共和暦七〇四年
死闘を極めた大国との戦争が終結し、一年の時が過ぎた。
この戦争に至るまで実に四年と七ヶ月の困窮に見舞われた敗戦国の姿も今は昔、活気と闘志を取り戻した共和国は、未だ勝利を称える讃美歌で満ち溢れている。
大通りでは、歩調を合わせた兵隊の列が紙吹雪を押し退けながら闊歩し、群衆は輝かしい愛国者の行進に羨望し、沸いた。
かつて"列強諸国の成り損ない"と貶された《ナフカ共和国》の姿はそこにはなく、今や記事の一面を飾る"列強の誉れ"の文字と共に猛禽の翼を象った国旗が大々的に掲げられているのであった。
そんな群衆の声援を目下に、窓越しに映る民の笑顔を踏みつけるような視線を送る男がいた。男は、小高く無骨な省庁邸の大窓の傍に立ち、大国産のお気に入りの葉巻を蒸かしながら厚い白髪の髭を撫でている。葉巻を持つ太く強靭な薬指には大振りな宝石を携えており、その巨体にはやや小さめな軍服に数々の勲章をぶら下げている。男が気持ち良さげに煙を吐くと、部屋の奥、壁の中心に聳え立つ繊細な模様が刻まれた厚い扉が三度、鳴った。
「フォン・ヨーゼン殿、私です」
「―――入れ」
「失礼します」と女の声が呟くと、重い扉を押し開けた背の高い銀髪の兵士が額に手を当てて敬礼した。
「第一〇六期兵イルゼ・タイファネン少佐であります」
男は葉巻を吸い、名残惜しそうに少しだけ息を止めてから、一息に煙を吐いた。部屋に異国の草の燃えた匂いが充満する。
「そう、堅くなるな。少佐」
男は不満げに呟いた。
「久しいな、イルゼ」
「お元気そうでなによりです、叔父様」
叔父、と呼ばれた男―――ダリス・フォン・ヨーゼン中将は、ここ、ナフカ共和国の治安維持と均衡を司る共和評議会における愛国機関、通称《ユーロポリス》を取り仕切る人物の一人である。対して、ダリス中将の姪に当たる彼女、イルゼ・タイファネン少佐は、若くしてユーロポリスの最重要支部をまとめ上げる代表人物という役職を与えられている、所謂雄英という人種である。
ダリス中将は、吸いかけの葉巻を灰皿に擦り付け、高級な木材でできた机に向かって重い腰を下ろした。
「全く、群衆は馬鹿で喜ばしいものだ」
灰皿には、吸いかけの同じ葉巻がいくつも放られていた。
「平和を見せれば直ぐに鳴く」
「皆、勝利に心酔しているのです。これより先、諸外国が共和国を侵攻することは無いでしょう。あの列強でさえも。我々はもう、かつて"列強の成り損ない"と侮辱された大国の属国ではありません。我々がその雪辱を果たすことで、永遠の発展と安寧を手に入れたのです」
ダリス中将は、ふぅー。と分厚い唇から息を漏らし、
「大国の煙草は旨いな」
と呟いた。
「―――これからは、もっと上等な煙草が手に入りますよ。何でも、我々に恐れ戦いた諸外国が挙って有利な貿易を持ち掛けてきたとか・・・我々に媚びようと躍起になっているようです」
イルゼ少佐が細い指でポットを傾けると、煙草の臭いが充満した部屋に紅茶を注ぐ音が響く。カップの底に紅茶が衝突すると同時に香り高い湯気が昇り、不快な葉巻の臭いをかき消した。
「―――奴らが恐れているのは我々ではない」
中将は、机の引き出しから葉巻を取り出して火を付けた。
「民衆はまるで己の手で勝利を掴んだと錯覚している―――見ろ、平和に酔いしれた奴らの阿呆面を。このままでは何れ共和国は死ぬ」
「・・・何か対策がおありで?」
また、葉巻の先から煙が放たれた。
「戦争を始める」
***
共和国軍士官学校にて
「―――私が最前線に、ですか?」
長髪の少女が声を上げた。深緑色の使い古された軍服は兵学生を示し、左肩に配った赤い刺繍は上等級学徒であることを表している。
「ああ、貴殿には第一〇四部隊への配属が決まった。戦地でもしっかりと責務を全うするように」
「ちょ、ちょっと待ってください、話が違います」
少女は、肩よりやや上まで伸びた横髪を揺らして、報告書を片手に頬杖を付く上官に食ってかかった。
「首席合格者は王都憲兵へ入団できる手筈では・・・」
「うむ、その通りだ。"以前は"な。今朝《愛国機関》から通達があった。曰く、『首席合格者に関わらず、兵学の履修を終えた生徒は総じて戦線へ向かわせるように』だそうだ。状況が変わったのだよ」
「そんな、どうしていきなり・・・これは何かの間違いです!戦争は終わったのに、まだ前線部隊の解散命令が為されていないなんて・・・」
「まあ、今回は運が悪かったようだな。しかし、座学の首席合格者を無情で死地へ向かわせられるほど私も鬼ではない。数ある部隊の中で最も給料の高いものを選んでおいたよ」
「そんなことでは納得できません!」
尚食い下がる少女に、上官は深いため息を吐いた。
「マードリヒ上等生、貴殿はこの平和を何と説く?」
「―――どういう意味でしょうか?」
「貴殿はこれを"終戦"と捉えるか"停戦"と捉えるかと訊いているのだ。確かに、我々は命を賭して大国に打ち勝った。その恩恵は大きく、尊い。しかし、だからこそ自信に問わねばならぬのだ。この束の間の平和がどれほど続くのか、流した血の重さ故に、今一度進撃を受ければどれほど甚大な損害を被るのか・・・平和を守るとは、単に敵を排斥するだけではない。今度は自身の手で温和を掴み取らなければならない。その為に兵士がいて、その為に政府がある。"愛国"とはそういうものだ」
少女は、少し黙って息を呑んだ後、俯いて言った。「―――私には」
「私のような一端の兵学生には、我が国の方針に意見することはできません・・・」
「入学試験では百点の回答だな」
上官はインクの染みたペンを書類に走らせると、ふと立ち上がって少女の目の前に差し出した。
「修了おめでとう、ララ・マードリヒ上等兵」
***
"四年大戦"と、人々はそう呼ぶ。
それは、文字の如く四年に渡って続いた大国《ボスコ》と、それまでその属国であった《ナフカ共和国》による全面戦争を指す。当時欧州と呼ばれる大陸地域で圧倒的な力を持っていたボスコは、主に北欧・南欧諸国へと侵攻を続け、徐々に勢力を伸ばしてきた。大国より南西側に位置していたナフカ共和国も例外ではなく、それまで大国と共和国の狭間に位置し、互いに不可侵条約を結んでいた《レオナブルク合同連邦》も大国の抑圧に耐えかねて吸収、初めこそ抵抗した共和国も、やむなく大国へ与する形となった。
大国から数々の不平等条約を突き付けられる中、属国となった国々で秘密裏に連合を結成、各国での軍備強化の後、連合国で大国ボスコを一斉に叩くという計画を立てる。元来、物資の豊かな共和国は他諸国との貿易で平和を保っていた為に、誇れるほどの軍事力を持ち合わせてはいなかったが、見様見真似で軍備強化を進め、代償に国民から大量の税金と食物を捲揚げることで戦争に参加した。
戦地では大国の圧倒的な軍事力に壊滅的な被害を受ける中、ただひとつ、死傷者を一人たりとも出さずに帰還した部隊がいた。
《第一〇四部隊》
当時真面な訓練も十分に受けられていないにも関わらず、塹壕戦では敵国のトーチカを大破、軍港では守備部隊及び援護部隊全滅、大国南方の要塞制圧という戦果をたった一部隊で成した。第一〇四部隊の襲撃を受けた大国軍兵士は、後に当時部隊長を務めた少女を"愛国人形"と畏怖し、息絶えたという。
その後三年に及ぶ攻防を繰り返し、遂に大国に打ち勝った連合国。戦地で数々の伝説を残した"共和国の悪魔"の名は紙面を通じて世界に知れ渡り、民衆に恐怖と興奮を与えるのだった。後の条約会議で、大国は幾つかに分断される。無論、彼女が踏んだ地は全て共和国の領地となった。
少女の名はオーゼン・ヨロフスキ。第一〇四部隊隊長にして世界最年少の"少尉"等級者である。また、過剰な愛国主義者としても名を馳せており、"愛国人形のオズ"の異名を持つ。
その素性は謎に包まれており、身長四メートルにも及ぶ巨人だとか、生身に榴弾を受けても傷一つ付かないだとか、兎に角様々な伝説が噂されているが、真相は闇の中である―――。
「・・・却下」
「・・・はい?」
やけに小さい眼鏡を掛けた長身の男が、低い頭を傾げた。
「聴こえないのか、"却下"だ。全く、これだから新聞記者は嫌いなのだよ。ありもしない事を誇張して書くし、何より文字に 面白味が無い。軍港をたった一部隊で完全制圧?そんなこと人間に出来る訳がないだろう。こんなこと記事にしたら『我々はバケモノを使って戦争をしているのではない』とお上からドヤされるのがオチだ」
「し、しかし、実際はこれほどの成果を挙げたのだと政府に知れれば、昇級間違いなしなのでは・・・」
男は、尚も必死に説得した。高い腰を折って見上げるようにする姿勢は、それだけで既に胡散臭さが見て取れる。
「第一、そんな事を信じるのは民衆だけだ。戦火に塗れた戦場で、どれほど正確な情報が伝わると思う?もう一度言おう、答えはノーだ。私は書類審査の仕事と間食で忙しいのだよ」
そう言うと、少女はぷいとそっぽを向いて手に持っていた記事の原稿を山積みの書類の乗った机上に投げた。
「いいか、私は軍人だ。生憎、昇級なんて言葉に惑わされるような人間ではないのだよ。私が最も信用していないものは『新聞記者』と『背の高くて厭に小さい眼鏡を掛けた腰の低い男』だ。さあ、分かったら帰った!ただでさえ短い軍人の休暇を無駄にしたくないのでね」
少女の言葉に気圧された男は、首を項垂れてとぼとぼと部屋を出ていった。
当の少女は「ふん」と息を洩らして食べかけの菓子に匙を掛けると、口に運ぶまでのひとときを楽しむようにゆっくりと目を閉じた。
「んん〜」
という甲高い声を上げて頬を抑える姿は、無邪気な少女そのものだ。
「実に幸せそうですね、隊長」
傍らに立った青年が、眩しい笑みを零す少女に微笑みかけた。
「ああ、この異国の菓子は本当に旨いな。こんな食感は初めてだ。なんという菓子なのだ?」
「"プディング"というものだそうです」
「そうか、ならばこの食感を形容して"プルプル"と名付けよう!」
「ですから、それは"プディング"というものです」
青年の声も届かず、ひとりでに「プルプル」を連呼しては頬を染める少女。その度揺れるくすんだ桃色の長い髪は、彼女をどこか謎めかせていた。
「―――それはそうと、本当に良かったのですか、今の話」
「うん?何の話だ?」
もう、完全に"プルプル"に集中して全く話を聞いていない。
「昇級ですよ。記事が売れれば、中尉への道も案外夢ではなかったのかも知れませんよ?あんな断り方をして、怨みを買った記者が不評を吹聴したりしなければ良いのですが・・・」
「―――そんなくだらぬ事をするほど、奴らも暇ではないだろう。それに、お前も知っているだろう?私は昇級なんかに興味は無い。私が望む事はただひとつ、"祖国の発展"のみだ。その為に私は死地へ向かい、敵を殲滅する。私がここにいるのに、それ以上の理由はいらない」
「等級が上がれば、前線へ赴く機会も無くなりますしね。経歴を偽った理由もそれですか?下手に等級が上がらないよう、敢えて戦果を低く書いた。私達は敵の陽動に徹しただけ、実際にトーチカを無力化したのも、軍港を潰したのも、要塞を制圧したのも全て貴方単独でしたよね、ヨロフスキ少尉」
少女は、最後のプディングの一欠片を掬って呑み込むと、色白の面に先程とは別の笑みを浮かべて、言った。
「『戦場では正確な情報など伝わらない』と、そう言ったろ?」
―――もう一度紹介しよう。彼女、オーゼン・ヨロフスキ少尉は、敵国のトーチカを一人で大破させ、軍港を守る兵士を一人で鏖殺、大国南方の中枢を担う要塞を一人で制圧した。後に彼女の踏んだ大国の地は、漏れなく共和国の一部となった。
字名は"愛国人形のオズ"である。
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