空より青いあの海へ

ありもしない、海を探す
佐座 浪
佐座 浪

第十七話 遺跡

公開日時: 2022年6月27日(月) 21:00
文字数:2,503

 ——雫に起こされる前に、目を開く。


 分厚い雲に覆われた空と、端を照らす輝かんばかりの太陽の光。水を一口含んで、始まる支度。すっかり慣れた朝ではあるけれど、そうでないものもある。


「おはよう!」


 手を振って笑っている友達の姿を見るのは、初めてのこと。ただただ嬉しかったから、同じように飾らず笑って手を振り返す。


「おはようメルちゃん! 早いね」

「まあね。実を言うと……あたしもワクワクしちゃってさ。一人前でもなんでもない、足手まといが生意気かもしれないけど……」

「そんなこと絶対ないよ! 一緒に頑張って、楽しもう!?」

「うん! これも、ね?」


 右の手を押さえて、メルが片目を瞑る。秘密だからと目配せしてくれているのだろうけど、その仕草が可愛らしくてむしろ目立つ。


「……あ」


 後退るような足音がして振り返ると、レジナルドが信じられないようなものを見た顔で固まっていた。


「なに? どしたのレジー?」

「いや、なんか……急に距離が近ぇなって」

「そんなことないよ! 普通だよね?」

「うん。普通だよ」


 メルと顔を見合わせ、悪戯っぽく笑い合う。置いてけぼりにされた弟は、それはもう折れてしまいそうなくらいに思いっきり首を傾げた。


「……そうか? あー……そうか。そうなのか? まあ、姉貴が楽しいならそれでいいか……」

「ふふ!」

「——全員、起きてるな」


 凛としたアトラスの声で、空気が引き締まる。


「昨日も言った通り、目的地は眠らざる聖堂だ。距離はまだあるが、今日中に間違いなく着く」

「ねぇ、アトラス。その……聖堂ってのはさ、見れば分かるんだよね?」

「分かる。間違いなくな」

「……分かった。ありがとう」

「準備が出来次第、出るぞ。日暮れまでにはなんとしてでも辿り着かなければならないからな」


 ——そうしてまた、旅が始まる。今日はほんの少しだけ向かい風が強い。歩くには少し辛くて、さりげなく皆の様子を見てみる。


 メルはちょっと表情が硬いような気もするけど、歩けてる。レジナルドは、私の視線に気づいて笑ってくれるくらいには平気らしい。


 前を行くアトラスはと言うと、風なんて全く気にしないでしきりに周りを見ている。昨日みたいに魔獣を警戒しているのか、それとも別の何かを探しているのか。私には分からない。出来るのは歩くことだけ。


 そうして、気づけば昼過ぎ。また少し風が強くなって、たまに砂が目に入ってくる。景色自体は大して変わっていないが、たまに取り残された建物の残骸のようなものがあった。


「……見えたぞ」


 突然小さく、本当に小さくアトラスが呟く。


「えっ……と、どれ?」

「あれだ。目の前にあるだろう」


 指差す先には、地平線。強いて言うなら、遠くの方にうっすらと山が見えて——


「……おいおい、冗談だろ?」


 レジナルドの言葉が全てだった。広がるそれが、人の手で作られたものだと飲み込むのに随分と時間がかかってしまった。


 地平線と見紛うような、尋常でなく長く高い石壁。近づけば近づく程、目の前の光景に圧倒される。朝の空みたいに、輝いて見えるんだ。こんなにも汚れているのに、崩れているのに、目を奪われてしまう。


 元々、それはそれは綺麗なものだったんだろう。あまりに凄いものだから、いつもなら湧いてくる筈の疑問がちっとも浮かんでこない。


「あれって……活動拠点、なんですよね?」


 だから、メルの言葉もどこか違う世界のものに思えた。本当に違う世界に来たようだ。


「そうだ。あの中に都市……村のようなものがある。何が待っているか分からん。慎重に行くぞ」


 壁の切れ目が、もう目の前。息をちょっとだけ深く吸って、吐いた。


 まだ見惚れている自分、気をつけようと頑張る自分、中を早く見たいと思う自分——ぐちゃぐちゃだけど、全部本当の自分だ。どれも大切にして、捨てないように行きたいから。


「これが、五神教テラの学舎か——」


 そうして踏み出した一歩の先。あのアトラスが、驚いたように目を見開いている。深呼吸が効いたのか、それとも心が理解を諦めたのかは分からないが、私は妙に落ち着いていて、周りをしっかり見るだけの余裕があった。


 建物が、広がっている。真っすぐに線を通して、ずっとずっと遠くまで、どこまでもそれが続いていく。まるで物語に出てくる、入ったら二度と出て来られない迷宮のようだ。これが村のようなものだなんて、もういっそ笑えてくる。


 建物は壁と同じもので出来ているのか、やっぱり輝いて見える。高さだって作りだって違う。二階建てどころか見上げてしまうくらいの階があって、両手で指折り数えていってもまだまだ窓がある。


 あんなところに昔は人が住んでいたんだと思うと、不思議な気分になる。朝起きて、まずは水を飲み干す。それからすぐに階段を駆け上がって、あの一番上の窓から空の端を見れたなら、どれだけ気持ちの良いことだろうか。私にはもう想像もつかない。


「ねぇアトラス。ちょっと建物の中を見に行ってきても良い? すぐ戻るから」

「……駄目だ。どんな危険が残っているか分からん。ある程度探索して、情報を得てからだ」


 そう言ったアトラスは、地面を触っている。それで初めて気がついたけれど、今自分が立っているところにも、壁や建物と同じものが敷き詰められていた。


「……だよね、ごめん。気になっちゃって」

「とにかく行くぞ。あまり時間をかけ過ぎるのは良くない。日が暮れる前に終わると良いんだが……」

「どこに行くんです?」


 メルが尋ねると、アトラスは例の道具で地形を映し出して、ある一点を指差した。


「まずは、この中心にある建物に向かう。それで何一つ進展がなければ……その時はまた考える」

「……なあ、アトラスさん。歩くついでに、約束通り聞かせてくれ。眠らざる聖堂ってやつの話をよ。もう好奇心なんざ死んだと思ってたが、胸の中がうるさくって仕方がねぇんだ。頼むよ」


 うずうずして仕方ないといった様子のレジナルドに、アトラスが頷く。この話を聞く時間を、わくわくする心を共有出来る仲間が居るんだと分かって、嬉しくなる。


「ここは……そうだな。一言で言えば——魔法を学ぶ為の場だったんだそうだ」


 ——偶然か、それとも。昨日のことと重なる話題だったものだから、さらに強く胸が跳ねた。

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