夜糸は横でねそべる、死にかけたこどもをあわれに思った。
「やめなさいよ。もうすぐ死ぬなんて」
「もう何日も食べてねえんだ。飢え死に、ってやつか?」
そういえば、夜糸はふところに饅頭をいれていた。
わたすのはためらわれた。このこどもが怖い。
あの馬をうばった男や、勝手に戸籍を売った春桃と同じやからかもしれない。
弱いふりをして夜糸からだましとろうとしているだけかも。あたえればもっとせびるかも。
「それもまあ、自然のことわりだからいいべ。死ぬ前にあんたと話せてよかった」
気がつくと、夜糸はふところの饅頭をとりだしていた。
だめよだめよ。だまされているのよ。
こどもの口元に饅頭をさしだす瞬間まで、心の中でそんな声がした。
「……どうぞ」
「いいのか?」
「はやく食べて」
こどもは饅頭にかじりついた。
夜糸はまた自分はだめだ、まただまされたと思った。くやし涙をこらえる。
いつもそうだ。わりをくわされる選択ばかりしてしまう。
こどもはついに饅頭を食べきってしまった。
「あんたはどこのもんだ?」
「私は、東の郊外からきたわ。あなたはどこから?」
「おらは沙中の出身だべ」
「沙中? 西の山がちな地域よね。もしかして沙劫族?」
沙劫族は、晋国の西の山あいにすむ部族のことだ。
北東の蜱蛄族や北の狭狗族とならび、このごろ国力をつけてきているらしい。
「うんにゃ。沙劫族ほどえらくはねえ。一族に名前もねえし」
「そう。盧語が上手ね。どうしてこの街へ?」
「沙劫族につかまって売られた。ふもとの農村じゃ内乱で盧人がへったから、人手不足をおぎなうためさ」
「そんな」
「でも売られた先の土地の持ち主が国境のいくさにまきこまれて死んじまってなあ。どさくさでよその貴族が土地をうばったせいで、おらは追いだされた」
「ひどいわね」
「それも天のおぼしめしだ。それにおらばかりじゃねえ。このへんの物ごいはほとんど土地を追われたり、うばわれたりした者ばかりだ」
「ひどい」
「盗賊になる連中もいる。知らねえやつと下手にかかわるとなにがおこるかわからねえから、この街の連中は他人に冷たいんだべ」
「そうだったの」
あの家畜を売っていた女や、質屋の主人もそうだったのだろうか。
「あんたは?」
「私はね」
そこへ、男がひとりやってきた。質屋にいた、見るからにずるがしこそうな顔の男。
夜糸はみがまえた。
男はにこにこしながら、
「やっと見つけた。ねえきみ、お金にこまってるんでしょ」
「え、ええ、まあ」
夜糸はつい答えてしまった。
男は大仰に、
「そりゃ大変だ。よかったらきみみたいなこまっている人を助ける場所があるから来ない?」
「え?」
「成衣県にあるよ。ここからなら馬車で半月くらい。そのあいだの食べ物も出すからさ」
成衣県といえば、南西の巴州にあるへんぴな田舎だ。実家からなら馬で一、二月くらいはかかる。
もうそんなところまで来たのか。
夜糸はためらった。あきらかにあやしい。
「ははは。大丈夫。妓楼とかじゃないから。農作業をするかわりに住まいや食事を出すよ」
「ほんとに?」
「ああ。もう何人もの流民がそこで安全にくらしている」
「でもどうして私を? このあたりはほら、ほかにもたくさんこまっている人がいるじゃない」
「かわいそうだけどよわった者は連れていけないんだ。農作業はちょっと体力を使うからね」
「……すぐに行けますか? 私、この街にあまりいたくないんです」
「ああ、三銭くれれば荷車に乗せられる。明け方すぐには出発できるよ」
「ちょうどあります。連れていってください」
熟考している余裕はなかった。寒さや飢えは容赦なく身体をむしばむ。
「ついておいで」
夜糸は立ちあがった。寝ているこどもがよわよわしく声をかける。
「よかったな。達者でやれよ。饅頭をくれて、ありがとな」
夜糸はうしろ髪ひかれる思いにかられ、つい男にたずねてしまった。
「この子もつれていっていいですか?」
「この子も?」
「よわっていますが私がめんどうをみます。なにか食べさせて、もっとあたたかいところで休ませてあげたいんです」
夜糸はこどもを指さした。
男は笑顔のままだが、少ししぶった。
「うーん。まあ、きみがめんどうを見るならいいよ」
すぐに夜糸はこどもをおぶった。
いやになっちゃう。私はなんでこんなにお人よしなの。
夜糸の背にもたれるこどもが、小さくつぶやいた。
「ありがとな」
「いいのよ。……ええ。これで」
こどもをおぶった夜糸は、男と街を歩いた。
やがて三人は、馬がつけられた、大きな荷車の前に到着した。荷車にはすでに、おおぜいのうすよごれた人々が乗っていた。
夜糸は男に三銭をわたし、こどもをおぶったまま荷車に乗った。
このあと、さらにわりをくわされることになるともしらずに。
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