——そうして楽しい時間が過ぎて、夜も更ける。皆が寝静まって、空の雲が広がって来た頃に、私は一人起きていた。
火だけがゆらゆらと灯っていて、人影はもうない。あまり動いては彼が起きてしまうから、音を出さないように静かに身体を起こしている。
言うまでもなく、今は寝る時間。明日に備えてしっかりと睡眠を取らなければならない時だが、その前にやりたいことがあった。
自分の持つ火の刻印、火の魔法。ずっと恨んでさえいたけれど、火がああいうものだと知った今、この刻印は大切なものへと変わった。
これを使えれば、もっとアトラスの役に立てる。旅はきっと、楽になる。
それに、子供じみているかもしれないが、せっかく生まれ持った夢のような力があるのだから、一度くらいは使ってみたい。
ただ——そう意気込んではみたものの、何をしたらいいのか分からない。
何しろ生まれてから一度も使ったことが無いのだ。初めのとっかかりすら掴むことが出来ずにいた。
アトラスに相談するのが一番手っ取り早いのだろうが、背伸びをしている自覚はある。きっと、止められてしまう。
だからこそこうして一人で練習をしていたのだが、かれこれかなりの時間を無駄にしてしまっている。諦めが悪いのが取り柄だが、いい加減心が折れそうになってきた。
「——何、してるの?」
「わっ——」
叫ぶ寸前に慌てて口を塞ぐ。音をあまり立てないようにゆっくりと振り向くと、そこに居たのはメルだった。
慌てふためく寸前の頭で答えを考えていると、メルは黙って少し遠くの方を指差した。どうやら、察してくれたらしい。
そうして、音を立てないようにすぐ近くの岩陰に移動する。火の明るさが遠ざかって、見知った月の灯りが辺りを満たした時にようやく、口から手を話す事が出来た。
「ぷはぁ……! すみません……起こしちゃいましたよね?」
「ううん。あたし、昔から眠りが浅くてさ。それで寝れなかっただけ。ヴァルカちゃんのせいじゃないよ」
「そうですか。ならよかっ……いや、よくはないのかも——」
おそらく、眠れないのは体質のせいだろう。こういう時は、なんて言葉をかければ良いのだろうか。
「——偉いね」
「あ……」
突然に頭を優しく撫でられて、息が詰まる。微かに見える笑顔が、頭に並べていた言葉を消していく。
「でも、あたしに気なんか使わないでいいよ。もっと遠慮なく、気楽に過ごしてほしい」
「気をつかってる訳じゃ……」
ない、とは口が裂けても言えない。咄嗟に人の機嫌を伺ってしまうのは、昔から染み付いている癖のようなものだからだ。
「んー……じゃあ、こうしよう! あたし達、今から友達になろうよ」
「……友達?」
「そう! 話したり、笑ったり、喧嘩したりするあの友達! 駄目かな?」
——友達。とても、良い響きだった。これに浸っていられるなら、あの時みたいに一歩を踏み出せるかもしれないと、そう思えた。
「私なんかで——えっと、私で良ければ!」
「じゃあ決まり! よろしくね、あたしの初めての友達!」
「よろしく! メル……ちゃん?」
「そうそう! そんな感じ!」
メルの笑顔が、近くなったように感じる。アトラスといる時みたいに、自然な自分で居れているのが分かる。
村に居た頃は望むべくもなかった宝物がまた、増えたような気がした。
「それで……なんだけどさ。ヴァルカちゃんは、何してたの?」
「あー……魔法の練習。メルちゃんの魔法を見て、私も使えるようになりたいなって思って。皆の役に立てるし、生まれてから一回も使ったことなかったから」
「そっか! じゃあ、あたしの分かる限りのことを教えるよ」
「ありがとう! あ、でも……私本当に初めての魔法だから、なにも分からなくて怒らせちゃうかも……」
素直に言うと、メルは首を横に振った。
「大丈夫、大丈夫! あたしだってヴァルカちゃんと一緒だから! 何にも出来ないところから始めて……眠れない夜に一人で練習したりなんかして……それで大失敗してさ!」
「そうなんだ! てっきり……使える人は最初からそんな感じなのかと思ってたから、ちょっと安心した」
「まさか! でも出来るようになるまで絶対に付き合うから、頑張っていこう!」
「うん!」
その言葉が、一人で彷徨っていた自分にはとても頼もしかった。
「さて。じゃあ早速やっていくけど……魔法って結構ふわふわしたものだと思ってるんだよね。なんて言うんだろうな……これがこうだからこう! って訳じゃなくて、想像が大事? みたいな」
「でも、アトラスは何か呟いてたんだよ。それは大切じゃないの?」
「言葉は、人によるらしいよ。あたし達にも分かる言葉で想像を強めてる人もいれば、想像した結果、湧き上がってきたよく分からない言葉を発してる人もいる。あたしが聞いた限りは、そんな感じだった」
「ふーん……じゃあ、私は火を想像してみれば良いのかな?」
「もっと動きがあった方がいいかもね。例えば、手の上に火が乗ってる、みたいな光景を思い浮かべてみるとかいいんじゃないかな? まあやってみないと分かんないから、取り敢えずやってみよう! ほら、ゆっくり目を閉じて——」
そうして促されるままに目を閉じて、火のことを思い浮かべてみる。
今さっきまで目の前にあった灯り。明るくて、温かくて、とても綺麗なそれが、手の中にあるのだと想像してみる。
「思い浮かべた? そうしたら次は、意識を少しだけ右手の刻印に向けてみて」
メルの言葉通りに、右手の刻印を思い浮かべる。すると、今までに感じたことのない奇妙な何かが、まるで水のように身体中から湧き上がってくる。
「そのまま……そのまま。ゆっくり目を開いて、さっきと同じように、火を思い浮かべてみて」
身体が少しずつ、熱くなっている。手の平に、身体湧き上がってきたものが集まっていって——
「あ……」
身体が膝から崩れ落ちる。湧き上がっていたものが力と一緒に抜けていって、空へと消えていくのが分かる。
「大丈夫?」
「……なんとか」
メルに支えられて、なんとか立ち上がった。何が起きたかは分からなかったけれど、失敗したことだけははっきりと分かる。
「あはは……ごめん。駄目だったみたい」
「そんなことない! 初めてならむしろ、良くできてると思う。あたしの時よりずっといい感じだよ」
「本当に? じゃあもう一回……は、そろそろ厳しそうかな」
もう、大分時間が立っている。これ以上はアトラスを起こしてしまうかもしれないし、明日にも差し支えるだろう。
「そうだね。そろそろ戻って寝よっか。明日も早いだろうし……焦っても良いことはないからね。ゆっくりゆっくり、一つずつ覚えていこう!」
「そうする。あ、そうだ。この練習の事は——」
「二人だけの秘密、だよね?」
「うん、ありがとう! じゃあ……おやすみ」
「おやすみ! また明日ね」
また音を立てないように火の側に戻って、身体を横たえる。生まれて初めての友達と作ったささやかな秘密を胸に、目を閉じる。
——薄れていく景色の中で最後に目に入ったのは、素知らぬ顔で空に佇む、丸い丸い月の影だった。
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