空もしらみはじめた早朝のころ。
荘園の長屋の中。
女が鍋をたたいた。かんかんかんかん、けたたましい音をならす。
「おきろ! おきないやつは朝めしぬきで南園に送るよ!」
雑魚寝していた人々がつぎつぎと起きあがった。粗末な農民の服を着た夜糸と夏桑も目をさます。
ねむい。
夜糸と夏桑が外にでると、あたりのほったて小屋から牛や豚の鳴き声がした。目つきの悪い犬が数匹、そのへんをうろうろしている。
女たちが大鍋からきたない椀に穀物を煮たかゆをつぎ、農民たちがそれを無気力にうけとった。
夜糸と夏桑も椀をうけとる。二人ともまっ黒に日焼けしていた。
「夏桑、すっかり元気になったわね」
「まあな。おらはもともと山そだちで体力だけが自慢だったんだべ」
椀をのぞきこむと、穀物のかゆが少しはいっているだけだった。夜糸はついつぶやいてしまう。
「またこれだけ?」
そのとたん、鍋の前の女がぎろりと夜糸をにらんだ。
「南園に送るよ」
夜糸は目をそらしうつむき、おとなしく夏桑とかゆをすすった。
味がなく、穀物もかたかった。だが、
「おいしいわ」
「ああ。腹がへりすぎて、なにを食ってもうめえな」
家畜小屋。
夜糸と夏桑は牛の糞をそれぞれの桶に集める。
「夜糸、おらは多めに集めたからやろうか?」
「大丈夫よ。私もそれなりに集められたから」
「すげえな。最初はさわれもしなかったのに」
「なれたのよ。でもねむいのはいつまでもなれないわね」
夜糸はたちくらみがし、ふらついた。そこへ鞭を持った農民がここぞとばかりにやってきて、夜糸をおもいきりたたく。
「痛っ」
「なまけずに働け! でなければ南園に送る」
「はーい……」
夜糸は口ごたえせず、夏桑と一緒にもくもくと糞集めをつづけた。
何日ものあいだ、夜糸はこの荘園でくらし、わかったことがあった。
自分たちはだまされたのだ。
この荘園はこまっている者をたすける場所ではない。こまっている者から搾取する場所だった。
日中はくたくたになるまで仕事。主に家畜小屋にぎゅうぎゅうにつめられた膨大な牛や豚や鶏や犬のえさはこびや水はこび、放牧や肥桶はこびをさせられた。
夜は荘園内の作業場まで行き、おそくまで綿や蚕から糸を作ったり、布を織る仕事をさせられる。眠る時間はほとんどない。
食事は一日二回、半ゆでの穀物のかゆだけが出るだけ。毎日腹がへってしかたがない。
仕事をしているとなにかと理由をつけられ、鞭でたたかれなじられ、生傷がたえなかった。
荘園のしくみもわかってきた。
この荘園は、広大な土地が大きなバツ印のような大通りにより、東西南北の四つに区画わけされ、それぞれの方角の区画が東園、西園、南園、北園とよばれていた。
荘園の土地の中で、バツ印の中央がやや北西によっているため、北園、西園が土地がせまく、東園が一番広い。
東園は畑が多く、穀物を育てていた。
東園の長は、男の農民たちを集め私兵団を作り、荘園内のみはりもさせている。
兵の募集は西園や北園にかけることもあった。ときどき長の気まぐれで訓練が行われ、ついていけないと、南園に送られるようだった。
その南園はなにをしているのかわからない。
南園のまわりは、とりわけしげった木々にかこまれているので、まわりからようすが見えなかった。『南園に送る』がおどし文句になっているほどなので、あまりよいところではなさそうなのはたしかだ。
夜糸がいるのは、家畜が育てられる西園だった。家畜から作られた肉や乳や卵は、外の街に出荷したり、それぞれの園の長やその手下にさしだされた。あとは馬を育てた。広大な荘園の移動用や、外への出荷用だ。
北園では、綿や麻や蚕を育て、糸を作り布を織っていた。
荘園は広大で、西園の東園のはしからはしまで歩くと、半日はかかる。
東西南北の園の長は監荘人とよばれ、その手下ともども特別視されていた。かれらは荘園内の移動に馬を使い、馬車に乗ることもある。
四人の監荘人は荘園の古株であり、もともと赤の他人だったが、偶然姓が全員『王』で、盧人だった。そこで義きょうだいとしょうし、あざなを似たような名前に改名していた。
大通りが交差する荘園の中心には、農民たちが『王宮』と呼ぶ広いやしきがある。南園以外の三人の監荘人は、ここに住んでいた。
監荘人にはこびを売るのが上手なお気にいりの手下が何人かおり、そいつらが監荘人から農民の管理をまかされていた。なわばり内で農民を鞭でたたいたり犬をけしかけたりして、家畜のように働かせるのだ。そしてきまって、『南園』へ行かせるとおどしつけた。
もちろんつれてこられた農民に給金などはでず、一生タダでこきつかわれる。身体をこわした者は南園に送られるが、そのあとどうなるのか夜糸は知らなかった。
荘園のまわりは柵や獣用の罠でかこまれ、東西南北の監荘人の手下や猟犬がつねに見まわっているので、脱走はむずかしいようだ。
夜糸がはじめてこの荘園に来たときに見た男は、脱走者のようだったが、あっさりとつかまり南園に送られた。そのあとはどうなったのか、やはりわからない。
農民たちは夜糸や夏桑と同じように、行き場のない者が甘言に乗せられつれてこられたり、本人の借金や、生活に困窮した家族によりに売られたりしてきていた。異民族として晋でくらしていたら、奴隷狩りにあったという人もいた。
男も女も一緒に働きおなじ長屋で眠る。女は男から身を守るため、髪をきり、いつも顔や身体には泥や糞をぬりたくり、声や気を強くしていた。それでも暴力により妊娠する女はいたが、やはり決まって南園に送られる。
農民は監荘人の手下のいる前ではもくもく働いた。悪口や歯むかうことはけっしてしない。だがすきあらば仕事をなまけ、日々の小さな不満は、より弱い者にむける。
農民同士でのよくけんかもおきた。けんかの理由は、たいていはだれそれよりも椀のかゆが少ないとか、自分の寝る場所に足を入れるなとか、くだらないことだった。
この荘園を変えようとかはだれも言わない。空腹と睡眠の不足と暴力で、彼らの反抗心や考える力はうばわれていた。
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