日利の部屋。
部屋には着飾った日利と春桃だけがいた。
「どう?」
「……はい。おうつくしいです」
「それだけ?」
日利はじっと春桃をにらんだ。
「玄鎖お嬢さまより……」
春桃が目をおよがせると、日利は口角をつりあげた。
やしきの門の前まで、めしつかいをひきつれた夜糸が歩いた。馬車が待っていて、正装した父母がそのわきに立っている。
母は夜糸を見るなり顔をゆがめ、思いきり娘をはたいた。
「夜糸! きいたわよ。なんてことをするの。これからとつぐというのに」
「え?」
「昨晩日利をつきとばしてけがをさせたでしょう。私はおまえをそんな乱暴な子に育てたおぼえはないわ」
夜糸があぜんとしてほおをおさえていると、
「お母さま。もうよいのです。お姉さまにこれ以上うらまれたくないわ」
と、耳ざわりな声がした。
夜糸の前に、着飾った日利があらわれた。しくしくしながらそでで目をおおっている。
夜糸とまったく同じ格好をして、かがやくようにうつくしかった。うしろには春桃がいたたまれなさそうにひかえている。
夜糸はめまいがしてよろけた。
「なんてけなげでつつましいの。夜糸もみならいなさい」
「おまえ、その格好はなんだ?」
父に言われても、日利は泣くそぶりをしたまま、きこえないふりをして馬車に乗りこんだ。つったったまま動けない夜糸とすれちがいざま、
「お姉さま。その服にあってないわよ。髪かざりも」
と、夜糸にしかきこえない声で言った。
夜糸はそでの下で、手のひらにつめがくいこむほどこぶしをにぎりしめた。はげしい怒りを必死でおさえる。
走る馬車の中。
夜糸、日利、両親は外をながめた。
馬車の外の田畑はあれはて、飢えた人々がうずくまっている。
「おまえがああならないようにしてやっているんだ」
父が夜糸に言いきかせると、日利はふんと小さく鼻をならした。
夜糸はいたたまれず背をまるめた。
このままだと日利と比較されるかもしれない。それがものすごくいやだ。
でも絶対に永達にとつぎたい。永達とはあの日約束をした。彼にとつげばきっとすべてが変わるはずだ。
あれは一年前のこと。
毎年寒さがましているのに、その日だけはめずらしくあたたかい日だった。
夜糸は父に手をひかれ、父の荘園の広い庭で、ある青年にひきあわされた。
父からは、彼は大金をはたいてつないだ理想的ないいなづけだと言われた。
名前は司馬永達、皇族だった。
どんな高貴な人物にとつがせてもはずかしくないよう、父は夜糸が物心つくまえからきびしい訓練をさせていた。
夜糸は彼の話を父からきくと、それがすべて司馬永達のせいに思えた。会ってもいないのになんとなくきらいだった。
父の荘園には、蓮のうかぶ大きな池をとりかこむように、風にそよぐ柳が植えられていた。
柳の下のあずまやで、司馬永達は笛をふいていた。あずまやの卓には書きかけの詩文の紙が置いてある。
永達は夜糸に気づくと、笛をふくのをやめ、気さくに笑いながら近づいてきた。
すらりと背が高く、色白でととのった顔だち。庭の明媚な景色を背後にすると、彼が絵の中にいるように思えた。
夜糸は永達にみとれた。
彼の姿が立派だったからだけではない。その笑顔や声や瞳に、なぜだか強くひきつけられるものがあったのだ。
「はじめまして。かわいいお嬢さんですね」
永達にごく自然にそう言われ、夜糸はなさけないくらい顔を赤らめた。
それから夜糸と永達は柳の下を歩いた。父親は遠くのあずまやから二人のようすをながめる。
永達は詩の本や庭の美しさについて快活に語った。端正な顔につねにうかべる笑顔が魅力的だった。
夜糸は永達が気さくに話すので緊張しなかった。彼の話にはありのままに答えられる。
「永達さまはすてきですわ」
ついそんなことを口走ってしまい、夜糸はうつむいた。頬が燃えるように熱くなる。
永達はくすりと笑った。急に夜糸の手をつかむと、柳の木の裏にかくれる。父のいるあずまやからは死角になる場所だ。
「いいことをしませんか?」
永達は夜糸をだきしめた。
夜糸が混乱していると、永達はえりの中に手をいれ、小さな胸のふくらみをさわろうとした。
「いや」
夜糸は思わず永達をつきとばそうとした。
「おいやですか?」
夜糸は顔をうわむけた。永達は残念そうにしている。
ここでことわれば永達の機嫌をそこねてしまうかもしれない。そうしたら縁談はなくなってしまう。こんなにすてきな人なのに。それに父もかなしみ、よけい夜糸に失望するかもしれない。
夜糸はゆっくり身体の力をぬき、首を横にふった。
「でもかならず約束してください。父は来年また私たちを会わせるつもりです。そのときに、あの、私をめとると……」
永達はくすりと笑った。
「あなたのいみなは?」
「夜糸と言います」
「夜糸、かわいい名だ」
「永達さまのいみなはなんのおっしゃいますか?」
永達は笑うだけで答えなかった。夜糸の唇に口づけすると、腰の帯をといた。
永達は夜糸の片足をあげさせ、その場で身体をあわせた。
あの日から、夜糸はどんなにつらくても、むなしくても、永達のことを考えれば、心がなぐさめられた。あの甘い思い出だけが、うつろな夜糸の心のささえだった。
それに永達にとつげば、いままでずっと失望させつづけてきた両親にもむくいることができる。
だからなんとしてでも永達にとつぎたい。
たとえいくつものうそや罪や痛みをかさねても。
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