『相手がビリヤードの構えをしてきたら、もう駄目だ……不可避且つ多角的な攻撃……防御も間に合わん。一発目を耐えたのは幸運だったが……まあ間違いなく真愚魔の中でも上位種だ。出会っちまった時点で不運だったよ』
無線の向こうの皺嗄れた声に、コウマは先ほどから黙りこくっている。エマが彼の肩をトントンと叩く。
「こ、コウマさん」
「やかましい……エマ、別館の二階を通らんようんに友だち探せ。絶対にこのフロアから離れたらあかんで」
エマがその言葉に耳を疑い、思わず周囲を見渡した隙に、コウマは猛ダッシュで別館へとつながる渡り廊下を走り去っていってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇
コウマは渡り廊下を走る。結構長い距離だが、一切のスピードを緩めない。右手甲の印字は、黒く、黒くなっている。無線の声があるということは、緋花真秋はまだ生きている。ならば、向かうしかないのだ。
「ヒバナさん!!」
別館に着いた瞬間に叫ぶ――が、返事は無い。
「……ヒバナ……さん」
本がとっ散らかった箇所が見えた。木製のフローリングでできた床はコーティングされたワックスを無意味と感じさせるほどに真っ黒になってしまっていた。
「……!」
倒れている人――緋花真秋を見つけたのだ。声も出さずに駆け寄る。辺りを見渡すが、真愚魔らしき姿も、その痕跡も無い。そして、右手の甲の印字も、元の肌の色に戻っている。
「……おぉ……コウマか……真愚魔いるのかちゃんと確認したか? まあ逃げたけど」
冗談めかして笑うが、笑い声が出ていない。
「ちゃんとエマちゃん安全なところに逃がしたか?」
首を縦に振るコウマ。
「……あの真愚魔……かなり人間界に溶け込み慣れしている……。きっとこの図書館内部を何食わぬ顔で歩いているかもしれん。魔猟犬は引き続き放っておけ」
「そ、それより……治療を……! 愚魔連に連絡しはったんですか?」
「どっちにしろ間に合わねえよ。心臓焼かれて息できねえんだわ」
言われてみれば――と、ヒバナの顔以外も確認したコウマ。揺らしていた肩からも、大量の血が出ており、コウマの手が真っ赤に染まっていた。
「二つの技、お前も聞こえてたろ。一つ目は右の手から光の球を叩きつけて光速にもなるであろう稲妻で攻撃してくる技。二つ目は左の手からビリヤードのように光の球をついて、周りの障害物や床、壁、天井に反射させて攻撃してくる技。全身大火傷。一発背中から心臓部にクリティカルヒットした。もう駄目だ」
「そ……そんな! あかんで! ヒバナさん死んでもたら! 俺……尊敬できる人ほとんどおらへんくなるやろ!」
「お前に尊敬する人物なんかいらん。最強なら最強らしく、玉座でふんぞり返るのがお似合いだ……あ、でも……お前の玉座は…………いっつも最前線だな」
違う……ヒバナの言葉をすぐさま否定したかったコウマ。しかし……次に発しようとしたコウマの言葉は、聞いてくれる人の耳には届かなかった。
◆ ◇ ◆ ◇
コウマはまだ自分が愚魔狩1級――段を持っていなかったころ、当時愚魔狩4段だったヒバナと仕事をしたことがあった。千葉で発生した“龍型の愚魔”を狩る為に、段位所持者とそれに匹敵する実力者が集められた次第だった。そこでのヒバナの言葉を、コウマはまだ覚えていた。
『……大切な人のことを、いつでも助けられるわけじゃない人がたくさんいる。俺たちはそういう人のために、今日も知らない誰かを助けるんだよ』
コウマが愚魔狩を始めた動機は“復讐心”からだった。あのとき――復讐を成し遂げた彼の行く先を失った動機を埋めてくれたのが、この言葉だった。
「どうしようもない屑やけど、まだ不労所得がエエけど……稼いだ金で酒浴びるように飲んだり、女の子と遊んだりするのもやめられへんけど……ヒバナさんの言葉だけは……俺、忘れへんから……ヒバナさんが遺してくれた真愚魔の情報も……無駄にせんから……せやから……」
コウマの中で、ある決意が固まった。
「……この真愚魔を……絶対に俺が屠殺ります」
両肩を抱えたまま、コウマは少し上を向いた。ヒバナの顔は黒く焦げていたが、その表情は、心臓を焼かれ息を止められて死んだとは思えないほど安らかだった――――
◇ ◆ ◇ ◆
エマが図書館を出ると、愚魔連の“後処理部隊”がいろいろと図書館側に手続きを行っている。そのまま入り口付近の石段に座り込み、合流を果たした友人たちと話している。
「エマが鬼の形相でくるから何事かと思ったよ」
「ごめーん、だって……待ってるっていうから急いできたんだよ」
鷹津奈緒子――ナオコの言葉に対して、エマも、『真愚魔がいた!』なんて声高に言えないし、信じてもらえるわけもない。
「いやー、ごめんごめん。クッスーがトイレ行きたいって言うから、ちょっと3階に行っている間に入れ違ったみたいで」
「いやエマちゃん……申し訳ない」
ヨウスケ――岩城陽介の言葉。それに続いて、クッスーこと楠本担がエマに対して、土下座でもするんじゃないかという勢いで膝をついた。慌てて止める。
「もう……元々私が遅刻しかけたのが悪いから……でも……みんな怒ってないみたいでよかった」
行き過ぎたエマの安堵に、三人は疑問符を浮かべる。
「エマ、僕ら別に、今更エマがちょっと遅刻したくらいじゃ怒らねえよ?」
ヨウスケが言った。
「うん……まあ、俺らが迷惑かけることはあるかもしれないけど」
クッスーは大きな体を申し訳なさそうに縮こませて言った。
「でも、なんか図書館ちょうど騒がしいことになったみたいだね」
ナオコの言葉に、エマが慌ててフォローを入れる。
「あ、ああ……うーん、なんか……建物内の循環調査って受付の人言ってたよ」
取り繕って嘘をつくのがつらい。そういえば、コウマとヒバナはどこへ行ったんだろう……と、エマは図書館の方を見ている。
――後処理部隊が来たってことは……もう真愚魔は退けたのだろうか?
そう思案した矢先、入り口の自動ドアが開く。
「あ! コウマさん!!」
エマが駆け寄る。他3人の友人は首をかしげる。
「あ! コウマさんは……新しいバイトの先輩!!」
エマが振り返って3人にコウマを紹介した。
「はは、どーも……高虎さんのバイト先の先輩ですー……って、何嘘つかせてくれよるねん」
「……すみません! だって助手なんて言ってないですもん! 詳しく聞かれてもややこしいですし! コンビニバイターってことにしといてください!」
お互いに耳打ちをする姿を見て、ナオコは笑った。
「まるで彼氏だね、あれは」
クッスーもヨウスケも、ナオコのほうをばっと見る。
「エマちゃん……ああいう金髪チャライケメンが好きなのか」
クッスーは大きな体をこれでもかと縮めて言った。
友だち三人の様子を見るよりも、エマには気になることがあった。
「あ、あの……ヒバナさんは?」
「今すぐ言わなあかんことやない。今は友だちのとこ行っとけ……。後で言う」
エマの問いに、コウマはすかさず返す。その言葉に特に疑問を浮かべたわけでもないエマは、さっと踵を返し、3人の元へと行った。からかわれるエマを見て、コウマはため息をつく。
「……こんな状況で、言えるわけ無いやろアホ」
しかし、エマも心のどこかで勘付いていた。昨日であったばかりの人とは言え、明らかに違う雰囲気を出していたからだ。
「……」
“この状況だから”エマはSNSアプリを開き、コウマにメッセージを送った。
『晩御飯、作りますよ』
『どーせお酒飲むんでしょ』
『コウマさんの健康管理も、助手の仕事ですから』
◇ ◆ ◇ ◆
夜7時。暗くなり始める外。近所のスーパーを歩くエマ。コウマとのトーク画面に、“既読”の二文字がついた。
『そんだけ言うなら頼もかな』
『鯖の西京漬けでお願いなあ』
西京漬けなんて馴染みない。エマはため息を一つ。まあでも、食べたいものがあるなら鬱というわけではないだろう。エマは送られた住所の位置へと、トートバックを肩にかけて――数分歩いた。ボロボロのマンションの2階の角部屋。ここが降磨竜護の部屋である。
「コウマさん!」
ドアを叩いても返事がない。試しにドアノブを捻ってみる――と、回る。いるんかい、と心の中でツッコミを入れながら、そのまま戸を引いた。
「コウマさーん、サバ安かったんで3匹ぐらい買ってきましたよ――」
靴を脱ぐ場所から、視線を上にあげた瞬間、台所にもたれかかっている上裸のコウマと、その顔にぐっと顔を近づけている女性と目が合った。
「お! お帰りエマちゃん。思ったより早かったんやな」
「コウマくーん、この子誰? カノジョ?」
「いや、助手やで。俺の身の回りの世話してくれてるねん」
「えー……こっちのお世話なら私がするのに……」
「生憎そっちはしてくれそうにないねんなあ」
エマそっちのけでやりとりを交わす二人を見て、エマの顔は紅潮していた。唇を震えさせながら、息を吸い込んだ。
「心配して損しました! バカ!!」
叫び声と同時に、ドアを押し、スニーカーを瞬時に履き、外へと出て行った。捨て台詞も何もなく、ドアが風で閉まる音だけがコウマのボロボロの部屋の中に響く。
「怒らせちゃったね。追わなくていいの?」
「……せやな。追うわ。また今度来てや」
「はーい」
前髪を掻き揚げた女性は、小さなカバンをすぐに拾い上げ、靴を履きに玄関へと向かう。
「ちゃんと本命は大事にしなきゃダメだよ~」
「カノジョちゃうて……まあ、言うてることは正しいけどな」
――ヒバナさんが死んだこと、エマは知らんはず。そう思考に耽るコウマ。彼もエマを追うため、玄関へと向かい、サンダルを足につっかけ、外へと飛び出した。
◆ ◇ ◆ ◇
ボロボロのマンションを飛び出し、すぐさま自分の下宿先のマンションへと帰路をたどろうとしていたエマ。
「落ち込んだ時に慰めてくれる人がいるんなら……助手なんていらないじゃん……私なんていらないじゃん……」
独り言をつぶやきながら、アスファルトを眺めている。外灯に照らされた水色のスニーカーも、昨日と今日のてんやわんやのせいで、少し汚れていた。
すぐに携帯電話をデニムのホットパンツについている小さいポケットから取り出し、鷹津奈緒子に電話をかける。
『どしたのエマちゃん』
2コールで出る。
「もしもし……ナオコ……」
『うん』
「……晩御飯、サバ安かったから買いすぎちゃってさ……味噌煮作るから一緒に食べない?」
『あー。ごめん! ぜひともエマちゃんの手料理は食べたい所存なんだけど……今日お母さん来てカレー作ってくれちゃってるんだよね……あ! 良かったらエマちゃんも食べる? ほら! 晩御飯まだなら……』
「……ううん、ごめん……大丈夫。悪いし。ありがと」
考えてもみれば、こんな精神状態で行けば、ナオコに絶対に甘えてしまう。ダメだ。こちらから半ば強引に電話を切り、画面を黒くした。すると、アスファルトを叩くパタパタという足音が後ろから聞こえてきた。
「ちょい待ちんか! エマ!」
声の主の正体に、振り返らずとも気づいたエマは立ち止まる。――が、首は一切後ろに向けない。
「心配かけてすまんかった。でももう大丈夫や」
「……あの人に慰めてもらったんですよね! そりゃ大丈夫ですよ!!」
みっともないのはなんとなくわかっていた。でも、言葉をとどめておくのはもっとみっともない気がした。
そんなエマの言葉をしっかりと受け止めた上で、コウマは言った――
「……実はな、あとで言うわって言っててんけどな……」
コウマの声色が変わる。エマは振り返ることなく、外灯の光のギリギリ届く範囲で聞いている。
「……ヒバナさん……今日の真愚魔に殺されたんや」
「!?」
目を見開くエマ。冗談ではない、とコウマの声色から容易に判断ができた。
「その真愚魔には逃げられてしもた。間に合わんかったんや。まあ……俺が落ち込んでるように見えたんはその諸々のせいやと思う……」
だ、大丈夫じゃないですよね? あの不摂生で対人関係クソみたいなのしか築けないコウマさんのことをあんなに買ってて、コウマさんがしっかり敬語使える相手なんて、ヒバナさんぐらいしかいないですよね!? と、聞き返したいが、それ以上にただただヒバナの死に対して、受け止めきれないでいた。
「エマからしたら、今日会ったばっかのただの愚魔狩やし、昨日愚魔狩になったばっかで、一緒に仕事した人が死んだって、友だちの前で言いたくなかったからわざと隠してたんや」
「……」
コウマの見えぬ気づかいに、黙ることしかできない。
「……なんというか、エマが料理作ってくれる言うて来たんも、ようわからへんかったし……助手ってどんなもんなんか、俺も実はよくわかってへんし……」
コウマが後頭部を掻きむしる。
「お前のことどうでもええわけちゃうんよ……なんというか……ただ、大事にはしたらなあかんとは思ってる。クズなんは簡単には変えられへんけど」
その言い訳がクズなんやけどな、とコウマは続けて自嘲した。エマの視線は、決して後ろを振り返らないものの、右に左に、いったりきたりを繰り返す。
「……俺の仕事は愚魔を狩ることや。でも……それ以外のことはようわからんし、得意でもない。せやから……俺にとってヒバナさんも必要な人やった。でも、ヒバナさんはおらんくなった。俺なりに色々切り替えなあかん。せやから、お前の力は必要や」
真っ直ぐ言い切った言葉に、エマの胸はどくんと鳴った。
「やからこそ言う。助手やからと言って……お前に甘えてもうた。すまんかった」
頭を下げているのだが、エマがそれを知るのは、足元の外灯の影に、コウマの頭が入ってきていたからである。思わず振り返ったエマ。思ったより近くに――彼はいた。
「……本当に落ち込んでるなら、ちゃんと言ってくださいよ」
「え?」
絞り出るように言ったエマの言葉に、コウマは思わず聞き返す。
「勝手に自分で立ち直れるなら、心配させないでくださいよ」
「……」
「一人で勝手に次に進もうとしないでくださいよ。昨日今日の仲ですけど、私だって私なりに助手頑張ろうとしてたんです! やっと自分を必要としてくれる人が現れたって思って、張り切ってたんです! まあそうやって空回りするのがオチなんですけど……」
エマの言葉は溢れ出る。次から次へと押し出されていく。
「私だって、どうせならコウマさんと一緒にヒバナさんのこと悲しみたいし落ち込みたいし、一緒に立ち直りたいです。そりゃ……ヒバナさんのこともよくわからないし、コウマさんとの絆もよくわからないですけど……」
「ははは……」
数秒経って、笑い声が路地に響く。
「はははは!!」
コウマの笑い声に、エマが顔を上げた。
「……お前、良いやつすぎやで。俺の品の無い冗談に怒ったんか思ったら、そんなこと考えてたんか」
「それはそれで別で、コウマさんは最低ゴミクズカス野郎です」
コウマの言葉を、エマは忌憚なくばっさりと切り捨てた。
「でも、助けてもらった恩と、愚魔狩としての実力は別です。私は……コウマさんの助手です。いろんな面をサポートできるように頑張ります」
ようやく、エマの顔に笑みが戻った。目はうるんでこそいたが、外灯の光が陰になって、コウマにはよく見えていない。
「ほな、こっちの世話も頼もかな……」
「最低」
コウマにとって、エマの笑顔はまぶしかった。それと同時に――彼は思い出していた。
彼が愚魔狩を始めるきっかけとなった出来事を――
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