなかったのでしょう。彼が夜会に招待してくるのなんて日常茶飯事だし。
「お姉様が私の事をお好きではないのは知っています。私、迷惑ばかりかけてましたよね。何をやっても空回りで、私のせいでお父様にも叱られて。でも、本当にそんなつもりではなかったんです」
「アメリナ……」
「今まで、ごめんなさい」
本当に予想外だった。アメリナがそんな風に思っていただなんて。
確かに私はアメリナと距離を置いていた。でもそれは、自分の身を守る為だった。
「アメリナ、謝るのは私の方よ。私はずっと貴女を避けていたんだから」
「……やっぱり」
膝の上で握り締めたアメリナの手に、透明な雫が落ちる。
「違うの、貴女は悪くないわ。私が臆病だったせいよ」
「えっ?」
顔を上げたアメリナは、潤んだ瞳で私を見つめた。
正直に言えば、恨んだ事もあった。憎んだ事も、疑った事も。でも嫌いになった事はただの一度もない。だって……。
「だって、アメリナはこんなに可愛くて良い子なのよ。嫌いになる訳ないじゃない。明るくて、素直で。ちょっとお馬鹿なところもあるけれど。それも全部含めて、私の大切な妹なのよ」
「もう、お姉様ったら。酷いです」
そう言いながら、私の肩に寄りかかるアメリナ。そこからはずっと、二人で故郷の景色を眺めていた。
もうアメリナから逃げるのはやめよう。
例え断罪の日が訪れても、最後までこの子の姉でいよう。
━ヴェロニカ領・城内━
「アンスリアお嬢様、アメリナお嬢様、到着致しましたよ」
馬車の扉を開き、リヒトがそう知らせる。
そこはヴェロニカ公爵家の誇る本邸、レーゲンブルク城だった。何代にも渡る祖先達が財を成し、その権力を誇示する為に建てられた建造物。
巨大な城壁が敷地を取り囲み、至るところに水路が走る。その中心に聳えるのは、五階建てにも及ぶ屋敷。天にも昇る監視主塔。
私が幼少の頃に暮らしていた景色のままだ。年月で言えば、ほんの五年前。でも今の私からしてみれば、一六年分もの遠い過去の記憶になる。
両親から確かに与えられていた愛情の思い出が、辺り一面に散らばり、両親から打ち捨てられた悲壮の過去が、幻覚として城を彷徨う。
「……お姉様?」
「……何? どうかした?」
「あの、それ……」
アメリナが指差したのは、私の頬だった。瞳から頬を伝り、流れ落ちていく涙。
なぜ涙してしまったのか、自分でもわからない。
「ごめんなさい、気にしなくて良いわ。少し感極まってしまっただけよ」
「そうなんですか? なら、良いんですけど……」
この子に心配をかけてしまうだなんて、姉失格だわ。だってアメリナは笑顔が似合うんですもの。
「お帰りなさいませ」
「家臣一同、心よりお待ち申し上げておりました」
そう言って私達を出迎えてくれたのは、上級執事のアイザックと家政婦長のエヴリン。
その後ろには何十人もの使用人と衛兵が並び、瞳を輝かせている。
「お前達、荷物を運びなさい」
エヴリンの一声でメイド達が動き出し、手際よく馬車から荷を下ろす。
「エヴリン、長旅で肩が凝ってしまったわ。少し休息を取りたいから、ハーブティーを庭園まで寄越して」
「畏まりました、奥様」
扇で風を浴びながら、シャルロット婦人が庭へと向かって行った。
「アメリナ、貴女もいらっしゃい」
「はい!」
アメリナもまた、楽しそうに駆け出していく。
いつの間にかレオニード公爵もアイザックに付き添われ、屋敷へと消えていた。
忙しなく私の隣を往復する使用人達は、まるでスクランブル交差点を渡る現代人のよう。その中心で佇む私は、世界から取り残された亡霊。
「アンスリアお嬢様、もし宜しければ、貴女様の自室を拝見させて頂けますか?」
そこには、心配そうに私を見つめるリヒトとメアの姿があった。本来ならリヒトは私の傍に居てはならないのに。いいえ、彼ならそんな当たり前な事なんて承知の上で言っているのね。
「ええ、ここに来るのは初めてだものね。ついでに案内してあげるわ」
「お心遣い、恐悦至極にございます」
「あっ! じゃあ私もー!私の方がお嬢様よりお屋敷の事知ってるし!」
深々と頭を下げるリヒトとは真逆に、大手を振るメア。
「ふふふ、それじゃあメアも一緒にね」
そんな対象的な二人を見ていると、つい面白可笑しくなってしまうわ。
「うわ、お嬢様の笑った顔、久し振りに見たわ」
「おぉ、すげえかわい……。流石はアンスリアお嬢様、とても素敵な笑顔にございます」
……なんか馬鹿にされてる?
━ヴェロニカ本邸・自室━
「ここが私の私室よ。さあ、入って」
久々に訪れた屋敷内を見て回った私達は、五階の一番角の部屋に到着していた。それは私の寝室。他の家族は皆、二階に寝室を置き、隣り合っている。
何故私の部屋だけが遠く掛け離れているのか。それは家政婦長エヴリンの提案だった。歴代のヴェロニカ家の中でも、随一の魔力を持つ私。その異質な力がいつ暴発してもおかしくはない、というエヴリンの苦言により、独り居住区から離された。何の証拠も、根拠も無いのに。
「……ごめんなさい。すぐに片付けるわ」
扉を開き、自室を一番に垣間見た私は、自然とそう口に出してしまった。
わかってはいた。こんな事は予想していたんだ。私の知っている部屋は、もうそこには無いという事を。
蜘蛛の巣が大きく張り巡らされ、色鮮やかな家具は埃で色彩を失い、衣服が床一面に散らばるこの部屋。壁紙が剥がれて、ベッドの天蓋も落ちていて。
私が王都に出て以降、一度もこの部屋を清掃に来た者はいないんだ。ただの一度も。
カーテンレールを走らせ、大きな両開き窓を開ける私。吹き抜ける風が、部屋の陰気を取り除いていく。
落ち込んでいても仕方がない。暫くはここで生活するんですもの。
「よーし、メア! どっちが部屋を綺麗に掃除できるか勝負しようぜ!」
「はっはっは! 新人執事の癖に生意気ね! 私はこの道一二年のベテランメイド! お嬢様のお世話を仰せつかって一五年のプロフェッショナルよ!」
「いやいや、計算おかしいだろ」
途端に張り合うリヒトとメア。袖を捲り、雑巾片手に部屋中を駆け回る。顔中埃まみれになって、汗も沢山流して。頭に蜘蛛の巣なんか付けちゃって。
「クスクス……あはははは! 二人共、後でしっかり身体を洗いなさい」
「はーい!」
「御意!」
誰も立ち寄らない最上階のこの部屋も。照明が灯る事はない薄暗いあの廊下も。今ではこんなに明るい場所に変わった。それはリヒトとメアが居てくれるから。
今までの転生では、決して私の傍に存在しなかった二人。もし次の転生で、また二人が消えてしまったなら。
私は、今度こそ堪えられないと思う。この温もりを知ってしまったから。
嫌だな。死にたく……ないな。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!