空より青いあの海へ

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佐座 浪
佐座 浪

第十五話 荒野を征く

公開日時: 2021年12月25日(土) 22:00
更新日時: 2022年6月24日(金) 23:09
文字数:2,880

 日は高く、足取りは軽く。植物の数も減って、辺りはまた見慣れた景色に戻りつつあった。


「——そろそろ、休憩にするか」


 アトラスの一声で、歩みが止まる。彼が渡してくれた食料を口にしながら、近くの岩に腰を降ろすと、息を切らしているメルの姿が目に入る。


「大丈夫ですか?」

「あー……うん、大丈夫!」


 笑顔が濁っているように見える。少し、無理をしているのだろう。


「だから、隠すなって。荷物、持ってやるよ」


 レジナルドの手を、メルが振り払う。


「だから、大丈夫だよ。これぐらい慣れなきゃ、皆に迷惑かけちゃう。躓きたくないから、持たせて

「分かったよ。無理すんなよ?」

「うん、ありがとう」

「……少し、良いか?」


 声の方を向くと、アトラスが例の道具で地形を映し出していた。そういえば、目的地の話を聞く事になっていたのだった。


「なんだこれ?」

「魔法の道具、ですよね」

「そうだ。今は、地形を映しているとだけ理解してくれれば良い。目的地の話だ」


 また、あの大きい建物のようなものが指差される。


「ここに向かう。ガレアから聞いた話と、俺が持っている情報を統合すると……これはかつてに作られた、五神教テラの活動拠点の一つだ」

「……ひょっとしてそれ、『眠らざる聖堂』ってやつの話か?」

「なんです、それ?」


 耳慣れない面白そうな単語が、レジナルドの口から出てきた。


「村に伝わる、古い話だ。俺の村の成り立ちは知ってるか?」

「なんか……人を泊めるところだったんですよね?」

「そうだ。それで……村に泊まった後は皆、そこに向かってたらしい。随分と賑わってたって聞くが……どういう所かはさっぱり伝わってねぇ。残ってんのは、『眠らざる聖堂』って名前だけだ。どういう所だったか知ってんのか? アトラスさん」

「話してもいいが……何せ複雑だからな。実際に見ながらでないと、理解出来ないだろう」

「そうかい。せいぜい楽しみにしとくぜ」


 アトラスはまた、地形に視線を戻す。指で建物までの道行をなぞり、戻し、またなぞっては戻す。何かを確認しているようだ。


「何してるの?」

「ただの演習だ。どうにも、この前の岩石地帯よりも高低差の激しい、複雑な地形のようでな。どの道を通るのが安全かつ一番早いか、考えている」

「それさ。どうやるか、教えてくれない?」

「知識に貪欲なのは良い事だが……今はまだ早い。まずは歩け。多くの道を乗り越えれば、基礎が経験として身体に染みつく。そうすれば、これの見え方も変わってくるだろう。そうなったら……また教えよう」

「えー……分かったよ。約束だからね? 絶対だからね?」

「約束は守る。必ずな」


 アトラスの、無表情が崩れる。夢を語ってくれた時のような、決意に溢れた顔だった。


「——さて、そろそろ行くぞ。あまり長くは止まっていられないからな」


 少しの時間を経て、再び歩き出す。太陽は真上よりやや傾き始め、一日の大体半分くらいが終わった所だろうか。


 しばらくすると、アトラスの言った通りに起伏が増え始める。段々ときつくなる坂を登り、下る。


 それを何度も繰り返している内に、足にじんわりとした痛みが広がってくる。


「……あっ!」


 何かが擦れる音と共に、地面が近づいてくる。咄嗟に手をついたものの、膝から痛みを感じる。


 岩に足を引っ掛けたのだろう。目をやれば案の定服が破れていて、僅かだったが出血していた。


「立てるか? ヴァルカ」

「んー……平気。これくらいなら全然——」

「ちょっとごめんね」


 突然、メルが傷に手をかざす。昨日見たような緑の光が溢れ出たかと思うと、驚くべき事に出血がすっかり止まっていた。


「そんな事も出来るんですか!?」

「うん。魔法だけはさ、すっごく得意だから。もう痛くない? 大丈夫?」

「……はい。ありがとうございます」

「良かった!」


 差し出された手を取り、立ち上がる。アトラスもそれを視認してからまた、歩き始めてくれた。


 ——本当はまた転ばないように、周りを警戒していなければいけないのだが、どうしても頭から離れてくれない事があった。メルの魔法を見て、不意に思ってしまった。


 ずっと、ずっと危険なものなのだと聞かされていた、火の魔法。私の持つ魔法は、どんなものなのだろうかと。


 あんな風に上手くは使えないだろうけれど、危ないのも分かっているけれど、もし使えたなら、夜を照らせたなら、どれだけ良いだろうか。

 

「——止まれ」

「うわっ……ごめ——」


 アトラスが私の口を押さえ、口の前で人差し指を立てる。それから、無言で前を指差す。


 音を立てないように慎重にそちらに目をやると、ずっと遠くの方に、一体の魔獣の姿が見える。


 陽光を反射して煌めく白の体毛と、冷たく輝く牙。体躯は人より一回りも二回りも大きく、四本の足で悠然と大地を踏み締めている。


「あれとやり合うのは骨が折れる。迂回するぞ。こっちだ。あまり音を立てないように——」


 ——今、目が合った。果実のような鮮やかさと、鉱石のような危うさを備えた黄の瞳が、私という存在の芯の芯まで貫く。


 なんて、なんて威圧感なのだろう。風の音が遠い。声を出そうにも、肺が膨らまない。まるで、時間の流れが遅くなったようだ。


 瞬き程の悠久の中で、魔獣が。そして、何事も無かったかのように顔を逸らした。


「——行くぞ。しっかりしろ、ヴァルカ」

「あ……うん」


 尖った岩の遮蔽物と高低差を利用しながら、アトラスの案内で道を行く。


 言いたい事はあった。だがあの最後、魔獣には『見なかった事にするから、さっさと行け』と言われたような気がして、今は先を急ぐ事にした。


 やがて、その場所が視認出来ないくらい遠く離れる頃には、日が沈みかけていた。


「……見つけた」

「どうしたの?」

「魔獣だ、近い。あれを狩って、夕食にしよう」


 音も無く、目の前の魔獣が氷に貫かれた。相変わらずアトラスの魔法は、話に聞いていた印象そのままの、凄いものだ。


「魔法……!」

「今日はこの辺りで止まるぞ。これ以上は、安全を確保出来ないからな」

「……止まるのは賛成だけどよ、アトラスさん。そんなすぐには食えねぇよな。それ」


 メルも、同じように頷いている。ようやく、二人に火を見せられる時がくるのだと、年甲斐も無く心を踊らせる。


「大丈夫です! 火がありますから!」

「うん……? ヴァルカちゃん、それってどういう——」

「見れば分かる。セントエルモ——」


 意味が分からないといった顔をしている二人の前で、アトラスが火を灯してくれた。

 

 夕闇が消えていって、夜のままに昼が来る。灯りが照るに連れて次第に、二人の表情が明るく変わっていく。


「綺麗……!」

「……そうか。これが……明るい夜って奴なのか。笑っちまうくらい綺麗だぜ、嬢ちゃん」


 笑顔が、喜びが、心の底から湧き上がってくる。二人が火を綺麗だと言ってくれたのが、まるで自分の事のように嬉しかった。


「さて……さっさと焼くぞ。保存する分と今日食べる分に解体するから、少し手を貸してくれ」

「任せてくれ。こういうのは得意なんだ」

「あたしも手伝います!」

「私も!」


 ——火に照らされて、皆の楽しそうな顔がよく見える。今日の夜もまた、とっても楽しいものになりそうだった。

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