こみ上げていた感情が、涙となってあふれ出した。高虎エマは、すがる思いでコウマの名を叫ぶ。
「コウマさんッ! ……コウマさんッ!!」
涙混じりの咽ぶ声に、「ははッ」と笑うコウマ。その様子を見る二体の愚魔は、コウマから少し離れた。
「……S、お前は逃げろ」
「……ああ。頼んだぞY」
コードY……降伏の真愚魔はコウマから視線を外さない。
――降魔術を使うという最強の愚魔狩。Cから警戒しろと言われているのは『大常磐』『降磨』『神野』『服部』『乾』の5人。大常磐はFやIたちがなんとか殺したらしいし……俺がここで降磨を倒せるのかだが……。
降伏の真愚魔が術を使わないのには、理由があった。降魔術によって、どんな愚魔を出しているか読めないからである。また、降魔してきていた愚魔は、降魔術を止められた瞬間にどうなるのか――それがわからない以上、数秒目を合わせておく、などという隙を見せる行為は簡単には行えない。
そしてコウマも、意図せずではあるが、愚魔を2体召喚していた。先ほどマンションの壁を登るために使った、『八岐蛸壺魔』と、真愚魔と戦うために用意された『灯籠蟷螂』である。
――後ろのやつはそこまで強くない……灯籠蟷螂に回り込ませて任せたろう。にしても問題は……こっちや。
コウマは降伏の真愚魔の周りをなめ回すように見ている。スナと山崎ハルが伸びているのを見て、すぐに降伏の真愚魔の仕業だと気づく。
「コウマさん、あの真愚魔……」
お互いに牽制しあっているところ、エマがコウマに話しかける。
「目を合わせた者の術を封じ込める術を使います。……仕組みはよくわかりません」
「それだけでも十分や」
――実に厄介。俺の術は目を合わせた者の戦意を奪うもの。術を封じ込められるのもそれが理屈。しかし、あの餌魔、降磨と出会って戦意を復活させやがった。まだアイツが“術を封じ込められている”と錯覚しているが、いつやりやがってもおかしくねえ。
降伏の真愚魔はじっとコウマの目を見つめつつ、周囲に従えられている愚魔がいないか注意を払っている。
――こいつの戦意を奪ったとて、降魔術によって召喚された愚魔には関係の無い話。リスクは高い……が、組織としては探索の真愚魔を殺されるわけにはいかない以上、やはり俺が時間を稼がないと。
術を発動させる、という意志を見せるように、降伏の真愚魔はコウマに話しかけた。
「術封じられるくらいなら勝てる、とでも思ってるのか?」
「まあな。俺はこれでも真愚魔上位種倒してるんでな」
電撃の真愚魔のことだ、とすぐに気づいた降伏の真愚魔。
――アイツ倒せるのか……。上位種なんて組織にもそうそういやしない……ましてや電撃の真愚魔はめちゃくちゃ硬かった。勝てるのか……?
このはったりと読み合いは、結果――コウマにとって好都合な方に転んだ。時間を“稼げた”のは、コウマの方だったのだ。
部屋の奥のドアから音がする。
「なんだッ!?」
振り返る降伏の真愚魔。倒れているのは、コードS――探索の真愚魔である。
「な、なんで!?」
「こ、この愚魔……なぜか攻撃してきたんだッ!」
少し遅れて現れたのは、コウマの降魔術によって召喚された愚魔、灯籠蟷螂。探索の真愚魔は灯籠蟷螂の攻撃を受け、右腕を失っていたのだ。
――もろたわ。
コウマは確信的な笑みを浮かべた。刀からは、タコの足のような吸盤のついた足が、8本うねっている。降伏の真愚魔との距離を詰め、タコの足で首を固定する。そして――刀を右の目に刺した。
「ぐおッ!!」
浅いが、効いている。
――畜生、この程度やったら脳まではいっとらん!
そのまま、左目も切り裂こうと、コウマは刺した刀を右手側へと持っていく。
――!!
激痛にもだえる降伏の真愚魔。両目を切られ、目を合わせるどころかコウマの視認もままならない。
「あっ……ああ……」
実質的に術を封じられたのは、降伏の真愚魔の方だ。後ろから静かに近づいていた灯籠蟷螂が――そのまま降伏の真愚魔の首に、カマキリの前足――鎌状の前足をかけた。
刹那、漆黒の体躯から同じく真っ黒な首が――刎ねられる形で離れていった。
「こ、コードY!」
断末魔を上げる暇さえ与えない一瞬の衝撃に、思わず探索の真愚魔も叫ぶ。その勘に距離を詰めたコウマは、同じようにして探索の真愚魔の首も刎ねた。
しばらく唖然としていたエマ。コウマは冷静に、至って冷静に、スナと山崎ハルを叩き起こす。しかし、反応はいまいちだ。
「ったくよぉ……こんな程度で伸びるとは」
「で、でも……一人で真愚魔2体を倒しちゃうなんて……」
エマの言葉の先が読めたコウマはにやりと笑い、再びエマのそばに戻ってきた。そして、ぽんぽんと、エマの頭の上に手をのせる。
「一人やないで。お前がおったろ」
何せ、黙っていれば顔は整っているのだ。思わずコウマの笑顔にエマの顔は紅く染まり、綻びも見せる。
「……も、もう……こんな役立たずの助手を勘定に含めたらだめですよ……。私これでも、すぐに調子に乗っちゃうんですから」
「……せやな。それはちょっと困るかもしれんわ」
互いの冗談に笑ったところで、再びコウマが話し始める。
「でも、お前が諦めへんかったおかげで勝てた。良かった」
ここでエマは思い出す。自分が喰われていたら、たったの一口、爪の先でさえでもかじられていれば、こうは行かなかった。
――そうか、私餌魔なんだ……。でも、コウマさんは……敢えて私のそこには一切触れない。
ずっと一緒だったから忘れていた。彼が――降磨竜護という存在が、高虎エマという餌魔の存在を、守っていてくれていたということを。
「コウマさんッ!!」
コウマを強く、強く抱き“締め”た。コウマは右手をエマの後頭部に、左手をエマの背中に当て、抱き締め返した。
しばらく安心を分かち合う二人のもとに、着信音が鳴り響く。
「おっ、スズメからや」
電話に出るコウマ。彼の「もしもし」という声より早く、電話の向こうから叫び声がいくつか聞こえてくる。
『ちょっとコウマ! 今どこよ!!?』
『スズメさんッ!! そこ左ッす!』
『ナビは良いからしっかりと携帯持って! 聞こえない!!』
『電話は? 電話はつながったのか?!』
スズメ、芳泉、そして鳥羽のドタバタした声に、思わずエマの笑い声が零れた。
『えっ、今の声エマちゃん!?』
『エマちゃんは無事なんだな!!』
『状況はどうなんだ! 教えろ!!』
コウマは電話の向こう側の光景を想像し、一人でため息をついた。
「そんな焦らんでええ。俺が2体とも倒した」
電話の向こうはまだうるさい。コウマの声は聞こえているのかわからない状態だ。
「……エマ、お前……愛されてんな」
「えぇ……そうなんですかね?」
エマは思う。コウマのおかげで今の自分があると。
コウマもまた、思う。エマのおかげで今の自分があると。
「う……こ、この立ち姿は……コウマさんですか?」
スナが意識を取り戻したらしい。続いて山崎も頭を押さえながら上体を起こした。
「畜生!! 真愚魔くそつええ!! 悔しい!!!」
目覚めてすぐとは思えないくらいの大声に、スナが耳を塞ぐ。少し離れていたエマとコウマも何事かと山崎の方を見る。
「だめだだめだ!! こんなままじゃ! 何のために初段になったんだ俺は!!」
山崎は続けている。
「……そう……だよな」
しばらく眺めていたスナも、何かに触発されたらしい。
「俺もぜんっぜんだめだ!! もっと強くなる!! いつかコウマさんも超えてやる!!」
こいつら馬鹿なのか、と眉をひそめるエマに対し、コウマは高笑いを見せた。
「はははははッ! 目標は高すぎるぐらいがちょうどええわ」
「コウマさんまで……」
「あ、そういえば木村とミツハちゃんに連絡を取ろう!」
「あ、そうだった!!」
コウマが真愚魔を2体倒したことで訪れる一瞬の安寧。それを享受しながら、彼らはスズメらの到着を待った。
◆
同時刻――日愚連本部は、大常磐月丸の死亡と、幹部である顎門永生が内通者であることの確定により、混乱を極めていた。
「臨時幹部会を行いたいのだが、鳥羽が不在だ」
「おそらく餌魔の捜索に当たっています」
副会長、No.3も臥した今、総務部長の乾猛が、この場を取り仕切るしか無かった。
「釘塚を呼び戻せ。一旦容疑は晴れたろう」
「……警備部の石田竜子も同席させた方がよろしいかと」
「そうしろ」
「はい」
迅速に部下とのやりとりを繰り返す。突然降りかかる多量の急務に、ため息を吐きたいがそんな暇さえ与えてくれない。
「御厨は?」
「応急処置の途中です」
「そうか」
「冬沢と天羽は来れるだろ?」
「連絡つきました! 両名とも本部内にいます」
「すぐに会議室に呼べ。警備部と教育部には代理の者を立てるよう連絡しろ。開発部は総務部監査課が監視しろ」
「はい」
着々と緊急幹部会の準備を始める総務部の面々ら。元々、総務部には事務仕事に長けた愚魔狩が多い。
「鵜島は?」
「服部8段との連絡が途絶えたとのことで、民事部の数名で捜索に向かいました」
「ちっ……服部もいないのか」
歩きながら文句を垂れる乾。
「あの不摂生野郎と副業馬鹿は?」
「降磨竜護8段は2体の真愚魔と交戦中、神野述8段も同様に愚魔との交戦を行っているようです」
舌打ちをする乾。
「……おそらく、服部の元にも何かしらが来ているのかもしれん。8段の実力者共も交えて今後の展望を話しておきたかったが、仕方ない。早く始めるぞ」
会議室にぞくぞくと集まる幹部たち。合図を出すまでもなく、全員がすぐに着席した。
・乾猛(8段)…総務部長
・天羽寿(7段)…経理部長
・冬沢相善(7段)…営業部長
・多賀隆弘(5段)…警備部副部長
・乾大和(6段)…民事部副部長
・池内大助(5段)…教育部副部長
・釘塚=クリストフ=天智(7段)…人事部長(現在拘留中)
・石田竜子(4段)…警備部看守課課長
以上8名の出席の下、幹部の臨時会議が始まった。
「便宜上司会を務めさせていただくよ、営業部長の冬沢だ。さて、今回は総務部長の乾からの提案で臨時会議が開かれることになったわけだけど、みんな理由はわかるよね」
冬沢の言葉に、全員が頷く。一人、不機嫌そうな顔で椅子の背もたれに大きくもたれかかる男がいた。
「はっ……裏切り者が誰か見誤るからこうなるんだ」
椅子の背にもたれかかったまま右手の小指の爪を噛むのは、釘塚だ。
「顎門に上手にだまされたな。鳥羽のやつも」
総務部長の乾が笑う。
「いや、鳥羽サンは悪かねえよ。そうでなくとも釘塚サンに怪しい行動は多すぎた。それより、今回なんとかすべきは大常磐会長の後釜――実質的にこの日愚連の組織を指揮する者を決めることじゃないですか?」
民事副部長の乾大和――乾猛の甥に当たる人物がそう言ったので、「そうだ」と乾は続けた。
「次期会長についてだが――この中に、次期会長候補に立候補する者はいるか?」
乾は釘塚の方“だけ”見ている。自分を除くこの7人の中に、そこまでの野心家は釘塚しかいない、そう思っているからだ。
「ふん、俺は内通者なんだろ? だったらどっちみち会長候補にはなれねえよな?」
釘塚はなぜか不遜な態度を取っている。看守課の石田竜子だけは、それがなにゆえの行動なのかわかっていた。
――煽ってる。自分を内通者と決めつけたこと、ほかの内通者が出てきて組織がガタガタになってしまったこと。自分は悪くないと言わんばかりに、今この状況を造り上げたのはお前たちが無能だからだと言わんばかりに……煽ってる。
この会議は、言ってしまえば会長選の場である。この場で臨時会長になった者がその後正式な会長の座を手にするのは間違いないだろう。それぞれも思案しながら駆け引きをしている。この会議に鳥羽の代理で参加した、警備副部長の多賀は色々と考えている。
――司会をすぐさまに執った冬沢さんにはきっと、会長になると言う意志はない。あの人は保守派の典型。余計なもめ事を避けることに全力を注ぐ。天羽さんは会長候補にはなれるだろうけど、大常磐派の中で、乾さんに近い立場を取っていた。乾さんが会長になると言うことに異論はないはず。ここに不在の鵜島さんと御厨さんは、副会長であるヤマトと池内の擁立が不可欠。しかし、ヤマトに至っては乾さんの甥。池内に至っては俺と同じ5段のぺーぺー。この会議で大した発言権はない。実質、一番有力候補の乾さんと、対抗馬の釘塚さんという感じだが……まあ今の釘塚さんが対抗するのは不可能に近い。
「まあ良い。とりあえず今現在、一番上の階級は8段。俺含めた4人だ。コウマと神野は敵と交戦中な上に組織内の権力に興味が無い。服部に至っては連絡が取れない始末。今、最高階級にして指揮を執ることが可能なのは、俺だけだ」
「乾さんが会長で異論無いですよ、俺は」
乾の言葉に、天羽が続けた。
――予想通りの展開か。
色々考えていた多賀だったが、黙って頷いた。ここで釘塚が手を挙げる。
「はっ……じゃあ俺、8段昇格試験受けることにするわ」
「馬鹿、今それどころじゃないだろ」
石田が制するも、釘塚は止まらない。
「そうだ。今大事なのは誰が偉いかじゃねえ。そうだよなあ乾よ。大事なのは誰か指揮すべきかなんだ。俺に執らせろ。総務部の部屋でぬくぬくと事務仕事だけやってたてめえとは実績が違う。真愚魔組織の殲滅の作戦部隊の長を兼ねて。俺を嵌めた顎門をぶっ倒すためにも……俺にこの組織の指揮を執らせろ」
――なぜそこまで会長の座にこだわる……と思えば、そういうことだったか。
乾はフッと笑うと、釘塚の目をじっと見た。
「そうだな。だが、さんざん怪しい行動を水面下で行ってきたお前に最高権限を与えるのは釈然としない。俺、天羽、冬沢の3人がお前の決定に無条件の拒否権を持つこととしよう」
「……つまり、お前のおじさんが言っているのは、どういうことだ?」
多賀が乾大和に話しかける。
「まあ、つまり……総務部長ら3人を納得させなければ権限を得ないのと同じってことです」
「なるほど。あれ、でも当たり前じゃね?」
多賀の疑問に乾大和は「憶測ではありますが……」と顎に手を当てる。
「きっと……これまでの大常磐体制では、大常磐家の意見が絶対だったということの表れでしょう」
「……まあ、その結果が釘塚サンの暴走、顎門という内通者を生み出したことにつながったことを思えば当然か」
それでも、釘塚は笑っている。右手の小指は深爪になっている。
「……かまわんよ。てめえら3人を納得させるくらいわけないさ」
釘塚を臨時会長の座に据えることが決定し、臨時幹部会は終了した。
◆
「コードCは戻られたのか?」
「いや、まだだ」
ここは、都内地下のどこかにある、真愚魔組織の本拠地。日愚連の作戦部隊がガサ入れをしたこともあって、本拠地を移動させていた。これも、内通者のおかげでできたことではあったのだが、日愚連はそのことを知らない。
「コードYとコードSは?」
「二人とも降磨竜護にやられたくさい」
この言葉に、その場にいた真愚魔全員が反応した。
「おいおい、勘弁しろよ。ただでさえAとVがやられて“戦闘専門”って感じのやつが減ってるのに、YやSはそれをサポートする側なんだから死なせちゃだめだろ」
コードF――火炎の真愚魔が言った。その横のコードI――氷雪の真愚魔も同様の意見らしく、大きく頷いている。
「ジンノノベルと戦っているのは誰だった?」
「JとLだ」
「下位2体で任せて大丈夫なのか?」
部屋の奥の方でしゃべっている真愚魔に対し、反応する別の真愚魔。
「ジンノは基本単独行動だとZから聞いている。そうだよな、Z」
「ああ、そうだよ」
コードZ――不死の真愚魔――顎門永生が言った。そう、御厨に言った、顎の英語のくだりは、顎門のハッタリである。
「お前、内通者なんてよくやるよ。バレたら殺されるってのに」
「それはコードCさんにも言ってくれよ。俺だって“不死”の術が無ければ絶対にしない」
火炎の真愚魔の言葉に、顎門は笑って答えた。
「あともう一人8段いたよな。ハットリって言ったっけ? 刺客ちゃんと送ったのか?」
「ハットリの相手はKだよ。だから大丈夫」
現在、真愚魔組織には19体の真愚魔が存在している。9体の下位種、4体の中位種、そして、6体の上位種。6体の上位種は、実質的な組織のボスを務める、コードC。そしてコードD、コードU。作戦部隊を襲ったコードH、隠密の真愚魔も上位種に当たる。内通者として日愚連にいたコードZ、不死の真愚魔も上位種だ。そして、コードK――殺戮の真愚魔もまた、真愚魔上位種であった。
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