空より青いあの海へ

ありもしない、海を探す
佐座 浪
佐座 浪

第五話 凍る

公開日時: 2021年11月17日(水) 19:45
更新日時: 2022年6月24日(金) 23:02
文字数:2,945

 村を出てすぐに朝日が差し込み、降りしきっていた雨は止んだ。遠くから見て初めて分かったのだが、不思議な事に、雨雲が空を覆っていたのは村の上だけ。


 連なった雲が、夜明けの空を突き破りそうな程高く高く伸びている様は、いつまで見ていても飽きない、惹きつけられる光景だった。


「どうした?」

「ううん。大丈夫、大丈夫」

「……そうか」


 アトラスのその言葉で、自分の足が止まっている事に気がついた。無理についていくと言った以上、自分の都合で彼の旅を止める訳にはいかない。


 自分の好奇心にそっと蓋をして、歩を進める。隣に居るアトラスは相変わらず無表情で、怒っていないか不安になる。


 何か間を持たせられるような話をしたいのだが、いざ考えてみるとこれといった話題が思いつかない。


 聞いてみたい事が無い訳ではない。彼が旅をする目的や経緯は、是非聞いてみたい所ではある。


 ただ、それは決して好奇心で聞いていいものではない。だが、それとは別に聞いておかなければならないような気もする。


 そんな考えの間で右往左往している内に、何を聞いていいか分からなくなってしまったのだ。


「えっと……あの……うううう……そ、そうだ! 今ってさ、どこに向かってるの? まさか、当てもなく歩いてる訳じゃないでしょ?」


 結局行き着いたのは、これから向かう目的地を聞く事だった。


「……そうだな。お前にもこれを見せておくか」


 そう言ってアトラスは、朝日を反射して輝く、小さな円形の何かを取り出す。


「何これ?」

「まあ見ていろ——」

「え——?」


 何かが呟かれると、その円形の何かが淡く輝いた——かと思えば、暗く大きい何かが泥水のように溢れ出して、世界ごとそれに呑み込まれた。


 地面が消え、青空が消え、放り出されたそこに広がっていたのは、数多の星が揺らめく夜空。


「何……これ……!?」


 あまりに現実離れした光景に、もがくでも、地面を探すでもなく、ただただ驚く事しか出来なかった。


「我は希望。導きの光」

「——!」


 突如、夜を揺るがす声が響いたかと思えば、次の瞬間には全て元通りになっていて、目の前には神秘的な青い光の線で構成された、円形の地図のような物が浮かび上がっていた。


「——これの見方を教えておく。まず、この中心の赤い点が現在地、そして、この青い線が地形や建造物を表している」


 異常な光景だったが、アトラスの様子を見る限りでは、何も気にしていないようだった。


 彼の知識は広く、私の知らない事ばかり。隣に立つ者として、いつか追いついてみせる。


 気を取り直して、彼に言われた通りに目をやれば、赤い点を中心に広がる青い線は、目の前の景色をそのまま小さくしたのかと思える程、高さや距離、形までもを完璧に再現していた。


 再び好奇心に押され、隅々までそれを見通すと、建物と思わしき青い線が密集した場所が目に入った。


「ん……じゃあ、ここには建物があるって事?」

「そうだ、理解が早いな。そして、この配置だと、おそらくそこに村がある。村があれば、そこに情報があるかもしれない。ひとまずはそこを目指す」


 また同じように何かが呟かれると、青い線が空中で解け、淡い光を遺して消えた。そしてそれを仕舞うと同時に彼は歩き出し、私も続いた。


「それで、ここからどれくらいかかるの? 夕方くらいには着く?」

「安全に行くとなると……おそらくは二日程かかると思うが」

「二日!? 嘘でしょ!?」


 そう言ったものの正直信じたくは無かった。それが普通なのか、そう考えもしたが、まだそう思う事は出来なかった。


「残念ながら嘘ではない。先は長いからな。安全に、かつ丁寧に可能性を一つ一つ潰していくしか方法は無い。着いてみれば廃村だった、なんて事もあったが」

「あったが、じゃない! 結構大変な事でしょ、それ! そこまでして一体どうして旅なんて——あ」


 しくじった。あれ程躊躇っていた筈なのに、動揺した所為か、胸の奥底に沈めた筈の疑問を口から出してしまった。


 慌てて口を押さえるも、時既に遅し。隣を見れば、足を止めたアトラスの、澄んだ目が真っ直ぐにこちらを捉えていた。


 先程の比では無い程気まずかったが、この均衡を自分から破る事は出来そうになかった。


「——そうだな、後で時間が出来た時にでも話す。今は歩く時だ」

「う、うん」


 悠久にさえ思われる沈黙の後、アトラスは静かにそう言った。喉の奥から出かかった言葉は色々とあったものの、底の見えない、重く暗い何かに阻まれて、どうしてもそれ以上踏み込めなかった。


 再び歩き出した彼の隣に、遅れないように小走りで並ぶ。でも、どうにもこうにも彼を見る事が出来なくて、逃げるように空を見上げた。


 空高く浮かぶ雲達は、何も言わずに現れては消え、現れては消えを繰り返し、まるで今の自分を見ているような気分にさせる。


 かといって、慌てて視線を地上に戻しても、舞い上がっては消えていく砂埃が雲と同じように見えて、結局真下を見て歩くしかなくなってしまった。


「……待て」

「え?」


 しばらくはそうしていたのだが、アトラスの低い声が私の足を止めた。恐る恐る彼の方を見ると、彼は辺りを見回しながら、耳を澄ませていた。


「……今、何か聞こえた。右方向……地中か? 遠いが、段々とこちらに近づいている」

「どういう音?」

「何かが這いずっているような、妙な音だ」

「それって……!」


 知識や経験が豊富な訳では無いが、生まれてからずっとこの地で暮らしてきたのだ。その音の正体には覚えがある。


「アトラス! 足下に注意して! 多分それ、魔獣が地面の中を移動してる音だと思う!」


 この辺りには、地面の中を泳ぐように移動する魔獣が生息している。


 警戒心が強く、集団に襲いかかる事は少ないが、こんな風に少人数で村の外に出ようものなら、襲われる事も良くある。


 注意を怠っていた。ここも危険地帯。自分の身は、自分で守らなければならないというのに。


「ふむ、昨日言っていた奴か」

「……うん。ほら、あの土煙」


 魔獣が地中を移動する際に僅かに立つ土煙を、遠くで捉えた。奇襲を得意としている魔獣にはよくある事だが、戦闘を得意としていない。落ち着いて迎撃すれば、対処出来る。


 それにしても、なんて優れた耳をアトラスは持っているんだろう。その魔獣は非常に静かに地中を移動出来る。それをあの距離から察知するなんて事は、人間技とは到底思えない。


 それとも、これくらい出来ないと旅なんて——駄目だ。今はそんな事を考えている場合じゃない。頭を振って雑念を振り払い、腰に提げたナイフを手に取る。


 いくら身構えていても、地面から飛び出してくる瞬間を見落とせば、こちらがやられる。これ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。


「来るよ! アトラス!……アトラス?」

「少し……下がっていろ。あまり、動かない方がいい」


 確認の意味合いも込めてアトラスの方を向くと、彼は武器を手に取る事も無く、地面を注視していた。


 何をしているのか。そう聞き返す間も無く、鋭い輝きを放つ牙が大地を突き破った。


「っ!」


 反射的にナイフを振るってしまったものの、仕留めるには遅過ぎた。なら、防御に徹して反撃の隙を——


「——凍れ」


 ——その刹那に何が起きたのか、すぐには分からなかった。


 気づけば目の前には、全身を白く輝かせ、身動ぎ一つせずに固まったままの、魔獣の姿だけがあった。

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