「エマさん、結構走るの速いですよね」
「そ、そうですか!?」
高虎エマは、骸骨型の愚魔の大群から逃げながら、神生と共に戦っていた。楠山は愚魔とは戦えないため、ただひたすらに二人から離れないように逃げ惑うだけだ。橘から教わった圧力式助魔器を用いながら含魔銃と刀を用いて愚魔を一体ずつ倒しているのはどうしても時間がかかる。どうしても囲まれる前に逃げるという選択肢も挟みながらもうだいぶ移動した。
「はい。本当にこの前まで普通の大学生だったんですか?」
「え、うん。まあ」
こうして話しかけてくる神生鈴凪は、初段の愚魔狩だが、戦いは余裕そのもので、持っている錫杖を薙刀のように振り回して愚魔を倒していく。巫女服がひらひらと舞うほど、動きは軽やかだ。
――私からしたらあなたが普通に高校通ってる方がおかしいっての。
「……」
楠山は困惑しながらエマを見ている。普通の友人だった女子が武器を持ってわけのわからない生き物を倒しているというのはいささか変な状況だからだ。
そんな中でも、エマの息はやや切れ始めている。それを察した神生は、エマの前に立つ。
「ちょっと下がっていてください」
「え?」
「魔力使います」
神生の対魔力は、神道一家である神生家代々続く術式のようなものがある。彼女の持つ錫杖がその術のキーを握っている。
「……神流星霜、『北斗七星』」
神生の言葉と共に地面にとん、と着けられた錫杖。錫の音と共に地面が裂けるような衝撃が目の前に広がる。
「……ッ!!」
エマは言葉を失った。骸骨型の愚魔の大群が一気に弾け飛ぶ。広範囲かつ高威力の技に、エマが作ったのは『唖然』という表情。
「これで多少のラチは明くでしょうか?」
「あはは……はい。明きまくりですよ」
目前が急に晴れ、困惑するエマ。
「まだ残ってますよ、頑張りましょう!」
神生の言葉にエマは苦笑いしかできない。
――めっちゃ強い。これは主戦場の人たちもきっとめちゃくちゃ強いんだろうな。ヒバナさんは一人だったから勝てなかったけど、あの人たちが揃っているならきっと……。
◆ ◇ ◆ ◇
エマの想像など、短慮もいいところだった。現在主戦場となっている警備室前にいる愚魔狩たちは――ギリギリだった。精神的にも、肉体的にも。
「く、釘塚サンが……? 嘘だろ?」
動揺する楯山。崩れ落ちる鯨間。
――田場さんからの連絡がないところを見ると、風見山さんはきっと助からない。美濃さんも戦線復帰はきっと無理だし……。楯山さんもでかいダメージ受けてた。橘さんは強いけど、釘塚サンが一方的にやられるようなやつ相手に戦えるわけ……。
「鯨間。あのアンドロイドは直らないのか?」
橘に問われるが、鯨間の顔は上がらない。
「……んなことしてたら俺の対魔力が尽きます」
「チッ……仕方ない。楯山、最後の気力振り絞れ」
「はい」
橘は楯山に檄を飛ばす。楯山はなんとか一歩前へ出ることができた。
――例の計画もあるが……今はこいつを倒さねえと。
橘が刀を構える。電撃の真愚魔はその様子を見て嗤う。
「……刀程度じゃ、これくらいの傷しかつけられないぞ?」
脇腹の赤い線を見せる。風見山がなんとかつけた傷だ。しかし、真っ黒い皮膚がその傷の上へとうごめいていき、傷を塞いだ。
「……デカい一撃か連撃だ。できそうか?」
「……奥の手をつかえば、デカい一撃なら与えられます」
橘の提案に楯山が返す。その言葉にうなずいた橘。
「『超反撃対魔体』!!」
楯山が構える。
――なんだその構え。怪しさ満点なんだよ。
電撃の真愚魔はまず、橘から攻撃することにした。
「……詈罵詈罵さ」
「名刀、星影」
電撃の真愚魔が出した左手の光の球よりも速く――橘は彼の左手へ切先を差し込む。
――この刀ッ! この前の図書館で戦った愚魔狩が持っていた!!
左手に刀が刺さる。その箇所から血が出る。
「真愚魔にも……赤い血が流れてるンだなァ……」
橘勇青は、嗤った。電撃の真愚魔は初めて……命が獲られる気がした。
「ッ!!」
すぐさま距離を取る。
――舐めて勝てる相手じゃないッ!
すぐさま黒い皮膚で止血し、両手から電撃を放つ。橘は軽い身のこなしで躱していく。真愚魔は標的を変えた――構えたまま動かない、楯山へと。
「暴流渡雷神愚!!」
両手から強烈な電撃を放ち、楯山へとぶつけた。一瞬で楯山の周辺が、黒く焦げる。しかし、楯山は笑った。
「フルカウンターオートモード:反撃ッ!」
楯山と電撃の真愚魔との間に、強烈な爆発が起きた。橘はその衝撃に目を細める――黒煙が舞う。
――楯山の必殺技、『超反撃対魔体』は、対魔力を耐久にカンストさせた楯山だからこそできる技。ぶつけられた魔力を自らの対魔力に変換し、爆撃のカウンターとして返す術。今の真愚魔の技が相当なものなら、堪えるはずだ!
橘が見据える先の楯山――彼にももちろん手応えがあった。なぜなら……。
「かはッ!!」
受け止めきれない衝撃に、倒れ込んでいるからだ。
――身体中が痺れる。フルカウンターでも防ぎきれない攻撃力……。やっぱりこの真愚魔。バケモノだ。
“バケモノ”は、まだ黒煙に身を包んでいる。
「……おいおい、殺したつもりかァ? ただの反撃技で?」
自分たちを嘲るような声に橘は青筋を浮かべた。
「……チッ。しぶといな」
「……だいたい、自分が喰らったら死ぬような技、普通は使わねえよ」
黒煙に身を包みながらも、立ち上がっている。そんな真愚魔を前にしても、楯山は動けないでいた。
「……とは言え……今日だけで3度も傷を負った。脇腹、左手首、それで……右肩から先まで。右肩に関しては再生時間かかるし、どう落とし前つけてやろうか」
電撃の真愚魔は立ち上がっている。しかし、爆発の衝撃で右肩から先が吹き飛んでおり、片腕しかない状態だった。橘は気づく。畳みかけるなら今だ、と。
「うおおおお!!」
一方で、電撃の真愚魔も気づく。この状況をひっくり返せる、最強のカードがあるということに。
――骸骨型はあっちに向かっていたな!
とある方向めがけて走り出す。倒れている楯山に目もくれないのを見て、橘は目的に勘付いた。
「……まさかッ!!」
そう、電撃の真愚魔は、餌魔である高虎エマのいる方へと向かっている。橘は早々にその目的に勘付いていた。
「田場、聞こえるか」
無線で田場に連絡を取る橘。
『はいよ、どうしたよ』
「楯山が重症で動けない。後で治療を頼む」
『オーケイ。もしかしてその慌てよう、逃げられてるのか?』
「ああ。察しが良いな」
橘はもう小さくなった真っ黒の背中を追う。
「高虎エマのいる方向だ」
“例の計画”を知っているのは、釘塚と橘だけだ。故に、橘は敢えてこれ以上何も言わなかった。
――釘塚サンがやられたところを見たせいか……。計画を遂行するなら何もするな、というところだが。
◆ ◇ ◆ ◇
「骸骨型の愚魔、だいぶ倒せましたね」
「はい……ちょっと魔力使いすぎました」
少々離れた場所では、神生とエマが骸骨型の愚魔を粗方倒し終えていた。食堂裏のテラスまで逃げ込んだ二人。入り組んだ路地に来てしまっていた。
「……講義棟前、広いところに戻りましょう」
エマが提案する。神生は首をかしげる。
「わざわざ主戦場に戻るんですか?」
「……はい」
エマは理由を続けて述べる。
「骸骨型がここまで追ってきたのも、私が餌魔という“愚魔をひきつけやすい体質”だからだそうなんです。元々、私に誘われて出てきた真愚魔を討伐するという段取りだったそうなので戦いにつかれた真愚魔が私の元へと来てもおかしくはないな、と思いまして」
「……なるほど。エマさんが餌魔ならその可能性はあります。あのメンバーなら真愚魔上位種相手でも追い詰めてもおかしくはない」
神生は顎に手を当て、エマの言葉に数度頷く。
「ならば護衛として、一層気合を入れないと!」
神生は錫杖をアスファルトの地面にとんとつける。シャリンと錫の音が鳴る。
「安心してください! これでも私、対魔力の絶対量には自信があるんです!」
「頼もしいですね!」
エマがほほ笑みを投げかけた。思い出すのは蜂野ミツハの顔。神生は彼女と年も近く、自分と同年代の女子の愚魔狩。これを機に仲良くなれたら良いな――などと淡い期待を抱いていた。目前でやや照れている神生。そんな彼女の背後に、真愚魔はやってきていた。
「あぶなっ――」
エマのその声が聞こえるよりも早く、真愚魔の左手が神生を弾き飛ばした。食堂のテラスから放り出されるように、体重の軽い神生の身体は放物線を描いて視界から外れていく。直後に聞こえる、葉っぱを掻き鳴らす落下音。
――やばいやばいやばいやばい。
思考は独占されていく。
「……んッ」
唾を飲み込めないほどの緊張感。目前の真愚魔が放つ威圧感。
――これが、こいつが……。
楠山を助けたときも相見えているはずだった。その時とはまた違う存在感。今、目の前にいる“コイツ”は、確実に“私”を喰らいに来ている。エマ自身、真愚魔を見るのは初めてではない。地下鉄で戦った真愚魔のことも思い出している――が、恐怖と緊張感は簡単には拭えない。
「なあ見てくれよエマ……この腕。ひどい有様だろ?」
真愚魔に話しかけられる。なぜ、彼は私の名を知っているのだ? とエマは思う。
「……」
何も言葉を返せないエマを見て、真愚魔は赤い瞳を細くした。
「笑っちまうよな。なあ。なんでお前が餌魔なのに今まで愚魔に襲われなかったか知ってるか?」
「えっ?」
さすがにこの言葉には声が出てしまった。
――この真愚魔は、私のことを知っている。今日よりも、ずっと前の日から……。
「お前が餌魔だってことは初めて会った時から気づいてた。だから他の愚魔には食わせたくなくてよォ……。大学周りにうろついているザコ愚魔共に睨み利かせてやってたんだぜ? それなのになんでわざわざ自分から愚魔に近づくようなマネしてたんだよバカが」
エマは馬鹿ではない。故に気づいてしまう。人間社会に溶け込んでいるという真愚魔の特徴、この口調、話の内容、堅海大学という現在地、飄々とした佇まい。左利きであるということを知っていた。楠山の言っていた「それよりヨースケが」という言葉。これらの情報が星座のように線で繋がれていく。
「あんた……ヨースケ?」
心臓の鼓動が速すぎて――声が震えて思うように出せない。
「……あーあ。せっかくゆっくりと時間をかけて、完全に俺のモノにしてから食おうと思ってたのに」
せっかくのご馳走、もったいない――という小さな小さなつぶやきは、エマの思い描いていた岩城陽介という学友の姿をあれよあれよという間に崩していく。
「いや……いや」
二度言った「いや」という言葉。その意味などもう深くは考えてくれないであろう目の前の真愚魔。
「急がねえと……右腕を回復させねえといけねえからな」
残った左手をエマの頭に向けて伸ばす。足が震えて逃げられない――終わった、と彼女は思った。
「こういうときどうするか忘れたのかッ!? 教えただろ!!」
怒号――遠くから聞こえる声。ああ、ここ一週間ずっと聞いていた声だ。と、我に返るエマ。真愚魔の後ろにて、橘が刀を振りかざしていた。
「橘さん!!」
自らに戦い方を教えてくれた師の、激励にも似た言葉を受け、エマは咄嗟に圧力式助魔器と、含魔銃を構えた。真愚魔の意識が、後ろの橘と前のエマの両方に向く。
「ぐっ!!」
再生が追い付かない傷口に、橘が振りかざした刀が刺さる。その傷口に追い打ちをかけるように、エマの最大の対魔力が込められた弾丸を2発撃ち込まれる。
「なっ……ふざけッ!!」
左手で刀を掴む真愚魔。漆黒の腕に、血管が浮き出てくる。
「ぬおおおおッ!!」
引き抜こうとする力に負けまいと、橘も全体重をかけて名刀を刺し込む。
ぷしゅっと血も噴き出る――真愚魔とて、臓器の位置が普通の人間と変わらないのであれば、そろそろ心臓に達しているはずだ。
「くたばれェ!!」
橘の言葉に、これでもかというほどの殺意が込められている。そうだ、この人も……ヒバナさんを殺された恨みがある。エマは気づいた。
――ヒバナさんの! 敵ッ!
引き抜こうとする左手を邪魔せんと、弾丸を何度も打ち込む。真愚魔の硬いボディには傷一つつかない。しかし、橘の刀は、橘自身の膂力もあってか、名刀の切れ味もあってか、深く、深く刺さっていく。
「うおおおおッ!!」
橘の汗がひた走る。真愚魔の心臓を刺し込む手応えを感じた。
「!!」
橘の手と気が――ほんの一瞬、僅か一瞬だけ、緩んだ。
「なあ」
ここで聞こえる、真愚魔の声。
「……なんで真愚魔が人間と同じく心臓を刺せば死ぬと思ったんだ?」
「!!」
「!!」
エマも、橘も、その邪悪な圧に危険を察知した。瞬時に刀を抜いてエマのいる方へと周る橘。
「逃げろッ!」
「で、でも!!」
「いいからッ!! お前を何かの手違いで喰われる方が厄介だッ!!」
橘の言葉に、素直に従おうと、一歩後ずさりした――その時だった。
「逃がすかッ!!」
左手をわずかに伸ばして電撃を放つ真愚魔――完全にエマを狙った攻撃。
――やば、避けきれな……。
目を瞑る。しかし身体のどこにも衝撃はやってこない。腰を抜かして転んだときに、初めて目を開けた――すると、目前に立っているスーツの男。
「た……ちばな……さん」
「逃げろっつってんだろ。お前を喰われる方が厄介だ……二度も言わせるな」
エマと、真愚魔の間に割って入った橘が、その電撃を受けていた。大きく火傷の入った胸部から腹部にかけて。それを絶対にエマに見せまいと、意地でも後ろを振り向かない彼。一方で心臓を突かれたダメージが思ったより大きい真愚魔も、息を切らしていた。その様子を見て嗤った橘は、掠れた声で言った。
「お前に戦い方を教えたせいか、お前を死なせたくないという気が強くなりすぎた」
その背中を、目に焼き付けたいエマ。しかし潤む視界にその背中はぼやけていく。
「俺のこと見ている場合じゃない。良いから逃げろ」
「……うぅ……でも」
「大丈夫。俺はまだ戦える」
痺れからか、おぼつかない両手で刀を構えて見せた橘。両ひざは各々明後日の方向を向き、まともに直立できているのかも怪しい。
「……お前は愚魔狩に向いている。だから……お前は強くなる。これからの愚魔狩の未来を背負って立つ存在だ。こんなところでは死なせない!!」
痛む腹部から大声を張り上げたせいか、喉奥から血があふれてきた。吐血――の様子さえエマには見せぬよう、顎に垂らす程度で堪えて見せた。
「信じろ。お前が逃げ切る時間ならたんと稼いでやる。師の務めだ」
意を決し、身を翻したエマ。路地を抜けるように大学の出口へと向かった。その足音を聞いて橘は息を吐く。その様子をじっと見つめる真愚魔を見て、橘は口を開いた。
「律儀な野郎だ。人間としての記憶が邪魔をしたか?」
「……まさか。君を倒してしまった方が後々いいと思ってね。俺も五体満足じゃないからさ。それにしても、君もおしゃべり好きだね」
「まあな……だがどうもお話好きな自分は好きになれねぇんだな」
橘の言葉に真愚魔は笑う。
「それはどうして?」
橘も笑い返す。
「……年を取ると、どうしても情ってもんが沸きやすくなるんでね」
「ってことは、今俺にも情を抱いてくれていると?」
真愚魔の言葉に、橘は血を吹き出す勢いで笑った。
「冗談きついぜ真愚魔さんよぉ……。さすがに人間限定」
「……そうか。ならお互い冷酷に……目的遂行と行きますか」
まさか真愚魔と気が合うなんてな、と橘は自嘲した。それと共に、走馬灯を思い返す。釘塚とかわした、例の計画の約束。エマとの特訓の日々。昔々の、ヒバナと行った任務。ヒバナとかわした約束――
『俺たち年長者が、次のやつらの指針にならなきゃいけない。今の大常盤体制に反対するわけではないが、若いやつの言葉にも耳を傾けなければいけないとは思わないか? だから俺たちで若い愚魔狩を育てよう。実力のある新しい芽を……愚魔狩たちの未来を……! 俺らの背中で!』
――俺はとことん、約束を守るのが苦手な男だ。
橘は、一歩、また一歩と距離を詰めていく。真愚魔も、左手を伸ばし、光の球を造りだす。
「楽しいおしゃべりは終わりか?」
「ああ……終わりだ」
一つ、ぼんやりと浮かぶ月が雲の影に隠れる。月光に包まれ、にわかに青く光る雲。眩しい閃光に、夜空の星は……一瞬、一瞬だけ姿を消した。
エマと餌魔は読み方こそ一緒ですが、違う言葉です。
”餌魔の特性を持つエマ”という意味で餌魔にカタカナでエマとルビを振ってある場合もあり、
読んでくださる方々の中にも、
「読み分けが難しいな」
「これ聞いてるキャラはどうやって意味をわけているんだろう」
と思っていることもあるでしょう。イントネーションが違うイメージで読んでいただければ幸いです。
・名前の方のエマ(カタカナ表記)の場合
刑事という意味でのデカのイントネーション。
・餌魔の特性としてのえま(ひらがな表記)の場合
「今めっちゃ暇」の暇のイントネーション。
ご参考にしていただければ幸いです。気にしてなかった人もいると思うのでそれぞれの読み方で読んでくださるのが一番ですね!
読み終わったら、ポイントを付けましょう!