コウマ――降磨竜護は、降魔の剣を構えた。紅蓮閻魔と対峙している。
「降魔術――『雷神威』」
降魔の剣の先から、まばゆい白閃光が瞬いた。刀身は、白い稲妻を帯びている。
「……スピード決着やな」
――この愚魔は、洋伸の言うことしか聞かへんらしい……。けど、紅蓮閻魔は洋伸殺した仇敵や! 協力してくれ!!
稲妻のようなスピードで、コウマと刀身が駆ける――紅蓮閻魔の周囲を稲妻が囲い――上空に黒雲が浮かび上がった。
「『鳴神雷土』!!」
竹を割ったような音――という表現すらかわいく聞こえる――そんな音。
閃光の残像と、焦燥の香り――燃えカスとなった木々から漂う、炭のようなこんがりとした刺激が、鼻腔に届いた。
目前をたたずむ紅蓮閻魔は――動かない。
「降魔の剣にて……その御魂永久にあらんことを……」
コウマは、降魔の剣の刀身を――深紅の色に変えた。降魔術を発動させている。今、紅蓮閻魔の魂を取り込んだのだ。
「……洋伸」
後ろを振り返って、降磨洋伸の亡骸を見て、我に返る。
「……そうだ……アズサッ!!」
――親父は死んでしまった。でも、俺にはまだやることがある!! アズサの元に帰るんだ!!
しかし、コウマは忘れていた。父親同然の洋伸の死もあって、紅蓮閻魔という強い愚魔を、初めて降ろしてきた愚魔をともに倒したこともあって。
――もう一体の……青鬼はどこへ行ったんだ!?
大きな浅葱色の体躯――浅葱閻魔を見つけたのは、それに気づいてから3分と15秒後のこと。屈んだ身体めがけて、降魔の剣を突きつけた。刹那――叫び声が聞こえる。
――アズサ!?
走る――走る。もう、失うわけにはいかない。
「アズサ!!」
回り込んで浅葱閻魔と対峙したコウマ。しかし――そこには、足をケガしたアズサの姿があった。
「リュウゴ……約束、守ってくれたんやね」
「まだや!!」
リュウゴはケガしたアズサと、浅葱閻魔の元に割って入る。
「お前のカタキ……こいつら殺してへんで!!」
「……それはもう……いいよ」
「ムツミらは!?」
「先に逃げた……。私追いかけてくると想って、哲平に頼んで別の方向つれてってもらってん。私賢いやろ」
振り返って、ケガした箇所をよく見ると、足首から先が無くなっていた。
「お前まさか……」
「……」
激昂したコウマ。しかし相手は――餌魔を喰った愚魔である。到底、降魔術をマスターしたてのコウマにはかなわない。
「アズサに触るなや!!」
「ぐぉおおおおお!!!!」
張り切っていると言わんばかりの轟音。それだけで弾き飛ばされそうだ。コウマは――無力を感じた。
「リュウゴ!!」
アズサが後ろから叫んだ。片足でなんとか立ち上がっている。その光景を見て、コウマも悟る。
「リュウゴがいてくれて、楽しかったで!! 孤児院におっても、寂しくなかった! 私の親を殺した愚魔を、殺したるって言ってくれてほんまうれしかった! 約束を守ってくれてありがとう! もう一回、ちゃんと生きて会いに来てくれて、ありがとう!!」
涙を拭いたアズサ。
「……降磨竜護。天才なんやろ? 最強になるんやろ?」
笑顔を作る。
「最強の降魔術師になって、この浅葱閻魔を……絶対に従えるんやで」
「やめろ……そんな辞世の句みたいなこと言うなや!」
まぶしい笑顔が――焼き付けたくなくても、焼き付いてしまう。
「私――待っとるで」
アズサの魔力を――コウマにぶつけた。油断していたためか、遠くへ吹き飛ばされるコウマ。
◆
この京都での孤児院を襲った二体の愚魔の話は、日愚連でも語り草となった。理由は二つ。日愚連ができて初めて、餌魔が愚魔に喰われたケースだったから。もう一つは、この出来事をきっかけに一人の少年が――最強の愚魔狩と呼ばれるまでに成長したからである。
コウマは大切な人を失った悲しみを原動力に、愚魔を狩り続けた。20歳のときに初めて日愚連の門を叩き、そこからメキメキと昇進。関東を中心に暴れ回っていた『愚龍討伐作戦』にも選ばれ、破竹の勢いで活躍していた。
実の両親の仇敵である愚龍を討伐したことなど、彼にとってはどうでもよかった。復讐が目的だったけど――彼の目的は“愚龍を倒すこと”ではなかったからだ。でも、そのときの彼は、自分のことを『復讐を果たしたのに何も残らなかった虚無な男』としか、認識できなかったのだ。ヒバナが気を遣ってくれたのはうれしかった。響かなかったわけではない。彼のために働こうとも思えたが、心にぽっかりと穴は空いたままだった。
そんな中、出会ったのが、一人の少女だったのだ――
――任務か。気づいたら8段。日愚連の仕事なんか、ほとんどしてへん。頼まれた愚魔を狩る仕事だけしとるだけ。それでも……俺、最強らしいからなあ。
自堕落なフリをしている方が楽だった。怠惰な振る舞いをしている方が楽だった。「大切な人を守れなかったのは、お前に勤勉さが足りなかったせいだ」と、言い訳ができるから。酒を飲んで、女遊びをして、金を浪費しまくって――そうやって遊んでいるのがちょうど良かった。自分の辛い思い出を――薄っぺらく隠してくれるモノがほしかったから。
――つまらん人生やな。
自分の人生のピークなんて、どこにあったかもわからない。あるのは、途轍もないどん底だけ。低いビルとビルの間の路地裏を眺めながら、ちょうどこんな感じだ――と想っていた。一人の少女が歩いているのが見える。何かを探している――そう感じたコウマは、しばらく眺めることにした。
愚魔が現れていた。気づいていたが、動けなかった。動かなかった。そこに意味を見いだせなかった。大切な人も救えなかった自分が、“人を助ける”ということなど、なんと馬鹿らしいことをしているのか、と眺めていることしかできなかった。
――ヒバナさんはああ言ってた。俺もわかった気にはなってた。けど……やっぱあかんな。
ヒバナの教え、『大切な人のことを、いつでも助けられるわけじゃない人がたくさんいる。俺たちはそういう人のために、今日も知らない誰かを助けるんだよ』という言葉を思い出して一時はやる気になっていたが、いざ理不尽な現実からの蹂躙を目にすると、あのときの思い出が蘇ってしまう。
「……ははっ、こんなつまらんことして……。俺は何のために生きてるんやろ」
コウマがそう呟いたその時、ちょうど――そのつぶやきに答えるように、叫び声が聞こえてきたのだ。
「自分が何者かなんてもうどうでもいいわ!! でも、わけわからんまま死ぬくらいなら、このまま生き抜いてやる!!」
なんやそれは、とコウマは思った。自分が、なんてしょうもないことで生きがいを忘れているのか、と嘲笑った。
――こんだけ頑張って生きようとしとる強い子を……見捨てるのはあまりにもかわいそうやんな。
かつての大切な人たちは、自分を守るために死んでいった。コウマ自身が守ろうとしたモノだったから、その手からこぼれ落ちてしまう感じがしていたが、違った。
――俺がここに立ってるんは、俺がコイツを守ったれってことなんか。親父……アズサ……。
コウマの中で、決心がついた。
「ははッ、おもしれえ」
コウマは小さなビルの屋上から、路地裏に飛び降りる。飛び降りている真っ最中の自分の存在に気づいた愚魔は、少女から距離を取っていた。
――ふんッ!
力いっぱい刀を振るい、首根っこを斬り落とした。目を見張る少女。周囲に飛び散る血飛沫。刀を鞘にしまいながら、状況がよくわかっておらず足を震えさせている少女を見る。
「お嬢サン。おもろいな。俺の助手なれへん?」
これが、降磨竜護が高虎エマと出会った瞬間だった。
◆
過去を洗いざらい思い出し、コウマは走っている。『最優先事項』……エマを狙っている真愚魔たちから、エマを救い出さなければならない。日愚連の総本部からマンションまでは、2.30分はかかる――が、これは普通の人間が走ったならばの話である。
――虚無だった俺を、また復活させてくれたんはお前なんやエマ!! 助手やなんや言うてるけど……アズサの面影追っかけてるだけかもしれへんけど……お前がおらんかったらあかんかった……あのままつまらん人生になっとった!!
洋伸とアズサに思いを馳せた。
――頼む。今こそ、俺が最強やってのを見せたる場面なんちゃうんか!?
マンションの一室めがけて走る。家の塀へと飛び乗り、そのまま屋根へと飛び移る。家から家へ、人並み外れた跳躍力で飛び移っていく。
――間に合え、間に合え。
底なしの魔力を、ここぞとばかりに使う。「俺は天才だ」「俺は最強だ」言い聞かせれば言い聞かせるほど、力が湧いてきた。スピードも上がってきていた。
車道を横切り、植え込みをかきわけ、ビルの壁をよじ登り、転々と乗り移る。
――間に合え、間に合え。
人混みを避けるように、店の壁を蹴り上げ、屋根の上へと移動する。そのまま駆けていくのを、驚いた目で見る有象無象たち。
「アレ何?」
「撮影?」
「ほら、あれじゃね? 最近有名でしょ、人並み外れた力を持つ愚魔狩って人ら」
「すげえな。オリンピックでれるだろあれ」
そんなざわめきなど、意にも介さない。
――間に合え、間に合え。
エマに出会って、変わったのだ。大切なものを手にするのが久しぶりだったから、どう接して良いのかもよくわからなかった。傷つけることで距離を取ることしかここ数年していなかったから、それでも寄ってくる人をどう扱って良いのかわからなかった。
エマの強さも、エマといることで感じる価値も、それがきっかけで広がったモノも、今はもう手放せない。蜂野姉妹、エマの大学の友人たち、生井ダイト、スナという弟子。ホーセン。気づけば周りに人がいる。もう――手放すわけにはいかない。
――間に合え、間に合え!
マンションの壁を駆け上がる。
「降魔術ッ!! 『八岐蛸壺魔』」
刀からタコの足のような、吸盤がいくつも出てくる。それを使って巧みに、なおかつ素早く壁を駆け上る。3階のベランダ――ふと足下を見ると、植え込みに引っかかってうずくまっている木村スバルとミツハがいた。
――間に合えッ!!
目をかっと開き、窓ガラスを突き破った。キッチンの裏に隠れている少女の首に伸びた腕を――コウマの剣でぶった切る。
飛んでいく腕――2体の真愚魔は、そこに視線を奪われていた。もちろん――絶望し、うずくまっていた少女も。
「……な、なぜだ!?」
「こ、コウマ……さん」
少女は――高虎エマは、驚きながらも、その表情に一縷の希望が戻った。否、一縷などというものではない。もう、全幅の信頼を寄せた顔だ。
そして、驚く1体に対し、唖然として言葉を失うもう1体に対し、最強の愚魔狩はこう言った。
「……俺の助手に触るなや」
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