時間が無限に続くなら、ずっとこうして見ていたかった。
しかし、だんだん体が冷えてきて、二人は居間に戻ることにした。
廊下を歩きながら、幸輝はどうしてうちに来たのか尋ねた。遥は、セツカの腕に巻かれた封印の腕輪を解いてもらうため、聡一郎に交渉しにきた昭治についてきたのだと答えた。あの腕輪は、聡一郎が力を施したので、聡一郎にしか外せない。今までも何度か電話で頼んだこともあったらしいが、聡一郎は一向に首を縦に振らなかった。
「じゃあ、お父さんと昭治先生とセッちゃんの話し合いが終わるまで、はるちゃんは待たなきゃなんだね。なら、せっかくだから、三月の卒業旅行の計画、立てない?」
「うん」とうなずいて、幸輝の背中を見つめる。
遥は、なんだかまた、だんだんとドキドキしてきた。
実は、遥がここにきたのは、全く別の理由があった。
バレンタインチョコを渡すため。否。バレンタインチョコを渡して告白をするためである。
言葉はしっかり考えてきた。三日間、毎日寝る前に、ペチカで何度も練習したし、服も今日のために新調した。チョコレートも完璧だ。
――なのに! いざ第一声を出そうとすると、緊張で体が動かない! 手足の指先が凍りそうなほどじんじんと冷たいのに、汗ばっかり全身からバクバク出てくる。見える景色がいつもより暗い気がして、頭がうまく働かない。それなのに時間が勝手に自分の両耳の脇をさーっと流れていくから、焦りが積もり積もっていく! 早く言わないと、三人の話し合いが終わってしまうかもしれないのに! このまま渡せないのも、言えないのも、きっと、すごく後悔する。
だから、だから、だから―!
遥は、ぴたりと足を止めた。
幸輝は、振り返った。がくがく震えて、手提げ鞄の紐をぎゅーっと握りしめる遥。その顔は何故だか真っ赤で、涙がにじんでいるように見える。
「どうしたの? トイレ行く?」
能天気な阿呆発言にも、笑えない。遥は、ぷるぷると首を振った。やっと、「ちがうの……」と声が出た。そのまま、遥は勢いで、手提げ鞄から赤い箱を取り出した。幸輝の目を見上げられないまま、箱をまっすぐ、突きつける。箱の角が勢いよくみぞおちに突き刺さり、幸輝は「ぐうぇっ」と鳴いてふらついた。
「これ! チョコ!」
「チョコ? あ、もしかして、バレンタイン?」
「うん。セッちゃんとつくって、それで……」
「もらっていいの?」
「うん……」
「ありがとう! へぇ、チョコってつくれるんだ」
「うん……」
あっさり受け取り、踵を返そうとする幸輝。
――だめ! 言えないで終わっちゃうなんて、そんなの、だめ……!
自分の努力だけじゃない。協力してくれた皆の力も、全部無駄になってしまう!
言わなきゃ、言わなきゃ、言わなきゃ……。
言わなきゃ!
「ちがうの! それ……本命チョコなの!」
ああ、言っちゃった!
幸輝は目を丸くした。「どういうこと?」みたいな顔で。
遥は目を上げることができなかった。視界がぶれぶれして、自分がどこを見ているかも分からない。自分の声だって、遠くで聞こえる。それなのに、自分の唇が勝手に話を続けていく!
「あの、だから、あたし……こうちゃんのことが好きで、はじめて会った時から……好きだったの!もうすぐ中学生になるから、あたし、伝えたくて。こうちゃんの行く中学校、おっきい学校でしょ。可愛い女の子もたくさんいるだろうし、でも、あたしのこと、好きになってほしいっていうか、女の子として見てほしいなって思って……だから……」
「……え?」
「ちがうの、ちがうの、ちがうの! 別に今すぐ答えてほしいわけじゃなくて、こうちゃんに好きな子いないなら、あたしのこと好きになれるか考えてほしいってことなの! だから今は何にも言わないで!」
「え、ちょっとまって、はるちゃん。え、え……あの……えっ……!」
――告白された。遥に。
……なんてことだ!
告白されるなんて、はじめてだ! 幸輝はだんだん、パニクってきた。遥が自分を好きだなんて、考えたこともなかった! だって、遥はてっきり……。
「はるちゃんって、ひかっちゃんのこと、好きなんだと思ってた……!」
「はぁっ⁉」
いつもの横暴な声で、遥が真っ赤な顔を上げる。
「なんでひかっちゃんなんか! あたしはずっと、こうちゃん一筋だもん! ひどい!」
「え、そうなの? うそ、まって、ごめん! え、ほんと、ちょっとまって、いつから?」
「だーかーら! 三年前って言ってんじゃん! バカ!」
「三年前? はじめて会った年じゃん! なんで!」
「なんでって、あたしだってよく分かんないけど、でも、こうちゃんと結ばれるんだろうなとか、結ばれたいなとか、優しいなとか……とにかく、いろいろあったの!」
「うそ!」
「うそじゃない!」
「なんで!」
「しつこい! もういいでしょバカ! とにかく考えてほしいの! 考えといて! 分かった⁉」
「えっ、分かった! えっ、何を……?」
「もう! だから! あたしのこと好きになれるか、考えてってこと!」
「えっ……わ……分かっ、た……」
激しいパニクり合戦の後、二人はやっと、言葉を失った。向かい合うゆでだこのような二つの顔が、冷えた空気の中で、白い蒸気をほくほくと漂わせる。
遥は唇をぎゅっとはんで、手提げ袋を抱きしめた。中にある紙袋が、ガサガサッと音を立てた。
「……あたし、ひかっちゃん呼んでくる。卒業旅行の予定、立てるでしょ。セッちゃんいないけど、いるメンバーだけでも集まった方がいいもんね……」
「あ、うん、そうだね……ありがとう……」
互いに目を合わさずに、上辺の言葉を通わせる。そうして遥は、幸輝の横を走り去っていった。
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