京都――巽家の跡地にある、書斎の部屋に来ていたエマら。艮亮平――京都支部の総務部長が書斎に入ってすぐに、部屋の一番奥の棚の、一番上の端にある本に手を伸ばした。
「これや。巽サンが死ぬ前に、娘のことをずっと研究していたということがわかるはず」
「これ、私たちでも読めるやつですかね?」
エマが尋ねる――本は古びていて、表紙は行書……を通り越してもはや草書体ではないかとさえ思わせる。
「ああ、言うてもあれや……コウマの親世代やし……これ書いてから多分10年経ってへんで。これは一部の人間以外が手に取らぬように古い本でフェイクしとるだけや」
ウシトラの言葉通り、表紙をめくった次のページに、論文の表題のようなものが書かれていた。
『愚魔の習性から考えられる餌魔の効果およびそこから考察される愚魔の発生原因について』
「ウシトラさん……これって……」
「ああ。開発部愚魔研究課に持って行く予定やった論文や」
スナがエマの持っていた本を食い入るように横から見ている。
「けど、この論文の著者である巽繁治は、愚魔に襲われて死んだ。そして、餌魔である娘、巽アズサを逃がし、降磨洋伸――コウマさんの親父さんの孤児院へと引き取らせた」
「……でも、コウマさんの孤児院も襲われ、巽アズサさんは死んだ」
「愚魔研究課も顎門永生によって潰され、この論文もお蔵入り」
スナとエマが目を合わせる。
「まさか顎門永生の計算通りなんて事は」
「と、とりあえずこれ読もうよ」
一応大学生だし、この4人の中で一番論文の理解力はあると感じたエマが率先してページをめくり、文字に目を通していく。
書いてある内容は、主に3点。
・餌魔の特徴は、莫大な魔力量と、それが故に愚魔にとって高品質な食糧となること。
・愚魔は人間を捕食することで魔力を補っている。
・愚魔が生存するためには魔力の安定した供給が必要となる。
エマはそれらを数分で読んだ後、考察欄へと目を通す。ページをめくる早さに、ほか三人は少なからず驚いている。
「愚魔という生物は、魔力というものを栄養とした従属生物であると考えられる。人間など一般的な動植物とは異なるエネルギー循環の流れを持っており、魔力という人間にも存在する未知数のエネルギーを、人間以上に豊富な用途で扱うことが出来る」
この考察を読んだエマは黙り込んだ。ウシトラが声をかける。
「俺も初めて読んだときはびびったさ。この考察欄だけ読めばわかるだろ?」
「……はい」
エマが口を開く。
「愚魔は、魔力から栄養を補給することができる、という一点において、現代を生きる人間よりも進化した生き物です。それはきっと真愚魔もそうで、人間の姿から、少しずつ自然界や人間の体内に存在する魔力を扱ったり、栄養として補給したりという力が進化し、最終的に真愚魔という今の姿として、人間と一線を画す存在になった」
やや難しい話に、ミツハは疑問を呈した。
「ってことは、昔は愚魔も真愚魔も存在しなかったってことですか?」
「ううん、多分……愚魔や真愚魔として認識されていなかったんだと思う。それは多分、私たちのような、ちょっと魔力のコントロールが出来る人間、くらいにしか思われていなかった」
スナが何かを思い出したかのように呟いた。
「ダーウィンの進化論というものがあったな。あれになぞらえて説明はできないのか?」
「よ、余計に難しくなるぜ」
山崎ハルはパンク寸前だ。エマは視線を上に向け、考えながら説明する。
「えっと……例えば、カイコ……そう、絹糸の生産に使われるあのカイコは、蛾の仲間なの」
「ああ、そうですよね」
「蛾と言えば飛べるでしょ? でも、カイコは成虫になっても飛ぶことができない。なぜかというと、養蚕のために人間の手が加わったことで繁殖を容易にできているから。天敵もおらず快適な環境の中でエサを与えられ続けることによって、飛行能力を必要としない虫へと進化を遂げたの」
「それって、退化じゃねえのか?」
山崎が尋ねるが、スナが首を横に振る。
「進化は必ずしも能力が増えることじゃない。必要のなくなった能力を捨てる、というのも立派な進化なわけだ」
「……チンパンジーと人間、進化しているのは人間と、誰もが答える。だけど、握力や運動能力においてはチンパンジーの方が圧倒的に上でしょ?」
「ああ、まあ……そうだな」
山崎も納得したところで、エマは話を戻す。
「そう、ややこしくなっちゃったんだけど、こんな風に“環境に合わせて能力が変容する”というのが進化。だとすると、人間や動物が魔力を活用することでほかの種よりも生き延びられた環境があったってことになる」
「生き延びられた、環境?」
ミツハやハルは納得していないようだったが、スナはここで納得が出来た。
「……その環境って言うのが」
「そう、人間社会。おそらく、潜在的に魔力を持っている種が多いのは、圧倒的に人間。動物は住処を追われて食糧を失い、絶滅しそうな種もいる。だけど、人間を捕食することで魔力を補うことが出来る愚魔はおそらく簡単に絶滅はしない。
そしてそれは真愚魔にとってもそう。人間の中にいた、魔力のコントロールに長けていて、潜在的な魔力量の多い種が、魔力を補給することで生活を完結させられるという種に進化し、真愚魔へと変容した」
「つまり……進化の頂点に立ったと思っている人間を捕食するという形で、進化の枠から一線を画した存在になってしまったのが、愚魔や真愚魔ってことか?」
山崎が尋ねる。
「そう、真愚魔や愚魔の発生原因は、人間の進化。餌魔が狙われるのは至ってシンプル。莫大な魔力量があるが故」
「ちょっと待てよ。ってことは魔力量の高い人間が狙われるんなら、コウマさんだってずば抜けたもん持ってる。あの人だって狙われるんじゃ……」
「おそらくだけど、多分、味や匂いが違うんだと思う。餌魔と普通の魔力の高い人間とでは」
エマも自覚はある。明らかに目の色を変えている愚魔を、何度も見ているからだ。
ウシトラは、エマの表情を見て、何か確信に至ったようだ、と気づいたらしい。
「ところで高虎エマ。お前さん、何かに気づいたんとちゃうんか?」
「ええ、まあ」
エマは「おそらく予想ですが」と前を置く。
「……私のような餌魔は、自らの身体の一部……爪や汗などを餌として、『愚魔を従える』ことができます。でもそのために必要なのは……愚魔の本能をコントロールする力と、暴走した愚魔を止めるだけの圧倒的な強さ」
「……なるほど、アズサさんの生前の親が言っていた『愚魔を従える力がある』というのは、そういうことか」
ウシトラはここで笑った。
「なんなら、愚魔を飼ってるモンがおったやろ。お前らもよう知っとるはずやで」
「……コウマさんのことですよね。私が彼くらい強くなって、愚魔をコントロールする術を学べば、愚魔を従えることができる」
エマが笑う。ウシトラの確信は、間違いなかった。
――やはりか。恵美……お前の娘、愚魔狩界を変える子になるかもしいひん。
◆
時を同じくして、京都の市街。リンドウと、その師匠である大桐千歳は、京の街を散策していた。
「エマたちと合流するんすよね? こんなところで油売ってて良いんですか?」
「別に合流するつもりはない。あくまで護衛だ。いざってときのためのな。将棋でたとえあたら、エマは取られちゃいけない駒。まあ玉と言っても過言じゃ無いわな」
――あ、この人、最近のお気に入り女流棋士だったっけ。
団子を購入し、抹茶を啜りながらベンチを探す大桐。
「まあ、真愚魔組織が何らかの情報を手に入れ、京都に来たってなったら、俺がまず盾となり時間を稼ぐ。リンドウはその間に京都支部へ向かい、協力を要請しろ。例のワープの術も使ってやれる」
「あ、確かに! あれがあればここにいようが問題ないですよね」
団子を口に運んだ瞬間、ある数人の集団を見つける大桐。
「……リンドウ。魔力の圧、感じないか?」
「え?」
リンドウは首をかしげた――次の瞬間、圧に押しつぶされそうになるほどの衝撃が、急に襲いかかってきた。
「えっと……」
「ああ。来てる」
大桐が視線を送った先――数人の集団の顔が、一気に黒く染まり始めた。
「リンドウ、不可視認結界撒け。そのあと俺がワープさせる」
「わかりました」
リンドウは鞄から対愚魔7ツ道具の不可視認結界のスプレー缶を取り出し、スプレーしていく。
「あれって4体とも未登録ですか?」
「一人は見たことあるやろ。壁や道具に溶け込むことが出来る真愚魔、隠密の真愚魔や」
大規模作戦部隊のとき、第二・第四小隊をほぼ壊滅させた真愚魔。それが京都に来ている。
「大桐さん……時間稼ぎできますか? 相手4体ですよ」
「あの隠密の真愚魔は上位種。あいつだけでも足止めしてやるぜ」
「……わかりました」
死にはしないだろう、という自分の師に対する信頼感か、リンドウは大桐の言われたとおり、不可視認結界を撒いた後、すぐに大桐の術で京都支部の方へとワープさせられた。
「B、J、T……お前たち、先に行ってろ」
「はい」
着いてきていたほか3体の真愚魔をはけさせ、隠密の真愚魔が大桐の目の前まで来ていた。
「……」
「……」
互いに無言が流れる。
「……とりあえず計算通りですか、コードC……王者の真愚魔」
「……まあな。コウマや神野と言った奴らと分断ができたのは、想定外だったがな」
隠密の真愚魔は大桐の前で頭を下げる。
そう、大桐千歳こそ、真愚魔組織のボスにあたる真愚魔、コードC――王者の真愚魔なのだ。
「殺戮の真愚魔の術は、戻ってきてますか?」
「いや……もう少しかかりそうだ。コードYとコードSの術も、今のところまだ来ていない」
「Sの術は早いところ戻ってきてほしいですね」
笑う大桐。彼の術は、真愚魔組織に属している真愚魔が死んだとき、その真愚魔の術を引き継げるというもの。独りよがりな組織の体系と自らをチャンピオンと呼ぶ傲慢さを体現した術ともとれる。
「まあ、京都支部の場所は大体知ってる。B、J、Tに人間削ってもらっといて、あとで俺とお前が襲撃をかければ餌魔は手に入るだろ」
「……にしても、コードC……なんで餌魔に術教えちゃったんですか? というか、術をマンツーマンで教えているときに喰っちゃえば良かったんじゃ無いですか?」
「まあな……俺もまあ欲深いからな。確実に愚魔狩を潰せるタイミングを待ってたというのが本音だ」
隠密の真愚魔が笑う。
「いやー、さすがですわ。見据える先がレベチというか。ってことは、餌魔に術を教えたのは……」
「あれは……まあ……コウマと距離を近づけたくてね」
大桐は後ろを振り返り、ほか3人の真愚魔の後ろを追う。
「おかげで内通者としての線は薄くなってくれた。ま、俺はほとんど内通者としての仕事はしてないけどな」
「まあ、そこは……不死の真愚魔は幹部まで行ってたんでしょ」
「ああ……元々、俺とアイツで始めた計画だからな」
「愚魔狩潰して、真愚魔の社会を作る……っていうのはな」
◆
「おそらく渋谷の街を襲っている真愚魔はコードX、拡大の真愚魔だ!! 術は触れたものを膨張させ破裂させると言った仕組み!! 真愚魔本体の戦闘力、耐久力等は未知数!! 距離を取って戦え!」
日愚連警備部の者らで渋谷の街を封鎖し、小隊を5つにわけ『拡大の真愚魔』の捜索に当たる。
「フードを深く被っているやつを見つけたら含魔銃構えろ!! そのときの対応で判断できる!!」
警備部隠密行動課課長、小暮朱雀の指示の下――小隊は動いていた。
一般市民が、不穏な表情でその光景を眺めている。
「あれか? あれが愚魔狩って人ら?」
「なんか警察というか特殊部隊みたいだな」
「……真愚魔出てんだからさっさと離れてほしいんだよなあ」
遠巻きに見る彼らを見て、愚痴を一つこぼす。
「町田。中林が死んだ今、お前が副課長だ。よろしく頼むぞ」
「おっけーっす。課長。ほら行くぞ新人君」
同じく隠密行動課の副課長を務める男、町田昌樹が小暮に言われた言葉に応え、後ろの芳泉に話しかけた。
「うっす!」
息をのむ芳泉。
「大丈夫だ。真愚魔下位種なら俺も倒したことある」
町田が一言。芳泉は頷く。
「自分、これでも一応……電撃の真愚魔の討伐補佐してるんで」
「大したモンだねえ。でも俺、コウマほどすごくねえよ?」
町田が冗談をこぼしたところで、一人の年老いた男性が話しかけてきた。
「あのぅ……この辺、なんかあるんですか?」
腰が曲がっており、声が震えている。手提げを持つ右手も震えている。町田は姿勢を低くして目線を合わせた。
「おじいちゃん、ここね、真愚魔っていう危険な生物が出てるんで、避難してもらえますか? あそこにいる黒い服着てる人よりも後ろに下がっていてくれると、俺たちも安心して捜査できるので」
「ほお……なら安心ですな、よろしくお願いします」
年老いた男性が後ろを振り返ったところで、芳泉が話しかける。
「おじいちゃん、その荷物、そこまでお持ちしましょうか?」
ここで、芳泉は違和感を抱いた。その手提げにパンパンに詰められた服――パーカーのようなフードのついた服だ。
「おじいちゃん、こんなに暑いのになんで上着なんか……」
すると、町田が芳泉の右肩を強引に押しのけた。
「えっ!!?」
町田の力に吹き飛ばされるようになだれ込む芳泉。送った視線の先に映るのは――慌てた様子の町田と、振り返っていた男性――否、その顔面は漆黒に。眼光は赤く、鋭くなっていた。
「拡大の真愚ッ――」
町田の顔に触れる、拡大の真愚魔。
次の瞬間――町田の顔が膨れ上がり、破裂した。
「ッ!!」
驚きのあまり、脳の処理が追いつかない芳泉。
――さっきまで話していた人が……死んだ!!
当然、愚魔狩がそういう職種だというのは弁えていた。それを前提としてもなお、あまりある衝撃。
「臨戦態勢ッ!!」
やや遠くから聞こえる小暮の声。含魔銃の発砲音が何度か聞こえてくる。
――改造含魔機関銃ッ!!
芳泉も自らの武器である機関銃を二丁、両手に構えた。
「うおおおおお!!」
爆撃する弾丸を込め、打ち放っていく。怒号とともに響き渡る爆撃音。土煙が立ちこめるので、そこから距離を取る芳泉たち。
「煙から出てきてすぐの奇襲がある!!」
「ちっ……町田さん……ご遺体回収できなくてすまねえが……許してくれぇ!!」
芳泉も、小暮らと合流し、小隊として拡大の真愚魔を迎え撃つ。無線に声をかける小暮。
「鳥羽部長、現在小暮小隊、拡大の真愚魔と交戦中。隊員1名死亡。ほかの隊の応援を要請したいところだが、おそらく出向いている真愚魔がコイツ一体のみでない可能性が高い」
――そうだ、相手は組織。しかも1体で戦局を支配できる大駒ばかり。
小暮の、そんな小さな悪い予感は……奇しくも当たっているのであった。
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