「メア、アメリナのスープを下げなさい」
ヴェロニカ本邸での昼食時。
団欒する皆の前で、私はそう命令した。それも食事を始めて間もない時に。
「聞こえていなかったの? 早くその皿を戻しなさい」
「へっ? あっ、はい」
この広い部屋に居る全員は、今何が起きているのかわからない。当然だ。何せここには、毒を持った犯人が居ないのだから。
「アメリナお嬢様、失礼しますね」
「えっと……うん」
手に持っていたスプーンを置き、呆けた顔で取り上げられた皿を見つめるアメリナ。
静まり返る食卓。凍り付いたように怯え出す使用人達。
「アンスリア貴様! 一体なんのつもりだ!」
怒りと苛立ちを含むレオニード公爵。作られたその拳が食卓を揺らす。
既に身構えていた使用人達だったけれど、やっぱり身を竦めてしまう。こうなる事を予想していた筈なのに。
「レオニード公爵、そちらのお皿をご覧ください。あの緑色の液体はソース等ではありません。紛れもなく毒物、人体に影響を及ぼすものです」
「……なっ、毒だと?」
どうしてお前はそんな事がわかるんだ? そう言いたげなレオニード公爵。
こんな事を言ってしまえば、疑われるのはむしろ私ね。まぁ、良いわ。アメリナが無事なら。
そもそも何故狙われたのがアメリナなのか。自分で言うのも何だけれど、普通に考えて私の役目ではないのかしら。
「貴様はさっきから、何を馬鹿な事を言っているんだ」
レオニード公爵がそう反応するのも想定内。
でも毒を盛られたのは私ではない。盛られたのは貴方が大切にしている方の娘、アメリナ。
いつも太陽のように貴方の心を照らし、可憐な笑顔が疲れた身体を解してくれる癒しの偶像。そんな愛しい娘が狙われたなら、貴方は放っておける訳がない。そうでしょう?
「旦那様、一つ俺に提案がございます。アンスリアお嬢様の仰る事が嘘か誠か。それを確かめる手段を、恐れながら進言させて戴いても宜しいでしょうか」
今までの成り行きを静観していたリヒト。深々と頭を下げ、レオニード公爵の返事を待つ。
ほんの一瞬だったけど、彼の前髪の隙間から覗かせたのは、不適な笑みだった。まるで別人のようなその表情は、私に恐怖を感じさせた。
「……良いだろう」
「感謝致します。では、暫しお待ちを」
笑顔でそう言うリヒトは、すぐに食卓の間を後にした。
「ちょっと、放しなさい! 一体何だってのよ!」
部屋の外から暫くして聞こえてくるのは、一人の女性の怒鳴る声と複数の足音。
そして食卓の間への扉が再び開かれた。
「リヒト、これはどういう事だ?」
状況を飲み込めていないレオニード公爵。
何故ならリヒトが連れてきたのは、料理長のジョゼフと下女中の二人、それとエヴリンだった。
中にはすぐにこう悟った者も居ただろう。犯人はこの四人のうちの誰かだ、と。事実、過去に私に毒を盛った人物の一人がこの中に居る。
薬を求めて本邸を彷徨ったあの時、廊下から偶然聞こえた二人の会話。さも子供の悪戯のように嘲笑っていた内の一人は、エヴリンだった。
「何、簡単な話でございます。本日の料理を担当したこの四人に、改めて味見をさせれば良いと思いましてね。ただのソースなのか。はたまた違うものなのか」
「リヒト君、今一話の内容が見えないんだが、私の料理に何かあったのかい? 」
自分の置かれた境遇に、皆目見当のつかない料理長。
何年もヴェロニカ家に仕えてきた彼だったが、調理の合間に呼び出されるなんて事は滅多に無い。ましてや主料理どころか魚料理すら出していないのだから、さぞ困惑しているのだろう。
でも料理長の困り果てた表情は、一瞬にして一変させられる事となった。
毎夜遅くまで考案して生み出した作品。腕に縒りを掛けて作り上げた料理。その中には、毒が混入していると聞かされたのだから。
「……いや、まさかそんな筈はございません。お出しする料理は全て、私自らが何度も味見をしております。それは厨房に居た皆が見ているはずです」
冷静を装い、そう弁明する料理長。
「……いや待てよ。最後に料理に触れたのは、確か君だったよな。出来上がった料理を配膳台に乗せてくれたのは、エヴリンだ」
……やっぱりね。手口が全く変わっていないのだもの。想像のまま過ぎて驚きもしないわ。まぁ、私以外の者達は心底驚愕しているみたいだけれど。
「旦那様、やったのは私ではありません! ……そうよ、やったのはアンナとクロエです! きっと配膳中に入れたに違いありません!」
「はあ!? ふざけんな! 私達な訳無いでしょ!」
「そうです! そんなの、ただの言い掛かりです!」
「くっ、たかが下っ端メイドの分際で……」
血相を変えて開き直るエヴリン。その標的とされたアンナとクロエ。三人の言い争いが響き渡るが、何の解決にも至らず、話の終着点も見当たらない。
けどエヴリン、周りを良く見なさい。そして気付きなさい。貴女の言動と横暴な態度は、間髪容れずに皆の信頼を損なっている事に。
「……わかったわ! これは全てアンスリアお嬢様の自作自演です! 誰にも相手にしてもらえないから、皆の気を引きたくて自分で毒を混ぜたんですよ! 全く、何て卑怯な御方なのかしら!」
静まり返る一同。この女は何を言っているのか。そんな表情で、エヴリンを見つめる。
私が自作自演だなんて、的外れも良いところ。
醜い。何て醜悪な姿なのだろう。次から次へと饒舌に回るその口。悪びれた様子も無く、平気で他者を傷付ける。
でも、頭はあまり使えないみたいね。知性の欠片も無いわ。
「エヴリン、食卓をよく見なさい。毒を盛られていたのは私ではないわ。入っていたのは、アメリナの皿よ」
「……そんな……なんで。だって、ちゃんとクロエに……」
喋れば喋る程こんなにも粗が出てくるだなんて、内心は相当焦っているのね。
ここまで来たらもう、誰もが信じて疑わないだろう。犯人はエヴリンだと。
「あーっ、これは失態。俺とした事が、アメリナお嬢様をお慕いするあまり贔屓してしまったぁ」
杜撰な演技をして見せるリヒト。まるで機を窺っていたかのように、アンナとクロエに合図を送る。
「私達、厨房を出てすぐにリヒトさんに言われたんです」
「アンナさんはいつも乱暴に皿を置くから、テーブルにスープが溢れてしまう。だからアメリナお嬢様の料理はクロエさんが運んでくれ、って。ちっ、どうせ私の配膳は雑ですよ」
なるほど、初めからこの三人は共謀していたのね。
敢えて多くを語らず、エヴリン自らに吐かせる。本来は私の前に置かれる筈だった毒入りスープ。それを知っているのは、毒を混ぜた張本人のエヴリンだけだもの。
「……えっ、あっ、そっ、そう! 確かにその通りだわ! やだわ私ったら、早とちりしちゃったみたい!」
……往生際の悪さは一級品ね。
「だ、だったら、やっぱり犯人はアンスリアお嬢様です! 皆に好かれているアメリナお嬢様に嫉妬して、嫌がらせをしたんですよ!」
「もう良い。黙れ」
そのレオニード公爵の一言で、直ぐ様足掻くのをやめるエヴリン。まるで裏切られたかのように、潤んだ瞳でレオニード公爵を見つめる。
「エヴリン、このスープを飲み干すんだ。一滴残らずな」
「い、いやいや、お待ちください旦那様! これは間違いなく、皆して私を嵌めているんですよ! きっと私の教育が厳し過ぎたんですね! だから今度からはもっと優しく……」
「飲め」
言い訳を遮るレオニード公爵は、冷めた目付きでそう命令する。力の籠った手でスープを指差して。
「……申し訳、ございませんでした。私がやりました」
遂に観念したのか、エヴリンは縮こまるように膝を突いた。額を床に伏せ、背中を振るわす。
彼女の給仕服から落ちたのは、緑色の液体が僅かに残った小瓶が一つ。
「ほら、しっかり立て! この大罪人め!」
衛兵に連行される前、エヴリンが言っていた。ほんの出来心でやったのだ、と。
あくまでも彼女は、私に毒を入れたつもりだった。だから罰を軽くしてくれ。それが最後の悪足掻きだった。
きっとエヴリンの頭の中では、アメリナに害を及ぼしたら重罪、アンスリアなら無罪放免、そう思っていたのね。
いいえ、エヴリンだけではないわ。ヴェロニカ家に仕えるほぼ全ての使用人が、同じ思考なのだろう。
「私がそう思われているのは全て、貴方が原因なんですよ。レオニード公爵」
屋敷の者達が集まる中、堂々と私を殴り、罵り、監禁した張本人、それは貴方。
虐待や調教なんて次元ではない。
私はただの奴隷ね。
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