陰陽醒戦ブライトネス!

-戦鬼伝×陰陽道外伝-
鈴奈
鈴奈

公開日時: 2021年6月4日(金) 20:00
文字数:4,726

すっと襖を細く開くと、光が畳に寝っ転がって、くちゃくちゃガムを噛みながら漫画を読んで笑っていた。

「ひかっちゃん。ひかっちゃん……」と小声で呼んで、三回目。ようやく光は襖の奥の眼球に気が付き、「ぎゃッ」とビックリ跳びはねた。

「ンだよ、遥かよ! 人の部屋、勝手に開けんじゃねぇ!」

 遥は開けるどころか普通にするりと入ってきて、

「いいじゃん別に、ひかっちゃんなんだから」

 と頬を膨らませた。

「っつもいっつもなめやがって。しめられてぇのか、アァ?」

 バシッと漫画を叩きつける。くちゃくちゃガムを噛みながら、遥の顔に、しわの寄った額を近づける。何年経っても未だ抜けない、不良の威嚇の仕方である。

しかし遥はみぞおちにがつんとこぶしを打ち込み、畳にごろんとすっ転ばせた。

「ぐっふぉ! ってぇな、この野郎!」

噛みつくように起き上がると、遥は手提げ鞄で口元を隠し、キッと睨みつけていた。

どうしようもなくなって、光は耳元の髪を掻き上げ、ハッと息を吐き捨てた。

「で? 言えたかよ」

「言えたけど……でも、ひかっちゃんに考えてもらった言葉のとおりに言えなかった……。毎日、ペチカと練習したのに……」

「言葉なんてなんでもいんだよ。伝えてぇこと、きちんと伝えられたか」

「それは……伝えられたと、思う……」

「返事は? あいつ、何だって?」

「ひかっちゃんの言った通り、返事はすぐじゃなくていいから考えてって言ったの。そしたら、考えてくれるって……」

「おう、やったじゃん。まずは第一歩だな。おつかれさん」

 光が、遥の頭をがしっと掴み、軽く揺らした。聡一郎が褒めてくれる時と、同じように。

遥はむっと目を細めて、カチューシャを整え、髪を軽く手ですいた。

「まあ、あとはよ。髪伸ばしながら、気長に待てよ。あいつ腰くらいまで長ぇのがいいらしいぜ」

「腰っ? あたし、横にばっかふくらんで、全然伸びないのに! このくらい伸ばすのにだって一年かかったんだよ? 何十年かかることか……」

「別に腰まで伸びきんなくたって、とりあえず伸ばしとけ。髪伸ばして女らしくなりゃ、好きになってもらえっかもしんねぇだろ? ま、とりあえず、きちんと考えるようにそれとなく言っといてやるよ」

 くちゃくちゃと、味のしないガムを練る。薄く伸ばして舌にかぶせ、ふうっと吹き込むと、見事に大きな風船が、ゆったり、ぷうっと膨らんだ。こちらの気持ちも知らずに、まったく暢気なことである。遥の尖った唇が、ゆっくり、微笑みに変わった。

「……ありがとね、ひかっちゃん。色々、相談のってくれたりとか、こうちゃんの好きなタイプ聞き出してくれたりとか、背中押してくれたりとか」

光はガムを引っ込め、「おう」と応えた。

ガサゴソ。遥が手提げ袋の中から紙袋を取り出し、光の目の前に「はい」と差し出した。

封を開いて逆さにすると、アルミカップに固められ、虹色のハートの飾りが埋め込まれたチョコレートが三つ、光の手のひらの上に転がってきた。

「お礼。義理チョコ。セッちゃんに教えてもらいながらやったから、味は大丈夫だよ」

「へぇ。あ、その服もセツカ?」

「うん。セッちゃんが選んでくれた」

「あいつ、すげぇな。バコにも衣装だわ。あ、似合ってるってことな」

「知ってるもん……」

「バコ」ではなく、「馬子まご」。そして、誉め言葉ではなく、けなし言葉であることを、彼らはまだ知らないのであった。

 光は、手のひらの上でしばらくそれらを転がせると、口の中のガムをティッシュに丸めてポイッとした。そして、一番ごってりハートが埋め込まれたチョコレートをつまむと、アルミカップをぺろりと剥き、口の中に放り込んだ。やけに硬いハートたちを嚙み砕くと、チョコの甘さと砂糖の甘さが二重になって絡まり合う。

「おう、うめぇじゃん。ありがとな」

 遥は「うん」とうなずいた。もぐもぐと、チョコが溶ける音がする。

 じっと見ているのもおかしくて、遥はなんとなく、光の部屋を見渡した。

 風貌は不良らしいくせに、遥の部屋より、綺麗に片付いている。右の壁側にたくさんの漫画本が収まる本棚と、その脇に小さなラジカセと、石油ストーブが置いてある。正面の窓枠には、何枚もの服が吊り下がっている。いつも着ているものも、見たことないものも、夏服も冬服も、学ランもかかっていた。その下に、学生鞄と、小さな棚が置いてある。その上には丸い鏡。周りにはネックレスやらピアスやらが、割と雑多に置かれていた。

 いつも遊びにいくクラスのちーちゃん、なおちゃんの部屋とは違うな。匂いも。廊下とか居間とかはこうちゃんの匂いがしたのに、ここだけひかっちゃんのお陽さまの匂いでいっぱい……。

 これが、男の子の部屋なんだな……と、遥は思った。

 光が三つ目のチョコを口に放り、ガリガリ、ごっくんと音を鳴らした。

「ごちそーさんでした! つーかお前、なんつって抜けてきたわけ? トイレ? よろっと戻れば? なげぇウンコだなって思われるぜ?」

「違うもん、きったないなぁ! ほんと、ひかっちゃんって、お下品でいや! 三月の卒業旅行の計画立てようって流れになったから、ひかっちゃん呼んでくるって言って抜けてきたの!」

「はぁん? じゃ、よろっと行こうぜ。あいつももう落ち着いただろ」

「えっ、ちょっと待って! 下に行くの、ちょっと気まずい……」

「気まずいったってよぉ。あんまし、男の部屋に長居するもんじゃねぇぞ?」

しょんぼり肩を落としていた遥は、たちまち、は? と顔をひきつらせた。オトコ?

「オトコって……はっ、男? ひかっちゃんなんて、ただの犬だし!」

「あーそうかよ」

 つまらなそうに、ころん、と右に寝そべった―かと思うと、ニヤリ! 光の人差し指が、遥のスカートのふりふりを、ぺろっとめくった! 遥は蛙が潰れたような声で「ンギャッ!」と鳴くと、ぴょんと飛び跳ね、立ち上がった。般若の顔をみるみる赤くし、頬をぷるぷる震わせ、「フヌーッ!」と珍獣的に鳴く。やばい、と思うも時すでに遅し。

 遥の体が素早く回転し、鋭い爪先が、光のみぞおちにクリティカルヒットした! その間、約〇.五秒。光の体は吹き飛んで、押し入れの襖に背中を打ちつけ転がったが、これだけで終わるはずがない。遥は間髪入れずに蹴りの連打を入れまくる。爪先で、足裏で、ガツンガツンに蹴りまくる!


「って! ま! やめ! ちょ! 死ぬ! おま! やめ! ゴフッ!」


体が丸く、蚕になっても、容赦はしない。


「サイテー! サイテー! サイテー! サイテー! ほんと! 信じ! らんない! サイテー! サイッテー!」


会心の一撃が再び、みぞおちにきまる! 光はぐったり、力を失った……。

 ちょっとふざけただけだろ! お前のがきんちょパンツなんか、誰が見たいと思うかよ! っつーか蹴られてる時、普通に見えてたっつーの! 白地にピンクのハート柄……。

 そう言ってやろうと思ったが、意気消沈、もうやめた。ここ数年、殴られまくって鍛えられ、みぞおちの痛みはすぐに回復するものの、急所が二回も蹴られて、無理、それどころじゃない。もう、死ぬ。

 遥はスカートの上に鞄をおいてがっちりガードし、光のつむじ側、手の届かない距離に膝をついた。般若の顔、警戒の眼光で、睨み込んでくる。

いつも通りに戻って、ま、よかったか。

 光はなんとか、腕に頬をもたげ、遥を見上げた。

「まぁ、よ。気まずいのは分かっけど、普通にしろよ? ぎくしゃくすんの、嫌だろ?」

「あぁ、うん……。そう、だね。分かった。頑張る」

「おう、頑張りやがれ。考える期間なんだったら、それこそ、いつも通りのお前を見てもらわねぇとだしな。いつも通りにすんのが難しいなら、とりあえず笑っとけ。そしたらお前っぽくなっから」

遥はちょっときょとんとしてから、にこっと笑みを浮かべた。

「ま、そうだよね! 好きになってもらわなきゃだもん。がんばんなきゃ! よーし、やるぞっ!ほんと、ありがとね。ひかっちゃん!」

「おう。んじゃ、お礼」

へら、と差し伸べられた手のひらを、呆れたように見下ろして、ハァ。遥は、手提げ鞄の奥から、トランプほどの大きさの、小さな紙包みを取り出した。

「はい」

思わぬ二つ目のご褒美に驚き、光はすくっと体を起こした。胡坐をかいて封を開けると、真っ赤なアメピンが十本出てきた。台紙に挟まり、かっちり綺麗に整列している。

「誕生日プレゼント。ひかっちゃん、いつも髪の毛掻き上げるでしょ。邪魔なのかなって思って」

「そんなことしてっか、俺? あ、してっかも。よく見てんな、お前」

「は! 別に、見てないもん! ひかっちゃんなんて、アウトオブガンチューなんだから!」

 遥の真っ赤な罵声を右から左にサッと流し、光はるんるん、ピンを一本引き抜いた。だが、まずからに、どう持ったらいいのか分からない。右手でピンの上側を、左手で下側をつまんでしまうと、挟めたい髪の束が逃げていってしまって、うまくいかない。首を傾げてばかりの光に、遥は「違う違う!」と首を振る。

「こう、上の方だけ、利き手の指で挟むの。そう。あと、もうちょっと髪の根元から……あ、そうじゃないって! ちょっと貸して!」

 膝をこすって近寄って、光の指からピンを奪う。この頃よくセツカの髪で遊ぶので、手慣れたものだ。「痛い、汚い、ヘタクソ」と、さっさともぎ取られてしまうけれど……。

光の右側の髪に、指を伸ばす。熱い体温が、指紋の上に広がる。金色の髪の根元が、くっきりと、瞳に映る。

思わず、ドキッと指が跳ねた。でも、ここで急にやめてしまったら、変に思われてしまう……。

トクトクと速い鼓動を聞きながら、呼吸を潜めて、遥は、続けた。金色の髪を、少し撫でて、上げる。短い髪がこぼれないように押さえながら、ピンの下側を、根本に挿して、ぐっと入れ込む。かっちりと、邪魔そうなところが固まった。ふと目を落とすと、傷だらけの耳が、映った。ぞくりと、心臓が凍る。自分の踏み込めない高い壁が目の前に聳え立ったような―。

 

この人は、違う。この人じゃ――この人じゃ、ない……!

 

遥はびくっと指を離した。どうしてそんな言葉が浮かんだのだろう。あまりに驚き、息を呑む。

そんな遥に気付くことなく、光は赤いピンを軽く撫で、「おお!」と軽く納得した。

「分かった分かった。こうな?」

 やり方が分かって、楽しくなってきたのだろうか。次から次へと右側ばかりにピンを挿し込む。十本全部挿し込んだところで、光は、「イエーイ」と、鏡の前まで転がった。しかし、鏡に映った自分を、目を細めてじぃっと見ると……。

「だっせぇ!」

十本全部、バラバラの方向に挿されているのだから、当たり前である。

「……もう。やらせて」

 遥は再び光の右脇に膝をついた。ふう、と深い息を吐く。

ピンを全部外し、さっきと同じように、一本目を挿す。少し上のほつれるところに、もう一本。これで十分そうだけれど、ハの字になって、見た目が悪い。耳に近い方のピンに、飾りでもう一本、ピンを重ねてバッテンをつくる。これで、どうだろう。

一緒に鏡を覗き込むと、胸の奥が、きゅっとした。すっきりしてるし、なんか、可愛い……。

いやいや、ひかっちゃんに可愛いって思うなんて、どうかしてる!

「ありがとな」

 鏡の中で、光が、笑みをつくった。遥はまた、胸の奥がきゅっとした。

「お前ってなんか、母親って感じだよな。将来、いい母親になるんじゃね? おふくろさんみたいな」

 最後の一言で、トドのような姿が浮かぶ。なんだか、素直に喜べない……。


でも、そうか。母親か。


自分も、光を子どものように見ているのかもしれない。年上だけど。

だから可愛いと思ったり、つい気にかけたりしてしまうのかもしれない。

そうだ、きっとそういう気持ちだったんだ。今までのドキドキも、全部……。

 なんだか遥はしっくりとして、それでも少し、さみしく笑った。

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