考えれば考えるほど、猫はいいかげんだ。いいかげんが毛皮を着て歩いてるようなものだ。なんだか自分に似ているところがある気がして、いよいよ、嫌でたまらないのである。
素晴らしい健脚を有し、毒蛇をも倒す鋭利な牙を持ちながら、一片の矜持なく人間に餌を求め、顔つきあわせると直ぐに喧嘩を始め、かと思えば互いに仲良く顔を舐めあい、一緒に日向ぼっこを始めたりするのである。あんな生き物を理解しろと言う方がおかしい。その猫が、僕を特に好んで、しっぽを振って親愛の情を表明してくるに至っては、残念とも無念とも、なんとも言いようがないではないか?
猫に懐かれぬよう、シド・ヴィシャスの真似事をしていたがために、猫は却って良いオモチャを得たものと誤解し、このような情ない結果に陥った訳であるが、何事によらず、ものには節度が大切である。僕はこの歳になっても、節度を知らない。
さて、シドの物真似にも慣れてきたある日の事、僕は夕食の前に、近くの公園まで散歩に出かけた。直ぐに、二、三匹の猫が僕のあとについてくる。僕は、「ああ、またこれでお金が飛ぶなあ……」と憂鬱な気持ちになったけれども、これも毎度のことで、脱兎のごとく逃げだしたい衝動を懸命に抑えながら(どうせ追っかけられるだけだ)、ぶらりぶらりと歩き続けた。
猫は僕についてきながら、道々に喧嘩などはじめる。僕は特に振り返りもせず、知らぬふりして歩いていたが、内心、実に閉口であった。ピストルでもあったなら、躊躇せず、ドカンドカンと射ち殺してしまいたい位の気持だったのである(うそ、流石にそこまでは思ってない)。
公園をぐるりと一廻りして、手持ちのエサを全部猫に上げた。エサを食いつくしてしまうと、猫もどこかへ消えてしまうのが、これまでのしきたりであったのだが、その日に限って、ずっと付きまとう変な猫がいた。黒トラの、貧相な体の子猫である。まだ手のひらに乗っけられそうな位の大きさであった。
だが、小さいからといって油断はできない。歯は既に生えそろっているし、もし拾ったら、僕はあの不幸な友人と同じく、三週間も病院に通わなければならぬのである。それに、このような子猫には常識がないから、却って危険なのだ。
子猫は後になり、先になり、ときおり僕の顔を振り仰ぎながら、よたよたと走って、とうとう家までついてきてしまった。
「へんなのが、ついてきたよ」
「あら、可愛いじゃない提督?」
「可愛いもんか。追っ払ってくれ、手荒くすると喰いつくぜ。弱ってるみたいだから、温かいミルクでもやって」
勿論これは、全部僕の独り言である。玄関に飾ってある、プリンツ・オイゲンちゃんのタペストリーに向かって話しかけているのだ。彼女が僕を【提督】と呼ぶのは、彼女が重巡洋艦を擬人化したキャラクターだからである。こう見えて僕は、なかなか愛国心の強い男なのだ。
(プリンツ・オイゲンはフランス人だけど)。
オイゲンちゃんは(正確にいえば僕は)、子猫にエサを与え、猫は元気になった後もうちを出てゆくことなく、そのまま住みこんでしまった。そして、四月、五月、六月、七月と、そろそろ暑さの厳しくなってきた現在にいたるまで、ずっと僕の家にいるのである。
この猫には、今まで何度泣かされたかわからない。どうにも始末が悪いのである。 僕はこの猫を、「全力さんよりダメな生き物」という気持ちを込めて、『半力(はんりょく)さん』と呼んでいたのであるが、五か月近くも一緒に住んでいながら、僕は今だに違和感を払拭できないでいたのである。
半力さんは、なんだか犬っぽいのだ。正確に言うと、犬と猫のダメな面のみを併せ持った、ハイブリッド・ダメ動物である。この家にやってきたころは、まだ子供で、地べたのアリを不審そうに観察したり、カエルを恐れて悲鳴を挙げたりしていた。
その姿には、僕も思わず失笑することがあって、「何か縁があって、僕の所へ来たのかもしれぬ」と思い、縁側に寝床を作ってやったし、キャットタワーも建ててやったし、食い物もカリカリだけでなく、あのアホみたいに高い子猫用ちゅーるも沢山買ってあげたのだ。ブラッシングなんか、日に三度、毎日欠かさずである。
けれども、ひとつきも経つと、もういけない。半力さんは早速、ダメ猫の本領を発揮してきた。自分が愛されるのは当然だと考え始め、僕が執筆にいそしんでいると、気の狂ったように暴れまくるのである。
半力さんは、僕の仕事の邪魔をすることを、自分の生きがいとしていた。僕が無視して執筆をつづけていると、僕の所持するレアなオモチャを壊そうとする。構ってやると途端におとなしくなるから、あれは絶対にワザとである。全力さんのおしっこよりも始末が悪い。そうして僕は、半力さんの体力が尽きるまで、遊び相手をさせられるのだ。
恩を売る気はないけれども、半力さんは僕のおかげで毛並も整い、一人前に成長することが出来たのではないか? 恩返しをしろとは言わないが、せめて仕事の邪魔くらいはしないで欲しいものだ。だが、やはり捨て猫はダメなものである。節度と言うものを知らない。
食後の運動のつもりであろうか? 半力さんは今日も、大めしを食らった後、机の上に置いてあった大切な資料を滅茶苦茶に引っ掻き回し、庭に干してある洗濯物に飛びかかっては引きずり落とし、洗い立ての下着を泥まみれにしたのだ。
「こういう冗談はしないでくれよ、半力さん。誰が君に、こんなことをしてくれと頼みましたか?」
こんな風に嫌味を言ってやるのだが、半力さんはまったく動じない。それどころか、きょろりと自分の眼を動かし、悪態をついている当の僕にじゃれかかるのだ。
なんという甘ったれた精神であろう? こうすれば許してもらえることを、ちゃんとわかっているのだる。この半力さんの鉄面皮には、僕は密かに呆れ、軽蔑すらしているのだが、結局の所、いつも半力さんの勝ちに終わるのである。
とはいえ半力さんは、全力さんのような美猫ではなかった。幼少の頃は、もう少し体の均斉もとれていて、「あるいは、優れた血が混じっているのかもしれぬ」と思わせるところもあったのだが、それは真っ赤な偽りであったのだ。
胴だけが長く成長し、手足はいちじるしく短い。まるで巨大なフェレットのようである。長いだけならまだしも、最近はだんだん太くなってきて、逆三角形だった顔も、今ではすっかり楕円になってしまった。全力さんは、顔だけなら今でも何とかなるのだが、半力さんはとても見られたものでない。
そのような醜い形をして、なんだか犬っぽいところもある半力さんは、僕が外出すれば、必ず影のごとく僕につき従う。それを見たご近所さんはいつも、「でぶねこやねえ……」と多少引き気味で笑うのだ。
見栄坊の僕が、シド・ヴィシャスの真似をするために食事制限をし、このクソ暑い中、レザージャケットとレザージーンズとバイクブーツを着込んでいるというのに、これじゃ何にもならないのである。
いっそ他人のフリをしようと早足に歩いてみても、半力さんは僕の傍を片時も離れようとはせず、時折僕の顔を振り仰ぎながら、後になり、先になり、絡みつくようにして付いてくる。どうしたって二人は、気心の合った主従としか見えまい。
どこまでも付きまとう半力さんを眺めながら、「案外、史実のシド・ヴィシャスも、ナンシーに対してこういう気持ちを抱いていたのではないか?」と、僕は思った。彼は、ボーカルのジョニー・ロットンとは親友で、だからこそ、グレン・マトロックの後釜としてピストルズに加入したのだが、このナンシーの登場以後、二人の仲は急速に冷えていったのである。
くどいようだが、シドはベースが全く弾けない。彼の加入が認められたのは、ロットンの後押しと、ビジュアルの良さがあったからだった。ロットンから、ヴィシャス(悪党)という名前を与えられた彼は、その演奏技術ではなく、パンクそのものと言っても過言ではない自身の生きざまで、ナンシーと共に、その名を売っていくことになるのである。
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