西園の家畜小屋。
夜糸はいつものように牛の糞を桶に集めていた。夏桑も一緒だ。まわりでは、ほかの農民たちも働いている。
今日はいつにもましてたくさん糞を集めたせいで、桶が重い。
監荘人の手下に、ある農民の男が鞭でたたかれていた。その者の名は阿几という。
「きさまはいちいちおそい! 南園に送るぞ」
南園ときいただけで、まわりの農民の動きがきびきびとする。
手下は阿几をひとしきり鞭うつと、はなれていった。すると阿几は舌うちして肥桶をけとばした。糞がとびちり、近くにいる夜糸と夏桑にかかる。
手下がくるりとふりかえった。
「こら! 糞をこぼすな!」
「私たちじゃないですよ。阿几さんが……」
監荘人がびしびしと夜糸と夏桑を鞭でたたく。
「つべこべ言うな! 今日はおまえらだけで肥料の人糞を東園にはこべ」
「でも」
「口答えするな」
まわりの農民はもくもくと働き、だれもたすけてくれない。
「しかたねえよ夜糸。行こう」
夜糸と夏桑は、すごすごと牛小屋を出るほかなかった。すれちがいざま、阿几が鼻をならす。
「きたねえな」
夜糸はムッとしたが、夏桑は能天気に鼻歌を歌った。
西園から、東園の広い畑まで、夜糸は肩に長い棒をかけ歩いた。棒の両端には肥桶をひっかけている。夏桑も同じようにあとからついてきた。
くさい。重い。肩の皮膚がこすれて痛い。でも、運ばなければ鞭でぶたれる。
夜糸はぶつぶつと悪態をついた。
「あの監荘人の犬め。なにかとぶってきて憎ったらしいったらありゃしない。それに阿几のやつ。きたないってだれのせいよ。絶対許さないんだから」
「ははは。夜糸、案外怒りっぽいんだな」
「だれでもあんなの怒るわよ」
と言いつつも、夜糸は自分でも自分が怒りっぽくなったと思った。実家にいたころからしたら考えられない。
あの檻のような実家から出たあと、生きるか死ぬかの状況にさらされつづけ、悪態もつけるようになった。
「夏桑はどうなの? 憎くないの?」
「おらはだれも憎まねえよ」
「あなたはぜんぜん怒ったりしないのね」
「ふつうだべ」
「おかしいじゃない。私たちが作った作物や家畜は、みんな東西南北の監荘人とその手下だけで食べたりお金に変えてぜいたくしてるのよ」
「世の中そんなもんだ」
「私たちには全然わけてくれないくせに。なにさまよ」
「きかれるとまたむちでぶたれるべよ」
「……こんなところ、すぐにでも出ていってやるわ」
「夜糸はこむずかしいことばかり考える」
「は?」
「おらたち下々の者はなんにも考えず、天や自然のまかせるままに生きてりゃいい。いちいちうらんでちゃつらいだけだべ」
夜糸は首をふった。
夏桑はなにをされても言われても、だれも怒らないし憎まない。指示をされればどんなことでも従順にこなした。夏桑の出身の一族の思想のせいらしい。
夜糸は夏桑のことは好きだが、その考え方にはうんざりさせられた。ときに不気味にさえ思う。
「それより『南園』にはなにがあるんだ? だあれも教えてくれねえ」
「さあ。みんなきくだけで怖がるけど、そんなにおそろしいところなのかしら」
東園まで来ると、監荘人の手下の男に指示され、夜糸と夏桑は広い畑に糞をまいた。
「あら、いいのがいるじゃない」
夜糸は糞をまくあいまに、なにかをこっそりひろい、ふところの小袋にいれた。
「いつもそんなの集めてどうすんだべ」
「どこかで使えるかもしれないわよ」
ふと夜糸が顔をあげると、すこしはなれた場所に、畑をたがやす少女がいるのを見つけた。少女は短い髪にぼろ布をまとい、顔は土ぼこりでうすよごれている。マメだらけの手を痛そうにこすっていた。
監荘人の手下の男は、少女をぴしゃりと鞭でたたいた。
「おそいんだよ。まだこれだけか?」
「すみません。すみません」
夜糸は少女を見つめた。夏桑が夜糸を見上げる。
「どうした?」
「……」
男はよけいに少女をむちでたたいた。
「おめえのその卑屈なのが気にくわねえ」
少女も夜糸に気づいた。二人は目があう。
「……春桃?」
まちがいない。あれは春桃だ。
春桃は視線をはずし、逃げるようにくるりとむこうに行ってしまった。
「あ。待て!」
男が春桃を追いかける。
夏桑が尋ねた。
「春桃? 夜糸の親友か?」
「ここに連れてこられてたのね。あの子、まだ自分の戸籍は持っているのかしら」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!