一九八七年、九月二日、十五時四十五分。武蔵市第六地区、武蔵第六中学校玄関前にて。
帰りのあいさつを終えた生徒たちが、灰色の校舎から帰路へ発つ。半袖シャツも黒いズボンもつんつるてんに着こなす男子、半袖シャツはピッタリなくせにズボンはやけに長くしている男子、重たい鞄に背中を丸める小柄な男子、男子、男子、男子――。
いや、男子はもういいんだよ。お目当てなのは、そう、女子である。白いセーラーからちらっとお腹を覗かせるふわふわヘアーの女子、ポニーテールの女子、肩ほどまで長いウェーブのかかった女子、女子、女子、女子……!
そして、長めのセーラー、鎖骨まで伸びたまっすぐな髪、ふわっと巻いた前髪の女子が二人!
玄関外のコンクリート階段に大股開きでしゃがみこむ、ボンタンズボンの不良三人。その真ん中の金髪が、「おっ」と跳ねて立ち上がった。
「ショーコちゃーん! マリコちゃーん! イエーイ! 今日もカワイーぜー! じゃーなー!」
肩を跳ねさせ振り向く少女たちに、金髪の不良は中指を赤く輝かせながら、ぶんぶん大きく右手を振った。少女たちは顔を見合わせてから、少しだけにこっとはにかんで、恥ずかしそうにぱたぱた駆けていった。
「さっすが光の兄貴! 伊達男! 絶対あれは兄貴にホの字っすよ!」
「で、つまるところ、兄貴はどっちが好みなんすか!」
「うーん」と髪を掻き上げながら、同い年の弟分たちの真ん中に、光がどすっと腰かける。首からかけた三重のチェーンネックレスがこすれ合い、チャリッと鳴った。
「どっちも見た目は合格点なんだけどよぉ、いまひとつ元気がねぇよなぁ。しとやかなのも悪くねぇけど、やっぱ話してて楽しい方がいいっしょ。っつーわけで、保留! お前らこそ、どの女子に目星つけるか、そろそろはっきりしろよな? ほら、あのバレー部にいそうな女子と、ショーコちゃんだったらどっちがいいよ?」
「んー! 俺はショーコさんっすね! 小柄な人って愛くるしいじゃないっすか!」
「俺はどっちかってーと、あのバレー部女子がいいっすね! 体育会系がいいっつーより、背ぇ高くて大人っぽいのが好みっす!」
「おお、絞られてきたじゃん! じゃ、あの女子と……」
指をさそうとしたところで、正門からひ弱そうな少年が「兄貴―!」と叫んで走ってきた。季節外れの手袋をはめた両手には、四本のコーラ缶がぎちぎちに握られている。
「お、パイセン! どーしたんっすか!」
「喉渇いたと思って、買ってきたんっす! この後稽古だし、ささ、飲んでください!」
「うわ、ほんとパイセンっていい人っすね! いくらっすか? 百円?」
「そんなん、いいっすよ! 僕の気持ちっすから!」
「何言ってんすか! ほら! 受け取ってくださいよ!」
パイセンは一向に受け取らない。ズボンのポケットにねじ込もうと、三人がわっと手を伸ばす。パイセンは腰を引き、くねくね逃げる。
ガラの悪い巻き舌言葉が飛び交う、やさしい攻防が続いた、その時。
金髪の脳天に、ガシャンと一発、竹刀がぶち当たった。首をもたげて後ろを見ると、角刈りのジャージ男が仁王立ちで光を睨み下ろしていた。武蔵六中きっての鬼教師、生徒指導の山本である。
「あぁ? またお前かよ。俺たちのコト好きだな、ほんっと……」
「ふざけるな! とっとと去れ、このゴロツキども!」
ブンッ! 再び竹刀が振り下ろされる。弟分三人が「兄貴ッ」と目を見張ったが、光は見事、右手ひとつで受け止めた。互いにぐっと力を込めるも、光は余裕でニヤッと笑う。山本は悔しそうに鼻にしわを寄せた。
「この、鬼人め……! 生意気な……!」
光がパッと手を離すと、山本は足下をもたつかせた。そして、後ろに二歩下がると、負け犬の遠吠えで一言。
「いいか! 今日の課題テストで数学満点取らなかったら、その鳥頭、坊主にする約束だったんだからな! バリカン、用意して待ってるからな……! 明日、覚悟しとけよ!」
「あぁ? そんな約束、したか? 俺、鳥頭だから覚えてねーなぁ?」
髪を掻き上げ、ピアスだらけの耳を見せ、光はまた、ニヤリと笑った。山本は顔を真っ赤にして、「帰れ帰れ! このゴロツキの鬼人どもめ! 武蔵六中の恥! 腐ったミカン! 帰れー!」と、ブンブン竹刀を振りまくる。光は「うるせぇなぁ。分かったよ!」と腰を上げ、弟分と肩を組み、軽い足取りで正門を出た。
山本は話が通じない。鬼教師とあだ名されるが、本当に暴れることしか能のない、鬼そのもののようである。竹刀はそんな風に乱暴に使うものじゃない。そもそも剣先を床につけてはならない。道具に対して礼儀を示し、丁寧に扱いやがれ! それに、鬼人は光とパイセンだけ。あとの二人は鬼人ではない。三人とも、鬼人でありながら自由に楽しく生きる光に憧れ、影宮陰陽道場に通うようになったいいダチ公だ。彼らは「弟分」と言っているが、光にとっては同じ道場で切磋琢磨する「仲間」なのである。何べん説いても、山本は全く理解しない。本当に、困ったやつだ……。
四人はぶうぶう文句をたれつつ、影宮神社へ歩んでいった。
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