空より青いあの海へ

ありもしない、海を探す
佐座 浪
佐座 浪

第十一話 甘いもの

公開日時: 2021年11月25日(木) 18:00
更新日時: 2022年6月24日(金) 23:06
文字数:3,016

 部屋に戻ると、そこには静寂が満ちていた。アトラスはまだ、戻ってきていない。


 大人しく待つのが今すべき事なのだろうが、味気の無い壁、乾いた空気、誰も居ない孤独——そして、吐きそうなくらいの、人の悪意。


 嫌な当たり前が次から次へと溢れ返ってきて、どうにもじっとしては居られなかった。


 また、水でも飲んで落ち着くべきだろうか。そんな事を考えていた時、静かな部屋に足音が届く。


 確証は無いが、おそらくアトラスのものだろう。


「——ヴァルカ、戻っているか?」

「おかえり!」


 扉を開けると、案の定彼がいた。その表情は相変わらず変化がなく、成果を判別する事は出来そうに無い。


「ただいま」

「それで、どうだった?」

「まあまあ、だな。あのガレアという長、相当な信頼を得ているらしい。詳しい事は伏せられていたにしろ、色々と話を聞く事が出来た」


 アトラスが荷物を床に下ろし、ベッドに座る。そして、大きく息を吐いて、頭に巻いていた布を外した。


 露わになった、メルの部屋の扉にも負けない、汚れ一つない真っ白な髪は、青い瞳と同じように、私の目にはとても綺麗なものに映る。


「とはいえ、お前に話せるようなものは何も無い。一応あの三人の事も尋ねては見たが、誰も彼もが仲の良い家族だ、と言うばかりで、それ以上は何も分からなかった。お前の方はどうだ?」

「あ、あのねアトラス。実は——」


 彼に、メルの部屋を訪ねた時の事を話す。元気そうな彼女の様子、彼女にして貰った話、そして——腕の痣の事も。


「ふむ……成る程な」

「どう、思う……?」


 顎に手を当てて思案するアトラスに、恐る恐る尋ねてみると、彼は静かに答えてくれた。


「お前の話を聞いた限りでは、何かある。いや、あったな。それは間違い無い。だが……」

「だが……?」


 一旦言葉を切り、アトラスが目を細める。


「これ以上、踏み込む事は出来ない。俺達は旅人で、彼らにとっては単なる部外者に過ぎないからな」


 その言葉に込められた意味が、分からない程愚かではない。


 私達は出会ったばかりの他所者で、明日が過ぎればもう二度と話す事も無い、赤の他人同士。


 踏み込む資格も無ければ、本当はああやって言葉をかける資格も、憶測でこうやって悩む資格すらも無い。


 そんな事は分かってる。分かってる、けれど——


「あまり、思い詰めるな」


 大きな手が、優しく私の頭を撫でる。きっとまた、そういう顔をしていたのだろう。


「でも、メルさんはきっと……」

「お前は別に、間違えた訳じゃない。そういう事だってある。それだけの事だ。その気持ちは、大切に心の奥にしまっておけ。いいな?」

「……うん」


 一応は納得して、頷いてはみたものの、やはりやり切れないものが心の内を這いずったままだった。


「——入っても良いだろうか?」


 そんな時鳴った、扉を叩く音。この威圧感のある低い声は、ガレアのものだろう。


「構わない」

「失礼する。夕食の支度が整った。こちらに来て貰えるだろうか?」

「行くぞ、ヴァルカ」

「うん」


 ガレアに案内された部屋には、元気になったメルとレジナルドの姿もあった。


「こちらに座ってくれ」

「えっと……失礼します」

「それで、これはなんだ?」


 席に着くなり、アトラスが尋ねる。視線の先にあるのは、真っ白い皿の上にいくつも置かれた、砂よりもずっと鮮やかな黄色を堪えた何か。


「この辺りに自生している、植物の果実だ。昔からこの村では、客人が来た時出す決まりになっている。もし食べられるかどうかの証明が必要と言うなら、今この場でやってみせるが……どうする?」


「勿論遠慮なんか要らねぇぜ? 身の潔白を証明する為に喜んで——」

「いや、いい。問題無いようだからな」

「……ちっ」


 口角を緩ませ、身を乗り出していたレジナルドが、小さく舌打ちをする。


 ふと右を見ると、メルも何処か緩んだ表情をしているのも目に入った。


 今まで見た事も無いものだが、これはそれ程までに美味しいものなのだろうか。


「なんか不安そうだけど……大丈夫だから、一口だけでも食べてごらん? きっと、忘れられない思い出になるよ!」


 メルの言葉が、決め手だった。自分でも笑ってしまうくらい単純だけれど、忘れられないなんて言われてしまったら、食べないなんて出来る訳ない。


 そうして一つ、皿の上のものを手に取る。果実というらしいそれは、少し濡れていて、硬いようで柔らかくて、温かいようで冷たい。


 顔に近づけてみると、撫でるような優しい匂いがする。目を瞑って、僅かに残っていた恐怖心を投げ捨てて、一口かじってみる。


「んっ——!?」


 思わず、残りも食べてしまった。口がキュッと縮んだかと思った次の瞬間には、生まれてから一度も味わった事の無い種類の優しい味が、身体中に染み込んでくる。


 なんて言えば良いのだろう。昨日の焼いた肉とはまた違った、自然と笑顔になってしまうような、そんな幸せの味。


「ね? 美味しいでしょ!?」

「はいっ! とっても!!」

「嬢ちゃんはこう言ってるが……あんたはどうだ?」


 メルと笑いあっている側で、自慢げにレジナルドがアトラスに尋ねている。気になってそちらを見ると、アトラスが目を丸くしていた。


「……驚いたな。果実は前にも食べた事があるが、これ程甘いものは初めて食べる」

「だろ? 俺らの自慢さ」

「あまい? ねぇ、アトラス。この味は、あまいって言うの?」

「そうだ。甘味と言うやつだな」


 聞いてみると、アトラスは首を縦に振った。この味は、甘いと言うらしい。また一つ、勉強になった。


「ほら、ヴァルカちゃん! まだまだあるから、遠慮なく食べて食べて!」

「あ、えっと……メルさんは、良いんですか?」

「え? いや、あたしは大丈夫! これは、お客さんに出すものだから……あたしが食べるのは……」


 慌てて、メルが手を振る。そうは言われても、私とアトラスだけがこれを食べるのは、気が引ける。


 でもきっと、彼女は首を縦には振らない。だから——


「そんな事言わずに、食べて下さい!」

「ま、待ってヴァルカちゃ……んぐぐっ!?」

「……なんと」


 メルの口に、強引に果実を押し込んだ。


「いきなりごめんなさい。どうしてもメルさんにも食べて欲しくて……」

「……んっ! はぁ……! ううん、謝らないで! すごく美味しかったよ! ありがとうヴァルカちゃん!!」


 突然、視界が真っ暗になる。それが抱きしめられたからだと分かったのは、やっとの事で埋もれた顔を上げた時だ。


「あ、あのっ……! メルさん!?」

「んふふ……今度はあたしが離さない! 離してあげないから!」

「あ、あの姉貴が……」

「全く……とんでもない客人がいたものだ」

「思いたったが……か。やれやれだな。さて、彼女は食べたが、お前達は食べないのか? 甘いぞ?」


 合わせてくれたのか、美味しそうに、そしてわざとらしく見せるように果実を食べるアトラス。


 呆気にとられていたガレアとレジナルドも、互いに顔を見合わせて、しぶしぶ果実を口にした。


「へへ……やっぱこれだよな。生きてるって感じがするぜ」

「久々だが、美味い。太陽の味がする」

「うぇ!? 太陽ってこんな味がするんですか!?」

「違ぇよ! んな訳ねぇだろ! 例えだよ、例え!」

「あ、そうなんですか……恥ずかしい……」

「顔を赤くしてるのも、可愛い!」


 ——一斉に、笑いが巻き起こった。皆が楽しそうで、とっても幸せそうだ。


 やっぱり豊かでも、そうでなくても、皆で食べ物を分けあって、話して、笑える食事の方がいい。


 また懐かしい、温かい腕の中で、私はぼんやりとそんな事を考えていた。

 お読み頂き、ありがとうございました!

 次話

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