橘勇青という男に、愚魔との戦闘訓練をつけてもらうことになったエマ。先ほど味方してもらえたこともあり、エマはどこか落ち着いていた。
――敵ばかりじゃない、というか、そもそも愚魔狩は味方のはずだっつーの。おかしいのは釘塚のバカの方だ。
心の中でうんと悪態をついても、釘塚に対する嫌悪感は収まらない。
「まあそんなにカリカリしないでやってくれよ」
橘が缶コーヒーを一本ずつ、それぞれの手に握っている。
「釘塚は、大常盤さんと俺たち下っ端との中間管理職みたいな立場でね。色々なしがらみの中で人員派遣部長として働いているんだよ」
「とは言っても、私を拉致ったという事実に変わりはないです!」
エマの怒る理由はもっともだ、と橘は笑った。
「俺はこう考える。これ以上コウマに手柄を与えれば、大常盤さんは大激怒だ。釘塚に命令でもしたんだろうね。『コウマより早く真愚魔を倒せ』と。釘塚としては自分の持っている情報を最大限に活かした結果、君という存在が作戦遂行に必要かつ、コウマの足止めにもなってベターだと考えたんだろう。現に今、君に訓練をつけて実戦で使えるレベルにしようとしている。最低限だけどね」
無理矢理腑におとさないと、辻褄が合わない。エマは当然納得などいっていないが、このまま戦場に送られて死ぬ方がごめんだ。
「ヒバナを知ってるんだってな」
「え、あ、はい! それこそあのときに」
思い出す。図書館で出会ったときのことを。あの日を最期に、死んでしまうなんて思ってもいなかったが。
「いい奴だったろ。同期だったんだ。あいつとは」
「……」
過去形で言い放たれた言葉。“だった”という言葉の重みは計り知れない。
「コウマのことはよくわからんし、釘塚の焦る気にもイマイチ乗っかれないし、高虎エマ、お前のことも何も知らん。だが、作戦は成功させたい。お前が必要だとわかっている以上、お前を鍛える必要がある以上、俺はお前の意志に関わらず厳しく鍛える。否が応でもついてこい」
「……」
息を呑むエマ。橘の熱意だけは、人一倍伝わってきた。紳士的で落ち着いた振る舞いに似合わず、熱いハートを秘めている、とエマは感じた。
「わかりました。私にとっても、ヒバナさんの仇ということには重みがあります。戦えるようにしてください」
エマが頭を下げる――と、橘は左手に持っていた缶コーヒーをエマに向かって優しく放った。
「おっと」
拙くもキャッチするエマに、橘は笑いかける。
「微糖派とは言わせねえぞ」
無糖のブラックは飲めた試しが無いエマだったが、嬉しそうにその缶を握っていた。
◇ ◆ ◇ ◆
「最近、エマと連絡が取れないんだよね」
「マジ? 授業は?」
図書館で勉強をしているのは、エマの友人である鷹津奈緒子。そして、岩城陽介と楠山担もいる。岩城の問いかけに、ナオコは首を横に振る。
「……昨日のプロ文にも出てなかったし……外国語演習にもいなかった」
「……や、やっぱこないだの彼氏と遊びまくってるのかなあ」
楠山の言葉に岩城も、ナオコも反応した。同時に二人から顔を向けられ、困惑する楠山。
「な、なに……俺へんなこと言ったか?」
「……こないだのあいつ……あの金髪イケメンのことね!」
「……あいつか」
目を輝かせるナオコに対し、岩城は落ち着いていた。
「しゃあねえ。今日はじゃあビリヤードでも行くか!」
「ええ、私ビリヤードなんかできないよお」
「大丈夫。ヨウスケめちゃくちゃうまいから、教えてもらいなよ」
楠山の言葉に乗せられ、ビリヤードをすることになった3人。すぐにアミューズメントパークへと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇
「本当にここなんでしょうね」
蜂野スズメが生井ダイトに話しかける。コウマを含め、3人は……電撃の真愚魔を捜索するためある書店に来ていた。
「はい。俺が掴んだ情報では、あの悪魔は図書館に出てくるのが、3度目なんです。一度目はここ、Bookon堅海店。二度目はこの横、アミューズメントパークAround20」
「……一体何を根拠に」
コウマは懐疑的だ。
「以前から俺は……こういう悪魔がらみの取材を続けていて、今あげた場所で、だいたい人ひとりが失踪しているんです。いなくなった現場は、いずれも……今あげた書店、アミューズメントパークの男子トイレ。不自然な焦げ跡も見つかっている。焼殺にしては死体や証拠が出なさすぎる点、遺留品がトイレに全く流された後がない点など、不自然なことが多くて……悪魔、というか……あなたたちの言うところの“愚魔”に襲われたと考えるのが自然だと……思ったんです。そして、図書館にも同じ焦げ跡が見つかった」
「殺し慣れしてるやん」
「手練れね」
生井の言葉は、コウマもスズメも信じざるを得ない。信じるだけの材料が、彼らにはありすぎる。
「これらのことをヒントにすると、犯人は生活圏の狭い堅海大学生で間違いないんです。近辺に実家か下宿がある」
「妙だわ。普通、だいたいの真愚魔は特定を恐れて“捕食”の現場は生活圏から外すと思うんだけど」
スズメが疑問を呈する。頷くコウマ。二人の方が圧倒的に愚魔の生態に詳しいので、生井は反論の余地がない。
「図書館で出会ったとき、奴の方から魔力を出していた。せやから俺らは駆り出された。多分、愚魔狩との戦闘はあのときが初めてやったんちゃうやろか」
「特定を恐れる愚魔が、愚魔連に検知されるような高魔力を出すなんて、さらに妙ね」
「あ、あの……」
息詰まる二人に、生井が話しかける。
「その、魔力を出す瞬間って、どんなときですか? 例えば、力を使うときとか、おなかがすいてとか、いろいろあると思うんですけど……」
「おなかがすく……か」
コウマが思案を始めた。1分ほど。短いようで、長くも見えた、この時間。彼なりに答えを出したのか、二人に問う。
「生井ダイト、真愚魔は堅海大学生だって、言ってたやんな?」
「え、まあ……はい」
「それやったら、スズメ。餌魔であるエマの存在を、認知していないわけがあるか?」
「……同じ大学内にいたら、嫌でも気づくでしょうね。ご馳走だもの」
スズメの答えに何度も頷くコウマ。
「例えばよ、焼き肉焼いてるときにな、特上カルビを大事に大事に育てているとするで」
「は、はあ……?」
いきなりのたとえ話に首をかしげる生井とスズメ。
「まだ焼けてへんそれを食べようとする、食に無理解な阿呆がおったら、お前らはその肉をどうする?」
「守る」
「自分の皿に移してでも……守るかしら」
「そう、おそらく真愚魔も同じことをしようとすると思うんや」
「ってことは……」
スズメが勘付いた。コウマの推理に。
「エマちゃんの近くにいた人物ってこと?」
「せや」
顔は思い浮かんでいるコウマ。図書館であったあの三人。あの日、エマと会う約束をしていた、あの三人の誰か。
「特上の餌魔を前に、テンションが思わず上がってしまった真愚魔は、高い魔力を出してしまった。故に俺らに気づかれた」
「それが、三度目の登場、図書館での出来事ってことなんですね」
生井もここで理解する。そしてコウマは頷き、続けた。
「……エマがおったら一瞬でコンタクト取れるんやが、畜生、これも釘塚のねらいか?」
頭を使ったせいか、今の一瞬で急に溜まったイライラのせいか、外の空気を吸いたくなったコウマ。生井とスズメに一声かけ、自動扉を開いた。ふうっと息を吸い、吐く。脳内に酸素が巡りわたる感じがし、少し落ち着いた。空を見上げ、道の方を見渡す――と、三人の大学生を見つけた。
「……あれは」
三人の談笑する大学生。エマの友人である、鷹津奈緒子、楠山担、岩城陽介の三人である。
「おっ、あれ……」
楠山が呟いて指を差す。それにつられて鷹津奈緒子と岩城陽介も指の先を見る。コウマと目が合う。
「あ、エマちゃんの……」
鷹津が口を開くのをそっと抑える岩城。
「ナオコ、皆まで言うな」
「そ、そうだね……」
そのまま隣のアミューズメントパークへと入っていく3人に、視線を外さぬまま息を吐くコウマ。
――あの三人のうち、誰かが真愚魔。ヒバナさんを殺した奴がいる。
単独で追うのは、気が引けた。己が身一つで、電撃の真愚魔に勝つ自信は、準備無しには出てこない。しかし、それでも、一歩……隣の店舗へと足を進めた。
――奴はきっと俺を知っている。だから、俺が仕掛ければ相手は応えるはずや。
受付を通り過ぎ、そのまま二階の男子トイレへと向かう。二階は、ボウリングとビリヤードをするところがある。
「来てそうそう捕食するとは思えない……が」
男子トイレの扉を開くと、空気が変わった。圧が、これでもかと押し寄せてくる。手洗い場をなんとか通り抜け、奥の方へと歩いていくと、“そいつ”は“いた”。
「やあ……“一応”初めましてと言っておこう。“この姿”を見せるのは初めてだ」
そこだけが闇かとでもいうほど、真っ黒な身体。消炭よりも黒いそれは、あらゆる光を吸収して、黒く、黒くなっている。間違いない。ここにいるのは、図書館の真愚魔――ヒバナを殺した、電撃の真愚魔だ。
「声は聞いたことあんねんで」
「図書館の時だろ。あの愚魔狩が無線で話していた相手か」
「せや」
くくく、と引き笑いする声。コウマは身が引き締まる。
「やんのか?」
降魔の剣を手にかけ、臨戦態勢に入るコウマ。電撃の真愚魔は首を横に振る。
「……俺は戦うつもりでここにいるんじゃない。君と話がしたかったんだ。これでもおしゃべりは好きだからね」
「……俺は嫌いだ」
不機嫌そうにため息をつく真愚魔。目が赤いからか、表情は読み取れる。
「……なら手短に言うよ。僕は、君たち愚魔狩に提案をされたんだ。『13日後の6月13日。堅海大学にて、電撃の真愚魔を待つ。お前たちにとっての特上の餌、餌魔をかけて、俺たち愚魔狩と戦おう』というメールが来てね」
驚いた。メールの内容にもだが、何者かがメールを送ったという事実に。
――日愚連はとっくにこいつを特定できているのか?
「残念だけど、君の予想は“はずれ”だ。このメールは一斉送信。おそらく大学の事務局をハッキングして送信したんだろう。魔力を流し込まないと開封できないメールだったから一発でわかったよ。俺の正体に、喉元まで来ているって」
――一体、だれが? 少なくとも堅海大生という情報を手に入れていた? メールに魔力の細工ができる愚魔狩なんていたか?
もし釘塚が根回ししたのだとすれば、自分たちよりもとっくにこの真愚魔の情報を多く掴んでいる。二週間後に、作戦決行できるだけの準備は整っている。エマはそこで、戦わされ、危険な目に遭う。
「……なら、俺は今ここで、お前を倒さなきゃいけねえ」
コウマは刀を抜いた。釘塚よりも早く、この真愚魔を倒さなければならない。至上の命題だ。
「はあ……話のわからない脳筋は好きじゃない」
真愚魔は左手を挙げた。
「……罵詈罵詈散荼雷球」
電撃をまとった光の球が左手の先に出来上がっている。
――一瞬で攻撃する光の球ッ!!
距離を取ろうと一歩引きさがるコウマ――の元へと投げられる光の球。閃光が瞬く。
小窓を突き破る音――両腕を大火傷し、背中に窓ガラスが突き刺さった跡が残っているコウマは、そのまま外に投げ出された。
「ぐっ……ざけんなッ!! おいッ! すぐにおいかけてやるッ!!」
叫ぶが、小窓の先はもう見えない。思えば、自分がギリギリ入れるサイズの窓だった。
「ちきしょうッ!!」
追いかけようにもしびれて動けない。焦る気持ちと裏腹に、痛む背中と悔しさが、彼を苦しめていた。音に気付いてか、スズメと生井がやってくる。
「な、何事!?」
二階から落ちたコウマは決して軽傷ではない。スズメは救急車を呼ぶしかなかった。
――これは宣戦布告。エマをかけて戦おう。降磨竜護。
一方、その戦いの渦中にある高虎エマは、橘勇青と特訓をしていた。
「高虎エマに質問だ。対愚魔7つ道具は何がある?」
「えっと……含魔銃、不可視認結界、祓魔の札、量産型短刀、魔爆弾、緊急抗魔薬、圧力式助魔器」
「じゃあ、その中で使ったことがあるのは?」
「含魔銃と、不可視認結界だけです」
「この対愚魔7つ道具を使いこなせるだけで愚魔狩としての実力者にはなれる。なぜなら、俺は対魔力がほとんどないザコだが、この7つ道具の達人として……5段まで上り詰めたからだ」
「……す、すごい」
そう、橘勇青5段は、対愚魔7つ道具の達人――己が身一つだけでのし上がってきた本物の実力者なのだ。
「まあ、俺が戦えているのはお前が最後に言ったこいつ、圧力式助魔器……アシストポンプって呼ばれてる道具のおかげだ」
ピコピコハンマーの音がなる部分のような、安物の空気入れのような、そんな見た目をしている……とエマは感じた。何せ使うのは初めてである。当然、コウマが使っているところも見たことはない。
「こいつは、小さな魔力を圧縮して貯め込み、高い魔力を含魔の弾丸や短刀、祓魔の札に込めることで応用できる代物だ」
「む、難しいです!」
エマには話が入ってこない。ややイメージがしづらいのだ。
「そうか……お前にはまず“対魔力のコントロール”からしねえといけねえか」
対魔力――それは愚魔狩が愚魔と戦うために使う力。全人類多かれ少なかれ持っているが、それを生まれたときから扱える人間はほとんどいない。
「お前の場合、初めて会った愚魔狩が降磨竜護っていうイレギュラーみてえな奴だから、こういう基礎は教えてもらえねえわな」
「はい」
改めてコウマの非常識さを思い知るエマ。どこかでくしゃみでもしておけ、と鼻で笑う。
「対魔力での戦い方は主に二通り。ヒバナが刀で戦ったり、含魔銃の弾丸に魔力が込められていたりするのは、対魔力を“道具に込める”ことで戦う方法。コウマが飼っている愚魔、紅蓮閻魔の炎なんかは、あれは魔力を込め、具現化することによって発現した“能力”だ。蜂野スズメの“毒”や、妹の“目”なんかもそれだ。愚魔狩はだいたい、対魔力を道具に込めたり、能力として昇華させたりして戦っている」
「ほう……」
含魔銃を見るエマ。
「でも、私は弾丸に対魔力を込めたことなんてないですよ?」
「ああ。含魔銃自体はただの銃だ。そいつが特別なのは弾丸の方だ。と、少し話は逸れたが」
咳ばらいを一つする橘。
「お前には祓魔の札、短刀、魔爆弾の3種類を使いこなせるようになってもらう。対魔力のコントロールを覚え、圧力式助魔器で対魔力を増幅させ、道具を正しく巧く使うことで戦いのバリエーションを増やす。これができて初めて一人前だ」
「は、はい!」
元気に返事をするエマを見て、考える橘。
――釘塚の話によれば、機転の利き方、状況判断の速さは素人離れしている。運動神経も悪くなさそうだし、鍛えればモノになる。となるとやはり……“圧力式助魔器”を扱えるように特訓すべきだ。
「高虎エマ、このポンプに魔力を込める練習をしよう。これに魔力を込められるようになれば、短刀、札、魔爆弾を強い対魔力で扱うことができる」
「えっ……こうですか?」
ポンプのようなものを使って、対魔力をため込むことに成功しているエマ。橘は咳払いを一つ。
「……うん、次のステップへはすぐに行けそうだな」
多少困惑の色は隠せないが、どうやらエマは次のステップにいけるらしい。素直には喜べないが、一歩は進歩した。
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