日は高く、足取りは軽く。植物の数も減って、辺りはまた見慣れた景色に戻りつつあった。
「——そろそろ、休憩にするか」
アトラスの一声で、歩みが止まる。彼が渡してくれた食料を口にしながら、近くの岩に腰を降ろすと、息を切らしているメルの姿が目に入る。
「大丈夫ですか?」
「あー……うん、大丈夫!」
笑顔が濁っているように見える。少し、無理をしているのだろう。
「だから、隠すなって。荷物、持ってやるよ」
レジナルドの手を、メルが振り払う。
「だから、大丈夫だよ。これぐらい慣れなきゃ、皆に迷惑かけちゃう。躓きたくないから、持たせて
「分かったよ。無理すんなよ?」
「うん、ありがとう」
「……少し、良いか?」
声の方を向くと、アトラスが例の道具で地形を映し出していた。そういえば、目的地の話を聞く事になっていたのだった。
「なんだこれ?」
「魔法の道具、ですよね」
「そうだ。今は、地形を映しているとだけ理解してくれれば良い。目的地の話だ」
また、あの大きい建物のようなものが指差される。
「ここに向かう。ガレアから聞いた話と、俺が持っている情報を統合すると……これはかつてに作られた、五神教の活動拠点の一つだ」
「……ひょっとしてそれ、『眠らざる聖堂』ってやつの話か?」
「なんです、それ?」
耳慣れない面白そうな単語が、レジナルドの口から出てきた。
「村に伝わる、古い話だ。俺の村の成り立ちは知ってるか?」
「なんか……人を泊めるところだったんですよね?」
「そうだ。それで……村に泊まった後は皆、そこに向かってたらしい。随分と賑わってたって聞くが……どういう所かはさっぱり伝わってねぇ。残ってんのは、『眠らざる聖堂』って名前だけだ。どういう所だったか知ってんのか? アトラスさん」
「話してもいいが……何せ複雑だからな。実際に見ながらでないと、理解出来ないだろう」
「そうかい。せいぜい楽しみにしとくぜ」
アトラスはまた、地形に視線を戻す。指で建物までの道行をなぞり、戻し、またなぞっては戻す。何かを確認しているようだ。
「何してるの?」
「ただの演習だ。どうにも、この前の岩石地帯よりも高低差の激しい、複雑な地形のようでな。どの道を通るのが安全かつ一番早いか、考えている」
「それさ。どうやるか、教えてくれない?」
「知識に貪欲なのは良い事だが……今はまだ早い。まずは歩け。多くの道を乗り越えれば、基礎が経験として身体に染みつく。そうすれば、これの見え方も変わってくるだろう。そうなったら……また教えよう」
「えー……分かったよ。約束だからね? 絶対だからね?」
「約束は守る。必ずな」
アトラスの、無表情が崩れる。夢を語ってくれた時のような、決意に溢れた顔だった。
「——さて、そろそろ行くぞ。あまり長くは止まっていられないからな」
少しの時間を経て、再び歩き出す。太陽は真上よりやや傾き始め、一日の大体半分くらいが終わった所だろうか。
しばらくすると、アトラスの言った通りに起伏が増え始める。段々ときつくなる坂を登り、下る。
それを何度も繰り返している内に、足にじんわりとした痛みが広がってくる。
「……あっ!」
何かが擦れる音と共に、地面が近づいてくる。咄嗟に手をついたものの、膝から痛みを感じる。
岩に足を引っ掛けたのだろう。目をやれば案の定服が破れていて、僅かだったが出血していた。
「立てるか? ヴァルカ」
「んー……平気。これくらいなら全然——」
「ちょっとごめんね」
突然、メルが傷に手をかざす。昨日見たような緑の光が溢れ出たかと思うと、驚くべき事に出血がすっかり止まっていた。
「そんな事も出来るんですか!?」
「うん。魔法だけはさ、すっごく得意だから。もう痛くない? 大丈夫?」
「……はい。ありがとうございます」
「良かった!」
差し出された手を取り、立ち上がる。アトラスもそれを視認してからまた、歩き始めてくれた。
——本当はまた転ばないように、周りを警戒していなければいけないのだが、どうしても頭から離れてくれない事があった。メルの魔法を見て、不意に思ってしまった。
ずっと、ずっと危険なものなのだと聞かされていた、火の魔法。私の持つ魔法は、どんなものなのだろうかと。
あんな風に上手くは使えないだろうけれど、危ないのも分かっているけれど、もし使えたなら、夜を照らせたなら、どれだけ良いだろうか。
「——止まれ」
「うわっ……ごめ——」
アトラスが私の口を押さえ、口の前で人差し指を立てる。それから、無言で前を指差す。
音を立てないように慎重にそちらに目をやると、ずっと遠くの方に、一体の魔獣の姿が見える。
陽光を反射して煌めく白の体毛と、冷たく輝く牙。体躯は人より一回りも二回りも大きく、四本の足で悠然と大地を踏み締めている。
「あれとやり合うのは骨が折れる。迂回するぞ。こっちだ。あまり音を立てないように——」
——今、目が合った。果実のような鮮やかさと、鉱石のような危うさを備えた黄の瞳が、私という存在の芯の芯まで貫く。
なんて、なんて威圧感なのだろう。風の音が遠い。声を出そうにも、肺が膨らまない。まるで、時間の流れが遅くなったようだ。
瞬き程の悠久の中で、魔獣が口角を上げる。そして、何事も無かったかのように顔を逸らした。
「——行くぞ。しっかりしろ、ヴァルカ」
「あ……うん」
尖った岩の遮蔽物と高低差を利用しながら、アトラスの案内で道を行く。
言いたい事はあった。だがあの最後、魔獣には『見なかった事にするから、さっさと行け』と言われたような気がして、今は先を急ぐ事にした。
やがて、その場所が視認出来ないくらい遠く離れる頃には、日が沈みかけていた。
「……見つけた」
「どうしたの?」
「魔獣だ、近い。あれを狩って、夕食にしよう」
音も無く、目の前の魔獣が氷に貫かれた。相変わらずアトラスの魔法は、話に聞いていた印象そのままの、凄いものだ。
「魔法……!」
「今日はこの辺りで止まるぞ。これ以上は、安全を確保出来ないからな」
「……止まるのは賛成だけどよ、アトラスさん。そんなすぐには食えねぇよな。それ」
メルも、同じように頷いている。ようやく、二人に火を見せられる時がくるのだと、年甲斐も無く心を踊らせる。
「大丈夫です! 火がありますから!」
「うん……? ヴァルカちゃん、それってどういう——」
「見れば分かる。セントエルモ——」
意味が分からないといった顔をしている二人の前で、アトラスが火を灯してくれた。
夕闇が消えていって、夜のままに昼が来る。灯りが照るに連れて次第に、二人の表情が明るく変わっていく。
「綺麗……!」
「……そうか。これが……明るい夜って奴なのか。笑っちまうくらい綺麗だぜ、嬢ちゃん」
笑顔が、喜びが、心の底から湧き上がってくる。二人が火を綺麗だと言ってくれたのが、まるで自分の事のように嬉しかった。
「さて……さっさと焼くぞ。保存する分と今日食べる分に解体するから、少し手を貸してくれ」
「任せてくれ。こういうのは得意なんだ」
「あたしも手伝います!」
「私も!」
——火に照らされて、皆の楽しそうな顔がよく見える。今日の夜もまた、とっても楽しいものになりそうだった。
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