皇宮。
韓季沖、丞相の陸頌雅、廷尉府の鄧通閔、季沖の上司の李遠が話していた。
季沖が言うには、
「お三方、今度の休息日に太師さま(高い位の名誉職のこと)から花見のおさそいがきました。参加されますよね」
陸頌雅は気まずそうに下をむいた。
「すみません。その日私は大事な用事が……」
「そうですか」
丞相のことだ。きっと国政にかかわる大事な用にちがいない。
鄧通閔がしきりにわざとらしいせきをした。
「おほん。私もその日は郊外まで足をはこぶのだ。内々の仕事をしにな」
「廷尉も?」
いや、内々の仕事というからには、重大な犯罪人をさがしているのやも。
李遠も腕をくみながら大まじめに言った。
「俺もその日はいそがしい。どうしても必要な書き物をせねばならぬ。丸一日時間が必要だ」
「必要な書き物?」
故国の部族に晋国での生活を報告するのか?
へたをすると国どうしの関係にまで影響がでる。丸一日必要なのも当然だ。
「……わかりました。みなさま、どうか死力をつくしてください。この季沖、ご健闘をいのります」
季沖は胸の前で、右のこぶしを左手のひらでがしっとつつんだ。
「?」
三人は首をかしげた。
都。
ある庭園。梅や桃の花がさきみだれている。
貴族や高官の老人たちがあつまり、ほのぼの雑談をしていた。のんびりお菓子を食べる。
地面の敷物の上で、季沖はぴんと背中をはって正座をしていた。
真っ白なひげの太師が穏和に話しかけた。
「韓どの。若い方で来てくれたのはあなただけです。休息日ですし、そんなにかしこまらず。楽しんでくださいませ」
「いえ。私だけ楽しむわけにはまいりません。休息日でもみな国のために死力をつくしています」
「……? おや、見てごらんなさい。風がふき、梅の花がうすべにの雪のようですよ。ほほほ。一つ詩文ができました。韓どのも詩をお作りなさい」
「……」
竹林。
滝や川のせせらぎがひびく。人気はない。
陸頌雅が地面にあぐらをかいて座っていた。目をとじ、ここちよさそうに瞑想している。
「太師のあつまりなどつかれるだけです。休息日くらいは人とのかかわりをたち、心おだやかでいるべきだ」
郊外の鄧通閔の荘園(私的な所有地のこと)。
通閔は木製の大きな桶の中の湯に入り、沐浴をしていた。
めしつかいが通閔の髪をあらい、桶に香料を入れていく。
「休息日くらいは身体を清潔にせねば。廷尉としてのメンツがたたん。髪のくさい高官などいるものか。……ふう。そのほう、湯をもっとあつくせい」
「ははあ」
夜もふけてきたころ。
都の李遠のやしき。
李遠が筆をとり、紙に字を書いていた。
「……大河は昼夜問わず流れ、旅人の心にはかなしみがつきない……。うむ、われながらよい情景だ。盧人風の詩文は孤独に文をねってこそしあがる。今日はよい日だった」
卓の上には李遠の書いた詩の紙がたまっている。
「休息日とは自分のために使うもの。季沖はものずきにもほどがある。老人たちのつきあいで消費するとは」
李遠は想像した。
大河が地上にあれば、天にも天の河があるとよい。中洲が夜の玄い闇にしずむのだ。
「……ん?」
李遠は以前庭で出会った、夜と玄の名を持つ娘のことを思いだした。
「夜と玄」
いまだけではない。詩文を書いているとき。仕事で間者を追いかけ、街で似た姿の女を見かけたとき。しばしば思いだすようになった。
あの憎しみにみちたはげしい目にひかれた。
つぎに会うことがあれば、どんな目で李遠を見てくれるのだろう。
「たのしみだ」
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