ある馬車道。
広い道は一本道。両わきの畑を、農民たちがたがやしていた。
農民はみなやせこけている。畑の作物は枯れはて、人の骨がころがっているのみだ。
「今年も不作だなあ」
「役人はまた税を重くしたぜ。毎年寒さつづきで収量がへってるのに」
「おれらをなんだと思ってるんだ」
「くそ。腹がへってしかたがねえ」
馬車道を、豪華な馬車が通った。農民たちはつばをはく。
「あの馬車に乗ってるやつは、さぞやいいくらしをしてるんだろうな」
その豪華な馬車の中。
夜糸は小窓にかかった布から、ちらちら外のようすをながめていた。厚着をしている。つれてこられる直前、外出するつもりだったからだ。
となりには、うつむいた春桃が座っていた。意気消沈している。
まむかいの席に、夜糸のおじの鄧通閔が腕をくんで座っていた。ごきごき首をまわすと、大声で外によびかけた。
「とまれ。休憩するぞ」
馬車がとまる。
「ふう。身体がこってきた。おまえたちはここから出るなよ」
通閔は伸びをして外に出た。
通閔の席に、絹の袋につめられた小さな荷物があった。
夜糸は袋から見える二つの巻物に気づいた。一つを手にとってひらいてみる。
「春桃。これあなたの戸籍よ」
「ええ?」
春桃はもう一つの巻物をひらいた。
「これはお嬢さまの戸籍です。いつのまに」
「どうして戸籍なんか」
外では、おじたちの話声がする。
夜糸と春桃は小窓から外のようすをうかがい、耳をそばだてた。
いま馬車は、広い馬車道にとめられていた。道は一本道だ。両わきに広がる畑では、みすぼらしい農民たちが働いていた。
むこうのほうには林がある。
この馬車の御者(馬車の前に座り、馬をあやつって車を動かす者)は、馬車の前の御者の席に座ったまま。
うしろには、従者の馬車がとめてあった。その馬車の従者たちも、おじとともに外に出て休憩している。
「お嬢さんは妓楼に売るんですか? 戸籍を持ってらっしゃいましたが」
「いや、へたに鄧家の話をされ、メンツをつぶされるうわさがたつとこまる。妓楼には売らぬ」
「でしょうねえ」
「それに最近は妓楼も純盧人以外の女は数がふえすぎてあまり値がつかぬ。混血とわかればとりぶんはすくない上に、やはりメンツがたたん」
「そうなのですか」
「反対に戸籍は売れるのだ。土地がほしい異民族や貴族連中にな。戸籍を持って役所にもうしでれば田畑がもらえる」
「へえ」
「どれも内乱つづきで晋国の盧人がへり、あまった土地目当てに北から流れてくる異民族が年々ふえているせいだ」
「ただでさえ北方は年々寒さがましていますからね」
「ゆえに知り合いの人料理の店にでも売る」
「ええ? 好き者もいるんですね。すこしかわいそうだ」
馬車の中で、夜糸と春桃はあわてて顔をみあわせた。
「どうしましょう」
「どうにかして逃げるのよ」
「むりですよ。鄧さまの従者もいるし、絶対につかまります。見つかったらどんな目にあわされるか」
夜糸は小窓から見える、馬車道の先の林を指さした。
「あの林まで逃げましょう」
「むりですって」
夜糸は目をとじて考えた。
いつか言われた言葉が心にひびく。
『行動しなさい』
そうだ、行動だ。ひとつだけ方法がある。
実行にうつすのはとても怖い。失敗するかもしれない。
だが、どちらにしろ殺されるなら、いっそ最後まで行動するほうをとろう。
夜糸は目をあけ、
「ちょっと耳をかして」
と、春桃に耳うちした。
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