バイトで”悪魔狩り”始めました。

最強降魔術師の助手のバイトを始めた女子大生エマのお話
さまー
さまー

己の価値は己で勝ち取って初めて価値足り得る

Case.1「バイトの志望動機なんてだいたい巡りあわせ」

公開日時: 2020年9月30日(水) 00:00
更新日時: 2021年1月24日(日) 03:11
文字数:6,126

 きっと、あの忙しそうに電話をするサラリーマンにも仕事の代わりはいて、あの大きな広告を飾るアイドルだって、いなくなれば新しいのに変わるだけ。そう、誰にだって、“誰か”が“代わり”にいるんだ。窓の向こうにさえ、そんな世界が広がっている。

 

「というわけだから……頼むよ、高虎たかとらちゃん」

「……はい」

 

 狭いビルの一室の、陰鬱とした雰囲気の狭いオフィス。オカルト系B級週刊誌『チューズデイオカルト日報』のオフィスである。気に入らない愛称で呼ばれた少女は、汚れの目立つ床に視線を落とす。

 

「返事が小さいよ、君は若いんだから、もっとフレッシュに返事してくれないかなあ」

「……はいッ」

 

 小太りで頭髪の薄い、一番窓際の上座に座る男の説教を受け、少女は自分の席へと踵を返す。

 

「また編集長の“お説教”?」

「……はい」

 

「エマちゃん、随分と編集長に気に入られちゃったもんだね」

「変なこと言わないくださいよカスミさん」

 

 お互いに開かれたノートパソコンに視線を移しながら、指と口を動かしつつ話す。少女と、向かいに座る先輩編集者。

 

「んで、あのハゲに何言われたわけ?」

 

 先輩編集者、仁藤にどうカスミの興味は、もう次へ移っている。

 

「……こないだ駅前の三丁目で起きた大学生3人殺害事件の取材です。まあ、被害者とおんなじ大学の学生だし、取材時の潜入もやりやすいだろうって……」

「ふうん……ま、エマちゃんもよくやるよねえ。大学通いながら記者のバイトなんて」

 

 仁藤カスミの言葉にため息をつく高虎エマ。

 

「まあ、大学生だからこそこの仕事任せてもらえたと思うので、やりがいはあります」

「堅海大も人多いのにねえ。編集長ってやっぱへんなこだわりあるわね」

 

 あくまでも――私にケチをつけたいだけか、と乾いた笑いを目の前の先輩に向けた。そのあと、大きく伸びをしてキャスター付きの椅子を両ふくらはぎで後ろへと転がす。

 

「それじゃ、行ってきます」

 

 仁藤カスミにその言葉だけ告げると、トートバックとカメラを左肩にかけ、ノートパソコンを閉じた。そのままの足で、オフィスを駆け足気味に出る。

 

「いってらっしゃーい」

 

 カスミもまた、乾いた笑いを高虎エマに向け、すぐに視線をパソコンへと戻す。そこに隣に座っていた男が話しかけてくる。

 

「カスミさん、優しいんすね、バイトにちゃんといってらっしゃい言うなんて」

「まあそうでしょ。あの怪奇事件担当、もう3人死んでるんでしょ。入って日浅いバイトとは言え、さすがに不憫でしょ」

 

「まあそうっすね……あの編集長もコスいこと考えますよね」

「差し詰め捨て駒雇った感覚でしょ。バイトの学生が死んだって、どうとでも言い訳できるだろうし……それに……あの事件、死体残んないって噂だし」

 


 カスミの鼻から出た笑い声は、どこか同情にも聞こえる――そんなことも露知らず、B級週刊誌の記者のアルバイトかつ私立の4年制、堅海かたみ大学文学部大衆文学専攻の1年生である少女、高虎恵麻たかとら えまは、駅前へと闊歩していた。

 



◇ ◆ ◇ ◆




「カスミさんや編集長を黙らせる成果撮ってきてやる!!」

 

 彼女が担当することになった駅前の三丁目で起きた男子大学生3人の殺害事件。この事件の詳細は、端的に言えば謎に包まれている。なんにせよ、死体は出ていないが、致死量に相当する3人分の血痕と、そのDNAと一致する人物の身分証明書の類が現場近くのバーから出てきたということと、その事件が起きた日以降、その3人を見た者はいないこと、そして、大量の血痕を残しながら、現場以外には一切の証拠が見つからないこと。この3つの理由だけで警察は3か月前からお手上げ状態――というのが、今高虎エマが掴んでいる情報である。

 

 当然、前の担当が3人続けて死んでいることなど、編集長をはじめ、誰からも伝えられてはいない。

 

「……まあ、聞き込みは一旦現場を見てからにするか」

 

 駅前の三丁目。事件が起きたバー裏の路地裏。バーの店員はマスターただ一人で、他の客がアリバイ証明をしていた。そしてさらに3人が同時に店を出たわけでなく、1人が吐きに行ったところ、帰ってこない彼を心配した2人目が、そして、会計を済ませずに帰るのはまずいと思った3人目は自分のカバンも置いて、「ちょっとツレ見てきます」とマスターに告げ、それぞれ店を出ていくところは目撃されていたらしい。

 

「警察の現場検証も一通り終わり、血液は流されたものの……何一つ足掛かりが掴めちゃいない。悪魔の仕業とでもいうのかねえ」

 

 つぶやきは、裏通りを覆うようにそびえたつコンクリートの壁に反響した。すると、鈍い足音が――ひとつ。

 

 なんだ? と思ってふりかえるエマの目の前には、何もいない。まるで狐に化かされているかのような、そんな気持ちだ。ため息を一つはいて、再びアスファルトの地面に目を落とす。すると、また鈍い足音が――ひとつ。

 

「な、なに……気味悪いんですけど」

 

 独り言を覆い隠すかのように、また鈍い足音が――ひとつ。また、ひとつ。ふたつ、みっつ、よっつ……

 

 次の鈍い足音が聞こえた瞬間、少女――高虎エマは腰を抜かした。

 



 ば、化け物だ――そう確信する彼女の視界には、路地裏を覆うコンクリートの壁を伝う、異形の化け物。熊のような四足獣のフォルムだが、テレビで見たツキノワグマよりも大きく、数年間毛を剃っていない羊よりも毛深く、顔が視認できないほど真っ黒の全身。それが、吸盤もついていない四本足で、壁を伝っているではないか。叫び声も出ないほどに、彼女は恐怖に包まれていた。

 

「な、なななんでこんなことに……」

 

 エマは呪った。今までの環境を。小中学生の頃は、クラスの中でも特別勉強も運動もできなかったわけではなかったからか、何事にもつまずかなかった。無難に、焦ることなく、無理することもなく生きてきた。それが災いしたのか、気づけば周りは、どんどん個性を伸ばし、ある子は勉学を究め、ある子はスポーツを究め、芸術を、オシャレを、さまざまな才能や強みを究める者たちばかりとなっていた。


 化け物は、そんな惨めに置いてけぼりをくらった彼女を嘲笑するかのように、真っ赤な歯茎と大きな牙をエマに見せた。

 

「えッ……あれってまさか」

 

 すべてに合点がいった。残った血痕。残らなかった犯人の痕跡。そう、犯人などハナからいなかったのだ。

 

「犯人じゃなくて……化け物の仕業だったってわけね」

 

 そして、もう一つ確信する。この仕事は――危険なんだということを分かったうえで、編集長たちは私を現場に送り込んだのだ。私に一端の才能があれば、こんなピンチなど楽々に切り抜けられるのだろう。でもきっと……待つのは……不条理な蹂躙。

 

――結局私の人生……脇役のまんま。私って何のために生まれてきたんだろう。こうやって、私は「自分が何者なのか」もわからないまま、「何者かわからない化け物」に食べられて死んでゆく。わけのわからんままに死んでゆく。

 

 心は、ずっしりと……鎖につながれたおもりに引かれるように、奈落の底に落ちてゆく。

 




 化け物の口元が開く。ねっとりとした唾液が、アスファルトに流れ落ちると同時に乾いてゆく。もうだめだ――すべての希望を捨てたその時、路地裏の建物の上に、人影が見えた。

 

 



「こ、こんなときに自殺志願者かよ。ああ……なんかバカらしい」

 

 化け物の口めがけて、転がる小石を投げ込んでやった。


 そして――叫ぶ。

 

「自分が何者かなんてもうどうでもいいわ!! でも、わけわからんまま死ぬくらいなら、このまま生き抜いてやる!!」

 

 立ち上がったエマを、化け物は目を揺るがすこともなくじっと見つめている。冷や汗が止まらない。その冷や汗の先を、なめとるように舌が伸びてくる。触れた。死を覚悟した。でもエマは石を再び手に取る。

 

 

「ははっ、おもしれえ」

 

 路地裏の建物の上から、声がした。その声に反応して、化け物はエマから少し距離を取る。その人影は――あろうことかそのまま飛び降りるではないか。

 

 



 高虎エマは、目を見張った。刹那に周囲に広がる血飛沫。残像を描いて落ちていく化け物の首根っこ。そして、飛び降りてきたはずの人影が、何か刀のようなものを鞘の中にしまっている。

 

 

 

 

 

「お嬢サン。おもろいな。俺の助手なれへん?」

 

 ジョシュ? エマは目の前の光景に、人影――否、男性の発した言葉を正しく処理できていなかった。

 

「え……えっと……あの」

「ああ……すまんすまん。いろいろ説明が足りひんのやんな。コイツは『愚魔ぐま』って言うバケモンや。ほんで、俺はその愚魔を殺す仕事をしとるモンや」

 

「グマを……殺す?」

 

 首根っこが転がったモノを指さしながら発せられる関西弁の男性の言葉と、今までの彼女の現実の乖離に、聞くことのできる言葉を理解できていない。

 

「愚かのに、悪魔の愚魔ぐまや。なんかわからんけど、人間を食べる化け物……と言えば伝わるか?」

 

 そこに納得が行っていないわけじゃないんだけど……。と言いたげなエマの顔を見て、男性は左手の掌に右手拳をぽんと打ち付けた。

 

「そうや。俺の名前言うてないわ。俺は降磨竜護こうま りゅうご。さっきも言うたけど、愚魔を殺す仕事をしてるねん」

「……コウマさん」

 

「そう。お嬢サンの名前聞いてもええか?」

「高虎……エマです」

 

 完全に降磨竜護と名乗る男性の話のペースに乗せられ、名乗ってしまうエマ。コウマと名乗る男の表情が綻んだ。優しげでいて切れ長で二重瞼の目はぐっと細くなり、高い鼻に若干のしわが付き、薄い唇がさらに薄く横に広がった。

 

「よろしくなエマちゃん。今日から愚魔狩である俺の助手や」

「は、はあ……」

 

「あんたにしかできひん仕事やから、頼むで」

 

 私にしか――できない仕事。この言葉の響きが、たまらなく心地よかったエマ。ピンチ転じての安心感もあってか、降磨竜護という整った顔立ちの男のミステリアスな魅力もあってか、その提案をすぐにでも呑んでしまいそうな、そんな心地だった。

 

「え……えっと……」

 

 頬を人差し指で掻きながら、コウマに上目遣いを向けるエマ。コウマは首を傾げ、顎と目線を彼女に向ける――


 その一瞬だった。鈍い足音が――ふたつ、よっつ。

 

「今すぐ俺の半径1m以内に来いッ!!」

 

 目を見開いた。転がり込むように、もはや抱きつきにいくかのように、エマはコウマのその大きな体躯に飛びついた。頭上を影が覆う。

 

「!!?」

 

 コウマの背中越しに目の前を見る。先ほど転がっていた首根っこも、その首の取れた胴体も無い。

 

「……少々厄介なことになったなあ。もしかして、お嬢サン、コイツにどっか食われてへん?」

「えっ……汗を舐められた……ぐらいですけど」

 

 エマの困惑を絵にかいたようなたどたどしい言葉に、コウマはすぐに正解にたどり着いた。

 

「そのせいか」

「ちょっ……わけわかんないんですけど!」

 

 理解の追い付かないエマに対し、背中を向けたコウマ。

 

「端的に説明したるわ。この愚魔、俺が首を切断したから死んだ思てた。でも、実はエマちゃんの体液を摂取したことで『発達』しよったんや」

「『発達』?」

「具体的に言うたら、プラナリアみたいに分裂しよる。ほら、上見てみ」

 

 壁を這う化け物が、先ほどの熊ぐらいのサイズのが一体。それよりも二回りほど小さいのが一体。

 

「あのちっこい方は、さっき俺が切った首側。胴体側がおっきい方や」

「なるほど!」

 

 なるほど! とは言うが、何がなるほどなのか何もわかっていない。

 

「まあ、こうなったら俺もどないかせなあかん。ちょっと離れとき」

「……とは言っても、こいつら、私を狙ってるんじゃ?」

 

 そう、そういったのも、高虎エマは2つの視線を常に感じ取っていたからだ。大きい愚魔と、小さい愚魔。明らかに、2体とも、自分を狙ってきていた。

 

「せやな。ほな……さっさと片づけたるわ」

 

 

 コウマはそう格好つけると、鞘に戻していた刀を再び抜き始める。刀身に、わずかに差し込んだ光が反射し、白銀の光をエマの目に入れた。

 

「降魔術――『紅蓮閻魔ぐれねんま』」

 

 そうつぶやくと、白銀の光は深紅に染まった。ゲームのエフェクトのような、そんな赤々と燃える火が、気づけば刀から轟々と音を立てている。コウマは不敵な笑みを浮かべる。


 そのまま軽快に跳ぶ――コンクリートの壁を蹴り、いとも容易く高い位置へと登っていく。まるで、足に吸盤でもついているのか。せっせと巣を作る蜘蛛の如く、左右に、壁から壁へと高速で駆けあがっていく。

 

「分裂する奴には、治癒不可の永久ダメージが鉄板や」

 

 コウマが、化け物めがけてその燃え盛る刀身を振りかざした。

 

 

 地獄の炎――エマは地獄の炎どころか、地獄さえ見たことが無いのだが、存在するならばきっとこう。そう形容できるような、深紅に燃える炎。化け物2体の身体を、瞬く間に包み、黒炭の塊を二つ、生み出した。

 

「あ、紅蓮閻魔の野郎、もう寝やがった」

 

「す……すごい」

 

 呆然と立ち尽くすエマ。

 

 化け物2体を消し炭にした刀身は色を戻す。また、白銀の光を反射し、鞘に戻っていく。降磨竜護は、高虎エマの方を向き、さわやかに笑って見せた。金髪の長い髪が目にかかる。少しその姿に魅力を感じたのも束の間、エマに向かってコウマは言った。

 

「……ほら、助手ならここで『お疲れ様です』の一言ぐらい言ってくんない?」

「え??」

 

 先刻まで状況の呑めていなかったエマにとっては、コウマの態度の落差に唖然とするほかなかった。

 

「愚魔狩りっていうのは命懸けとる大変な仕事なんやで。少しは労りもってもらわな困るわ」

 

 そ、そんなこと言われても……と困惑するエマ。

 

「助手の才能あるやつなんかそうそうおらへんのやから……」

「そ、そうなんですか?」

 

 コウマの言葉の続きに、図らずとも期待してしまうエマ。

 

「……ま、今まで助手雇ってへんかったんやけどな。俺働くん嫌いやし、誰かに指図されるんももっと嫌いや。できれば不労所得で生活したいし。その金で毎日浴びるように酒飲んで女抱きたいし。」

 

 な、なんて最低な男なんだ――エマが抱いた降磨竜護という虚像を覆っていたメッキが、あれよあれよと剥がれていく。思えば、ミステリアスな雰囲気も、ただの不摂生を極めた不潔な印象に変わる。

 

「もしかして……コウマさん、助手雇ってなかったんじゃなくて、助手“雇えなかった”だけなんじゃないんですか?」

 

 エマの下まぶたが、上のまぶたにぐっと近づく。侮蔑の目というやつだ。

 

「……ちゃうわ。あんたえらい失礼な奴やな。助手の風上にもおけへんわ」

「助手の風上ってなんなんですか?」

 

 変な言い回しだな、と笑う。ああ、久しぶりに笑った気がする。エマのずっしりと重かった心が、幾分か弾んでいた。コウマはそんなエマの方を振り返る。

 

「……俺が“当たり前のように”助ける存在や。ほんまは仕事したくないねん」

 

 

 

 なんて最低な発言――だが、不思議とそうは思わなかった。

 

「……コウマさん、助けてくれて、救ってくれて……ありがとうございます!」

 

 エマは軽く弾んだ心を目いっぱい向けて、頭を下げた。もしかしたら……もしかしたら私にしかできない仕事が、ここにはある。エマの心の中に確信ができた。決意した。高虎恵麻が、降磨竜護の助手として、愚魔狩りを手伝うことを。

 

 

「おお、ほな……助手なる記念に一発ヤらせてや」

 

 前言撤回。エマの決意は、この降磨竜護ゴミクズを平気でのさばらせてはいけないという考えへとシフトするのだった。

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