空より青いあの海へ

ありもしない、海を探す
佐座 浪
佐座 浪

第一話 乾いた日常

公開日時: 2021年11月17日(水) 19:45
更新日時: 2022年6月24日(金) 23:00
文字数:3,343

 覗いて頂き、ありがとうございます!

 ——くだらない。なんて乾いていて、つまらない世界なのだろう。


 窓から嫌でも目に入る荒涼とした大地に、私——ヴァルカという存在は、また今日も毒を吐く。


 こんな世界、いっそ全部まっさらになって滅んでしまえば——などという、あまりに現実味の無い妄想を握り潰し、目の前に広がる、どうしようもない現実に向かう。


 いつのまにか押さえていた、右手の甲に浮かぶ忌まわしい刻印から手を離し、薄汚れて所々綻んでいる布を全身に纏う。


「……うん、大丈夫」


 それから顔が外から見える事を確認し、桶を片手に扉を押し開ける。


 焼け付くような日差しが目に飛び込むのと同時に、水気のない乾いた風が体の中を通り抜けて、張り付くような痛みが喉を襲った。


 いつもの事、生まれた時からなんら変わっていない事とは言え、この不快な感覚には思わず眉を顰めてしまう。


 昔はそれこそ、吐いて捨てるくらい水が溢れていたらしいが、最早大地にその頃の面影は無い。


 ずっと前に、水の魔力元素というものが極端に少なくなったのが原因らしいと、祖母に聞いた。


 物知りだった祖母は、その話の他にも、自然を司る精霊や、五元素の神霊を信仰する宗教というもの。そして、まだ栄えていた頃の世界の話をよくしてくれたのだが、小さかった頃も、大きくなった今でも、何の事だかさっぱり分からない話だらけ。


 振り返ってみれば、相当に貴重な話だったのは分かるのだが、祖母は当の昔に亡くなっている。もう二度と、その話を聞く事は叶わない。


 頭の片隅でそんな事を考えながら、真上に煌々と輝く太陽からの日差しの中を、ただひたすらに亡者のように進む。


 この世界の何よりも青い、雲ひとつ無い大空は、相も変わらず人間には容赦が無くて、布越しに身体をジリジリと焼いてくる。


 そして、乱雑に捨てられた墓石を横目に、ようやく辿り着いた水の配給を待つ列に並ぶ。


 どこからか、悪意のこもった視線を感じるのだが、それは努めて無視する。


「ほら、たっぷり入れたからこぼさねぇようにな。次は……なんだ、ヴァルカか」


 井戸番の男の、冷たい目線が突き刺さる。


「よろしくお願いします」


 ぞんざいに扱われても、悔しいとはもう思わない。人は、水が無ければ生きられないのだから。


「ほらよ。次がつっかえてるんだ。さっさと行きな」

「ありがとうございます」


 鬱陶しげな視線を浴びながら、半分程水が入った桶を受け取る。長居するのはあまり賢い選択とは言えず、素早くその場を立ち去る。

 

 列から離れ、来た道を真っ直ぐに歩く。もう少しで家へと辿り着ける事に、安堵しようとした時だった。


「——つぁ……!」


 視線を感じた直後に、額に強い衝撃を感じる。


 急な事でバランスを崩してしまったが、桶に入った水は無事で、傷の方も強い痛みが走ったものの、触った限りでは出血はないようだった。


「やべぇっ! 逃げろっ!」


 ゆっくりと視線を上げると、小さな男の子がそう叫んで逃げていくのが目に入った。


 反発する気力など当に失っている。増えた傷もそれ程深くなく、水が無事ならそれで良しとするべきだと、理性が全力で訴えかけてくる。


 だがそれでも、濁りの無い純粋な子供に真っ直ぐな悪意をぶつけられただけに、気分は暗く沈んだ。世界の理とはいえ、素知らぬ顔で右手にのうのうと佇む刻印に、恨みをぶつけずには居られない。


 ——大人になると右手の甲に浮かぶ、五元素の刻印。それは、その者がどの系統の魔法を使えるかを表すと同時に、村での位階を決定する。


 そして、私が持つ刻印は火。この世界で最も危険で重要度の低い、火の刻印。


 魔法といえば、物語にも出てくるような、どんな辛い状況だって覆してくれる、夢のようなもの。


 でも、魔法というものは衰退してしまったらしく、今この瞬間に人が使える魔法など、夢には程遠い、気休めの物でしかない。


 その筈なのに、水という抑えを失った火の魔法だけは、制御の利かない危険物になってしまった。


 小さい頃はきっとあの子と同じように、火の魔法を使えば村が滅ぶのだと、聞かされて育った。


 しかも、滅多に無い雨の日。普段よりずっと強い魔法が使える日でさえ、火の魔法の出番はない。


 出来る事と言えば、せいぜいが桶を持って走り回る事ぐらいだろう。


 だからこそ、火の刻印を持つ人間は蔑視される。まあ、蔑まれる程度で済むならマシかもしれないが。


 なんとか重い身体を引きずって木の扉を潜り、水の入った桶を慎重に床の端に置く。そして、コップで水を汲み、贅沢に飲み干した。


「はぁ…………」


 喉を伝う、心地の良い感覚。それで気が緩んだのか、額からの痛みと心労が込み上げて来て、大きな溜息がでた。


 そのままコップを元あった場所に戻し、また歩き出そうとしたところで、身体の力が抜けて地面に座り込んでしまいそうになる。


「駄目……まだ……」


 心が完全に折れてしまわないよう、胸に手を当てて、ゆっくりと息を吸う。


 そうすると、首からかけている、祖母がくれた小さなペンダントの感触が、少しずつ自分を取り戻してくれるのだ。


「……まだ、立てる。大丈夫、まだ、立てる」


 必死に自分にそう言い聞かせ、部屋の隅にかけてあるナイフを腰に差し、扉を開いた。


 また身体が動かなくなってしまう前に、村を少しばかり離れ、荒野に居るであろう獲物の姿を、目を凝らして探す。


 火の刻印を持つ女一人に回ってくる、配給の食料など高が知れている。自分で取りに行かなければ、餓死するのはほぼ確実だ。


 村の連中は外に食料を取りに行っても何も言わない代わりに、助けにくる事も無い。


 挙句に、あまり時間をかけていては大切な水や食料を盗まれる恐れすらある。出来るだけすぐに済ませなければ。


 多少の起伏があるだけのだだっ広い荒野を、塵一つ見逃さないよう、目を皿にして見渡す。


 あまり静かなその時間は、くうくう鳴る腹の音さえ、うるさく感じられる。


「——はぁ」


 ——こうして、命の気配が薄い荒野を一人で、なんの刺激も無いままに眺めていると、時々——いや、頻繁に思う事がある。


 私だって別に死にたい訳じゃない。命は両親が最期に遺してくれた大事な物だ。そんな事は痛い程分かっている。


 けれど、けれども。こんな世界で生きる事に意味があるのだろうかと、生きていたところで何も楽しくないと、どうしてもそんな事を考えてしまう。


 夢のある明日なんて、物語の中だけの事。毎日ただただ水を乞い、罵声に耐え、食料を貪って、必要とされないまま生きるだけ。そんな日々に、価値などあるのだろうか。


 私にはもう、何も無い。こうして考える心さえすぐに枯れて、物言わぬ何かに成り果てるだろう。それならいっそ——


「……ふふっ」


 ——なんて、ね。笑えるよ。命を絶つ度胸も無ければ、世界を変えるなんて大それた事も出来ない。私が進める道なんて、一つしかないというのに。


「……ん?」


 そんな時だった。荒野のずっと遠く、霞んで良く見えないくらい遠い所から、何かこちらに近づいてくるのが目に入った。


 砂漠にたむろしている魔獣かと思ったが、すぐに違う事が分かる。あれは人間、私と同じように布を身に纏い、二つの足で歩く人間。


 荒野を歩いている人間が居た事にも驚いたのだが、それよりさらに驚くべき事が、私の視線を釘付けにする。


 あの人間の頭上、何処までも青く青く広がる空に、いくつかの小さな雲が浮かんでいる。水の無いこの世界で、空に雲が浮かんでいる事は滅多にない。


 一歩進めば一つ雲が現れ、離れれば一つ消える。そんな光景に、まるであの人間が雲を引き連れて来たかのような、不思議な感覚を覚える。


 ——気づけば私は、導かれるようにその人間の方へと歩き始めていた。


 一歩、また一歩と近づくたびに、もう枯れ果てたと思っていた好奇心と、そうしなければならないような予感が溢れ出てきて、心の内で喧しいくらいに鳴り響く。


 背中を押され、その人間——いや、男がはっきりと視認出来るくらいの距離に辿り着いた時、こちらに気がついたのか、彼の瞳が私の目を真っ直ぐに射抜いた。


「あ——」


 ——私はこの時の事を、一生忘れられないだろう。


 青かった、透き通っていた。この世界の、何よりも。あの大空でさえ、くすんで見える程に。


 目が離せなかった。雄大で、不思議で、ちっぽけな自分という存在が、あの瞳に吸い込まれて、消えてしまいそうだった。

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